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詩はレコードを目指すべき!

何かが爆発的に流行すると、それの反動も大きくなるのが世の常だ。2022年には米国でのアナログレコード販売枚数がCDを上回った。1987年以来はじめてのことらしい。

背景に音楽ストリーミング配信サービスがある。SpotifyやApple Musicなどのサブスク(定額料金で聴き放題サービス)が普及し、音楽鑑賞という目的だけを見ればCDを所有する意味が薄れた。しかしだからこそ、所有しない・実物が無い・デジタル・手軽なサブスクとは正反対の、所有する・実物がある・アナログ・手間がかかるレコードに注目が集まっているのだ(CDはどっちつかずの中途半端だから人気が落ちていると言えよう)。

その証拠に、今日のブームを支えているのは、レコードのリアルタイム世代でなく、デジタル環境での音楽鑑賞に慣れ親しんでいる若年層だ。便利さに特化したデジタルネイティブだからこそ「ではない」物に惹かれるのだ。所有する喜び、不便であることの喜び。ちなみに私もその一人である。今年五月にレコードプレイヤーを買ってしまった。

現代詩ならびに詩集の活路も「ではない」にあると私は考えている。現代は可処分時間の奪い合いの時代だ。人々の限られた時間をいかに自分のコンテンツで消費させるかで、あらゆる業界がしのぎを削っている(のだから、「文化人」は大それたことを言う前に、まずはブラック企業撲滅や長時間労働削減などに関してアクションすべきだと私は思っている)。ジャンル不問の奪い合いバトルにおいて、本はどうしても弱い。その結果が書籍市場の縮小である。まして、詩だ。

コンテンツの供給競争で詩に勝ち目なんて無いだろう。「疲れる日々のわずかな可処分時間にフィットするかどうか」に詩はあまりに不利である。ならば、勝てない土俵を降りて別の観点で勝負すべきだ。詩の内容それだけで勝負しようとするのではなく、装丁を凝りに凝って、物体として所有欲をそそるような詩集を作ったほうがよい。不便さ・消費しにくさそのものを魅力にしていくのだ。

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