見出し画像

<一部改訂>「国境を越えた対応==貧困、薬物使用、HIV および AIDS に関する南アジアワークショップ==」(UNAIDS@カトマンズ.2009年)

<はじめに>


ここで紹介するファイルは2009年にカトマンズで行われた、UNAIDS(国連AIDS合同計画)の南アジアブロック拠点のワークショップである。南アジアとはインド半島やスリランカ、ネパール、イランなどを指している。このファイルの巻末に参加した国や地域、参加した人の立場や属性が明記されているのでその多様性の広がりは日本人が考えている多様性社会など足元におよばないぐらい進化している。
そして、この報告書はそこで参加した人たちが自分たちの属性、立場性、尊厳のすべてを傾けて自らの国や地域に持ち帰った述懐の言葉が織り込まれている。トピックとなる言葉が記録され、責任表示をされた形で世界各国へ配布された。言ってみれば国々の医療者・教育者・コミュニティ活動家・当事者・政治家や大臣・法律家などを対象とした国際ワークショップ参加者の言葉がまざまざと記録されている最終報告書である。

<参加者層(Focus Group名)とそれを現わす用語は国連の標準語>


「国境を越えた対応」と題したそれは、スラム出身のPWA(People living with HIV/AIDS)やPWUD(People Who Use Drug)といった当事者、イランの福祉保健大臣(日本の厚生労働大臣)などの顔もあり、全員が一緒に同じ席に着きワークショップ形式でお互いの意見と気づきを述べている。
UNAIDSは国連の常任理事会やWHOやUNDP、UNHCRなどの縦割り組織を横につないだ事務総長直結の合同プロジェクト組織だ。日本ではその組織の重要性をあまり報道や報告書にまとめられていないのは、霞が関の「水際作戦」があるからだと言っても過言ではないが今ここでは触れない。
ここで用いられている言葉は国連の標準語として採択されている用語と概念がある。例えばHIV感染者という日本の言い方は国連では採用されていない。感染者という言葉に「感染させる存在」「感染予防に失敗した存在」というスティグマ(敗北者の烙印)が押されてしまわないよう、公衆衛生や医療や政策、宗教のジャッジを伴わない概念内包を定義づけてPWA(HIV/AIDSと共に生活している人達)という用語を使っているわけだPWUDもそうだ。法律や宗教で死の裁きを与えられる存在だとされている国々もある。例えばイスラム教国で薬物や同性間の性行動は「死刑」に値する。敢えてそこでフォーカスする場合にだけIDU(Injection Drug User)という言い方を限定的に使う。

<薬物極刑のイスラム教社会でハームリダクションの一つとして、摘発と処罰より自助会による回復容認へ舵を切ったイラン>


イランなどはイスラム原理主義を掲げており女性が顔を出して街を歩く事さえ禁止されていたことは日本でも知られている。このような国々では薬物使用や同性間の性行動だけでなくAIDSのような性感染症の感染は社会の落伍者のように扱われてしまっては対策の手がとどかなくなる。これでは意味が無い。そのイランの福祉大臣が自らこのワークショップに参加し「自分たちは人を正そうとばかりしてきたが、法律を正すときがきた」という言葉を持ち帰っている。この国がどんな政策を展開したかはあまり公開されてはいない。しかし、薬物の自助グループにリージョン委員会が誕生し文献やプログラムの翻訳が始まったり、メンバーシップ統計が短期間に劇的に伸びるとともに犯罪統計や新規感染者数が統計的有為性をもって減少するなどの現象が始まったのだ。(イランは人口が8700万だから人工的には日本と大して変わらない。活動開始からわずか数年で、Narcotics Anonymousに3万人以上のメンバーが集まっている。この活動の力強さは40周年を迎えた日本リージョンの10倍以上のメンバー数であることから見ても雄弁に物語っている)この会議から何かがイランの政権と政策に持ち帰られたことは医療や社会調査のエビデンス以外でも雄弁に語られる時があるのだ。そして、処罰や断罪を受ける前に人々が治療や回復プログラムによって行動変容がされていくことで、社会構成員が将来計画と社会貢献の可能性を断たれることなく参画しつづけられるようになる。こんな社会の有用な効果は他に類をみないものだろう。少なくとも犯罪統計が一人減るだけでどれだけの経済効果があるかを思ってみれば論を待たないだろう。社会や国体が多様であるということは、長老制による名誉殺人(私刑)のある国々もある。同性間の性行動も死刑になる国々もある。様々な事情を抱えている中で有効な感染症対策はたった一つである。予防とはウイルスを体に取り込まないこと、の1点である。

<性行動と性感染症へのスティグマは、セックスワーカーやLGBTの差別や感染した当事者への抑圧、処女性交やレイプの容認など無知が暴力を助長してきた>


性感染症だということは性的な存在である人間のもっとも基本のところに感染症が入り込んでいることを意味している。病気に貴賤上下がないように性行動にも貴賤上下はない。貴賤上下をつけようとするのは社会の側である。だからこそろくな治療法が確立できていない感染症対策で宗教や価値観などで左右されるようでは対策の議論さえできない。だからこそ棚上げするためにこれらの用語と概念を定義することは重要だったのだ。
厳罰政策をとる・とらないにかかわらない感染症対策が取れなければAIDS対策はできない。それらの障壁ひとつひとつと向き合い、丁寧に言葉の定義と用法から掘り起こすには、縦割り組織だけでは対応しきれなかった事情がある。それほど、AIDSパニックと予防と治療アクセスの整備は30年以上の困難な歴史の上にあった。

<わたしの問題意識とブログ執筆開始もIASとハームリダクションを見てきた30年の経験を次の世代へバトンをつなぐため>


これから先、わたし自身の半生の気づきや経験をふりかえりながら記録し続ける作業を始めることにしたのも、これだけ世界の人々が自分たちの尊厳をかけて真剣に議論し、それらを自分たちの社会へ持ち帰っていることを知っていて黙っている、ということがもう、これ以上はできなくなったからだ。

多くはこの10年ぐらいの間にFaceBookなどでかきk散らしたスケッチを少しずつ形にまとめなおしている。
私自身のスタンスはこの書類の中にあると言ってもよい。
このワークの底流をささえるIAS(AIDS国際会議)2004バンコック会議の成果はすごいものであったし、AIDS予防財団のスカラシップに感謝している。

80年代から90年代にかけてのAIDSを自分達のこととして経験し、2000年代国際裁判でアジア・アフリカの治療アクセスと最新レジメンのジェネリック薬承認というプロセスをもって徹底的に治療が最大の予防だというメッセージに繋げていこうとしてきたUNAIDSと当事者たちの取り組みは各ページで出されている強烈なワンフレーズとパネル写真で構成されている。
原資料へのリンクなどはこの後にあるのでぜひダウンロードして私が付したGoogle翻訳より精度高く読み取って戴ければ幸いである。

社会構造としての3重性(AIDS・薬物・貧困)と
コミュニティ(当事者・選択できる伴走型支援・社会基盤整備)
HAART確立の2005年までは死病一辺倒だった。治療薬の効果と製薬会社の特許無効の国際裁判などでアジアアフリカの治療環境整備はジェネリック承認がなければ成立できなかった。
全ての当事者が円卓でワークショップで語り合う意義


死病や静脈注射や性感染が経路になる感染症へ与えられ続けたスティグマと
行動行為者・貧困者への差別



行政サービスで行えてきた限界とはどこにあったのか。


C型肝炎問題
People Who Use Drugの抱えている問題について
女性の薬物使用者・薬物使用者の妻
UNAIDSで定義するValnerableな人々=女性、性的マイノリティ、若者、子ども、薬物使用者・・
国連のかけ声「投獄ではなく治療を」
イランはこの宿題を本国に持ち帰った。イスラム原理主義の国がただちに治療環境整備と自助グループの存在を認め容認した。たった3年でNarcotics Anonymous(12ステップセルフヘルプグループ)の活動が単一国で3万人のメンバーを集めている。

ここで考えられているのは、愛する国民がよりリスクや苦しみが軽減されて生産の中に戻ってきてくれること、モラルや宗教で人を縛ったり罰することより資源として迎え入れること、重篤な感染症であるAIDSの感染経路を断つ事、つまりHarm-Reduction(実害の軽減)について考えることなのです。

↑↑オリジナルのファイル

↑↑今回挿入しているGoogle日本語翻訳を付けたもの


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?