平成生まれの若造が昭和の傑作:劇場版『銀河鉄道999』を令和に観る
映画のクライマックス、耳に馴染んだ『銀河鉄道999』が流れる。何か始まりそうな、期待と希望に溢れたこの楽曲が物語の最後に使われていることが不思議だったが、映画を最後まで観た私は、なんて一つの旅の終わりに相応しい楽曲なんだと、鳥肌が立った。
アニメは見たことないし、知っていることと言えばEXILEが歌う『銀河鉄道999』と金髪の綺麗なお姉さん(=メーテル)くらいの平成生まれの青年が、どうして令和の時代に、昭和の傑作劇場版『銀河鉄道999』を観ることになったかと言えば、現在ドルビーシネマ版が公開されていたからに他ならない。「ドルビーシネマ」とは、技術を駆使したすごい映画館という感じで、気になる人は体験するなり、以下のページを読むなりしてほしい。
物語は、主人公:星野鉄郎が母の敵を討つべく、身体を機械化してくれる星を目指して、謎の美女:メーテルと共に銀河鉄道999で旅をするという感じだ。
深く染み渡り、そして爽やかな、最後
改めて、僕は何を観たのか、何が心に突き刺さったのかと振り返る。
おそらく、僕は星野鉄郎に自分自身を投影していたのだ。映画の中で、殊更に強調されるのは、銀河鉄道999に乗ることが引き返すこともできない、辛く厳しい旅路であるということ。それでも鉄郎は、自身が掲げた目的を果たすべく、最後まで勇猛果敢に歩み続けるのだ。旅路の中で多くの人と出会いながら…。
映画を観ながら、僕は果たして鉄郎のような旅を今まで生きてきたなかで経験したのだろうかと自問した。ちなみに鉄郎は10歳らしい(Wikipediaより)。自らの情けない生き様に悲観するとともに、鉄郎のすごさをまざまざと実感したが、映画の最後でその答えを改めることになる。
「少年の日の心のなかにいた青春の幻影」
映画の最後、本当に素晴らしくて、暗唱したいセリフ。
このセリフが流れた後、鉄郎の涙とともにゴダイゴが歌う『銀河鉄道999』が流れる。本作以上に「終わりは始まりである」ということを見事に描いた作品は、ないのではないか。悲しいはずなのに、爽やかで心地よいエンディング。「さあ、行くんだ」という歌詞から始まる楽曲も、まるで、自分も背中を押されるようだった。
僕が観たのは1人の少年の旅路であって、同時に視聴する僕らも一緒にメーテルと旅をしていた。遠い世界、遠い時空の1人の少年の物語でありながら、僕らに帰するものがある。人生とは絶え間ない旅の連続であり、出会いと別れを繰り返しながら、大人になっていく。少年の日は終わっていく。
本作は、鉄郎の物語を通して、観賞する私たちも少年の日を思い出して郷愁に浸り、そして、生きている限りまだ旅の途中にあることを気づかせてくれる。だからこそ、今でも多くの人に愛され、歳柄もなくおじさんたちが鼻水を啜る、そんな素晴らしい作品なんだろう。
「顔を上げて」前へ進む勇気をくれた
生きていると、いま自分がどこにいるのか分からなくなる。大学受験がゴールだと思ったら就活が始まり、就職が決まったら今度は結婚やら子どもやら、どれくらいの老後資金が必要やら…。ライフプランをぼんやりと想像するとワクワク感よりも不安が勝る今日この頃であった。
そんなとき、本作は間違いなく僕の背中を押してくれた。
1つの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。
未来を憂うな。過去に囚われるな。人生とは旅の連続だ。終わりは新たな始まりであり、人生に「終わり」なんて存在しないんだ。
強いメッセージが僕の胸に、強迫観念としてではなく、爽やかに残った。これから始まる新生活、顔を上げて邁進していこう。今は、そんな気持ちだ。
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