夏休みに子供が近所の大人に付き纏い危険な目にあった話

夏休みに何らかの観察日記を付けるようにとの宿題が出された。
近所の子が育てている朝顔を勝手に観察していたが、そろそろ花が咲くというクライマックスの時に日当たりの良い場所に移動させられてしまい観察ができなくなってしまった。

悩んだ末に、近所を徘徊しては私をからかう、常に首元がよれたTシャツをお召しになっているおじさんを日記に納める事にした。
勝手に観察しては失礼だと思い、おじさんの日常にスポットを当てていいかと尋ねたところ、おじさんは快諾してくれた。

おじさんの朝は早い。
川沿いの散歩を楽しみ、同じ時間帯に散歩をしている犬にいつも吠えられている。
鯉にパンを大盤振る舞いし烏に襲われる。
少しでも良い所を書いて貰おうと目論んだのか、珍しく私とボールで遊んでくれた。
その後解散し、夕方頃にパチンコで負けたおじさんはしなびた表情で戻ってきた。
と、いうような内容を書き連ねた。

夏休みが明け、先生に提出したところ、数日後に呼び出された。
途中まで確かに朝顔の観察であった筈なのに、そろそろ開花という頃合いに花ではなくおじさんが日記に咲き乱れた為、混乱を招いたようだ。
しかも、おじさんに吠えた散歩の犬達を絵に添えた為、先生はおじさんの事を最初は犬だと思い込んでしまったようで、赤ペンで
「一緒にお散歩した首輪の赤いふわふわなワンちゃん。先生もお散歩したいです」
と、書き添えてあった。
残念ながら現実は首輪の赤いふわふわなワンちゃんではなく、首元の緩んだぼそぼそのおじさんであり、先生のご期待には沿えないだろうと思った。

散歩とボール遊びまでは何とか犬として認識して読めたが、その後にパチンコへ行き始め、更に散財して帰ってきた為、いよいよこれは犬ではないと気が付き、じゃあ何だと思ったら人間のおっさんだった事に先生に衝撃が走ったようであった。

先生は「もしかしたら自分の勘違いで本当はやはり犬なのかもしれない。どうか犬であって欲しい」と一縷の望みを懸けて私を呼び出し確認したのだろう。
しかし、願い虚しくやはりおじさんだった為

「ごめんね、ワンちゃんだと思ってこう描いちゃったけど…」

と、観察日記に「誤解してしまい、申し訳ありませんでした」と目の前で書き足した。
丁寧な良い先生である。

「今度からニンゲン以外の観察にしようね」と言われ、いつの日かおじさんから人権を剥奪しないといけない日が来るのかもしれないと神妙な気持ちになった。

ちなみに母にもおじさんの事は話してあったが、恐らく腹ぺこあおむしの化身のようなイマジナリーフレンドだと思われている。

私は観察のお礼におじさんに日記を渡した。
事の顛末と先生のコメントに、おじさんは突如酸素が欠乏した様子であった。
その後、すぐさま奥さんが呼び出された。
おじさんが観察日記を手渡すと、奥さんも急速に酸素濃度が低下したようであった。
奥さんは涙を滲ませながら、隣で小刻みに震えているおじさんをバシバシと叩き、その振動を加速させていた。
一冊の観察日記によって罪の無い夫婦が呼吸を阻害されるという危機に晒されてしまった。
奥さんは息子が帰ってきたら見せると意気込んでいた。

その後、息子がその観察日記を読み、死にかけの蝉の様に床を転げ回ったと奥さんは語った。
楽しそうな良い家族であるが、死にかけの蝉と化した息子が心配であると同時に、私は夏の終わりを感じた。

奥さんは

「先生が会いたがっているんだから授業参観に行ってやれ」

と、おじさんに言った。
先生が会いたがっていたのは犬の方であるが、ボタンの掛け違いの様に少しずつずれた運命が、犬とおじさんを置き換えようとしている。
母がイマジナリーフレンドと遭遇する日も近い事だろう。

この記事が参加している募集

#夏の思い出

26,833件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?