日々是メモ 「夜泣き疲れで怒り心頭の自分を、稲盛和夫の本で脱出した話」

5月14日金曜日の気付き

本日のメモ、夜明け前の気づき。

最近の最大の悩みである夜泣きから苦労した夜更け、
すっかり眠れなくなり、それだけでなくあらゆる怒りを感じて澱みきった自分の心にどっぷり浸かってしまっていたのだが、また今回も読書から気づいたことがある。


・読書 『図解 働き方』稲盛和夫(三笠書房)

多くの人が知る、有名な本稲盛和夫の「働き方」の、図解版。新卒研修などでもよく目にするような、ビジネスマンなら一度は読んでほしいとよく言われるような有名な本である。

働き方、というようにビジネスで役立つ心的なものはもちろんなのだが、育児中心の生活の今の私にも響くページがあった。



以下、メモを兼ねての夜更けの詳細
著書内抜粋部分は『』、私の感想()でメモ。

『人が易きにつき、奢り高ぶるようになってしまいがちなのは、人間が煩悩に満ちた生き物であるからです。』(夜泣きが酷くて、1時間以上立ち抱っこ対応してうんざりして疲れた私が、イライラして家族に不満を感じるのも、煩悩があるからだ。不平不満で怒りを感じたのは、人間として普通のことかもしれない。そう!普通だ!)
『そのような人間が、心を高めていこうとするときに大切なのが、悪しき心を抑えることです。』(死んだ後に、天国で今感じる怒りの対象者に会えた時、”夜泣き対応の時には怒り心頭で、家族の愚痴言ってたなぁ”という怒りと不満の記憶しかなければ、自分はその人たちに真正面から向き合えない。自分の人生に深く関わった人に関しては、心からの感謝を感じて向き合えるようになりたい。)

家族に対して生きている今ではなく死んだ後の時のことを考えるな!生きているうちに感謝せよ!と、朝になった私は冷静に思う(恥ずかしい)。

『人間の煩悩は、百八つもあると言われています。中でも「欲望」「怒り」「愚痴」の三つは、卑しい心、つまり人間を苦しめる煩悩の最たるもので、心にからみついて離れず、取り払おうとしてもなかなか拭い去ることはできません。』(ヤバい、夜更けの私は三拍子全部そろっている。)
『お釈迦様は、この三つを「毒」と呼ばれ、人間を誤った行動に導く諸悪の根源だとされています。』(毒に犯されきっていた私、諸悪の根源とな)
『「欲望」は誰の心にも潜んでいて、それがかなわないとなると、人は「怒り」を覚え、「なぜ思った通りにならないのか」と「愚痴」や「不平不満」をこぼすようになる』(まさにこれである。”毎度毎度ひとり夜泣き対応をはじめ、色々苦労している私を誰か褒めてくれよ、労ってくれよ、なんで一番そばにいる人たちがそのたった一言をかけてくれないのだよ、誰も分かってくれない”と、私こんなに頑張っているのよと認められたい私の欲求。欲求だけでなく、愚痴と不平不満に加え、きちんと”周りの人が自分の思う通りになってくれない”という気持ち全てが集約されている!なんと恐ろしいこと!)

と、ここで、自分の怒りの理由が”認めてほしい、労ってほしい”という承認欲求であると、シンプルに分かった。

こんな時はそう、自分で自分を労えばいいのである。自分の欲求、自分で回収!


「他人に認められてこそ、成果」「頑張りは他人が決めるもの」「周りの人に感謝されないと意味がない」という、まるで仕事のような根性が、夜更けの自分の思考の中に染み付いていると気づいた。

仕事のように、金銭が発生しているような契約的なものの場合、この気持ちはとても大切な心構えだと思うが、私が今やっていること、悩んでいることは、仕事ではなく育児と家族である。
生活費という経費は発生しているとはいえ、仕事ではない。特に育児に関しては!

なので、行き過ぎた「仕事精神」はこれを期に、少し自分の心のサイドに置いて距離をおこうと思った。

「日頃の頑張りは自分で労おう」「よくやっているよ」と自分が自分を認めてあげていいとする!自分の機嫌が悪くなったまま、我が子や家族に触れ合うよりは自分を少し甘やかしてでも、明るく接せれる方が良いはず。

仕事は仕事で、育児は育児で、家族は家族で、自分のちょうどいい塩梅を探していこう。家族っていったて、自分が生まれて育った家族ではなくて、ほんの数年前は他人だった家族である。いつでも自分が今できる最大限を一生懸命できていれば、それでいい。なんで分かってくれないの、と思う子供の心の自分は、夜更けまでに自分自身で抱きしめてあげて、朝になったら大人の心で家族に接するように。


あと、全ての諸悪の根源となる「欲望」まみれの子供の心は、どうしても「睡眠不足」「思い通りにならない」場面が揃うと顔を出しやすい。睡眠不足は幸いにも昼寝などで対処できるとして、育児中の「思い通りにならない」はこれからたくさん起きるであろうことなので、「子供と同じ土俵に上がらない」ように気をつけようと思う。

これは番外編。夜更けの1時間経ち抱っこで、怒りに身を任せていた自分に気づいた時に、咄嗟に思いついた怒りからの脱出方があった。
「我が子の守護霊がそこらへんで見ていると思って夜泣きに付き合う」というスピリチュアルすぎる対策。もはやイメージに頼る手法。
見られている相手が、目に見えないもので神様に近い存在なら怒りを薄めることができる。「あなた、抱っこのつめが甘いのよ」「後少しでこの子も眠れるというときにあなたが最後少し雑なのよ根負けするのよ」「もう少しよ」など、自分が守護霊だと思って自分自身につっこむという。今思えばこれも至極恥ずかしい話だが、自分の行いを無理矢理第三者目線にする、という点では、ナイスアイディアである。意外と昨夜の煩悩まみれの私には効果がありました。よかったらどうぞ。



『今日、自分がやったことを素直に反省し、明日からやり直そうと心に誓う。』(怒りを感じて不平不満を言っている自分は恥ずかしいから、明日は明日で気持ちをきり直そう。まず朝、きちんと家族に挨拶できたらそれで良しとしよう。)


本を読むことで怒りに身を任せていた自分の、「怒り」を客観視することができた。「なんで私はいつも怒ってるんだろう」と思っていたのだが、その怒りのメカニズムがシンプルに腑に落とすことができたのが、ラッキーだった。

結果、本を読んで、気づきを得て再度起床した時には

しっかり挨拶をすることができて、いつも通りの自分で朝の行事を終えることができたので、とても良かった。意味のあった夜更けと夜明けだったのだと思う。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?