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「憎悪のピラミッド」(Anti-Defamation League出典)について==認識と行動の弁証法・「わたしのなかのわたしたち」の視点から==

これはTwitterで拾ってきた画像なのだけれども、坊主にくけりゃ袈裟まで憎くなっていく、先鋭化の構造論がよくつかみ取れていると思う。マズローによる承認欲求と必要の欲望を描いたピラミッド構造にも合致する。
ただ、もう少し言うならば、このピラミッド全部が「憎悪」「暴力」「差別」であることを見失い、一部分だけをさして「このぐらいいいじゃない、殴ったわけでもあるまいに」と正当化をする人が必ずいる。
「自分はハラッサーだ」と言っているのと同じなのだが。

ながめててふと思った。これは逆さにすると第二信号系の図式にも似てるなあと思い直して再構成を試みてみた。

これをさかさまにして、逆三角形の二つの辺に着目してみたい。


これを片方を認識・認知、もう片方を感情としてみたらどうだろう?

縦軸は結果として見えてくる行動である。
パブロフの認識と行動の弁証法的関係性は、逆三角形構造でみれば意識的に先鋭行動をとるジェノサイドと、なんとなく「弄り」「噂話」に参加している「ゆる・ふわ差別」と行為の強弱での違い、理解・知覚の強弱、感情面で主体化・自己目的化・納得度合いなどの強弱、の違いはあっても、根っこは憎悪・恨み・偏見・差別である、ということが一元的に理解できる。
逆のピラミッドは認識と行動を弁証的に解明したパブロフの第二信号理論でも明確であり、70年代、乾孝氏が繰り返し強調していた認識と行動の弁証法でもある。それゆえに違いばかりを強調するのではなく、そこから得られtる違いと苦痛苦t悩は連帯への第一歩だと対話し続けるのが民主主義であるものの、やはり浪費は避けたいものである。対話が継続されそれぞれの内側に共通認識を理解として更新され続けること、つまり常に変化し成長しつづけることで初めて可能になる。この対話、変化と成長が向かう先が、平和と民主主義の希求であり基本的人権の尊重なのであり、これらを国家権力の都合で上から塗り固めて過去を消し去るような変化であってはならない。だからこそ、憲法で権力機構へ人権の縛りをかけるのが発達した資本主義社会=戦争による収奪や恐慌の元凶が独占にあることを反省した高度な資本主義社会=では、人権抜きに商売は不可能だと繰り返し確認するわけである。
もう少し、私達の日常に目をおろしてみたい。
「中二病」という日本特有の傾向がある。欧州の基準に照らしたら大半が精神病院に入院する必要があるとされるアダルトチャイルド傾向についてを日本の差別社会が名付けた不名誉な概念である。これだって、憎悪のピラミッドの構造に当てはまるのだ。
日本の子どもは、親の仕向ける差別や男性至上主義社会に乗ったいじめ、差別そのものを見て育った。だから「オトナでもなく幼児でもない」自分たちを選んだではないか。親たちの思慮のなさ、底の浅さを本能的に見抜いて子は離れた。「中二病」と我が子にまでラベリングしてスティグマを与えたのは親だ。

人間精神や社会のダイナミズムを表す概念(思考の形式をことばにあてたもの)は固定的なものではなく動的なものなのだから。自他共に変化するための考え方・取り組み方の切り口以外ではない。変わることを他者にだけ要求するのはルール違反・法則違反というものだ。つまり「社会の科学の名に値しない」ということになる。
つまり、というか、このままでは、というべきか・・・
行政丸投げ司法丸投げの市民状況の日本じゃ集団リンチや暗殺ばかりになることが懸念されるわけである。トラウマとスティグマばかり再生産されていくことになりかねない。


70年安保の分裂を招いた結果は内部分裂を仕向けられるだけの個々人の分断化が55年体制以後の文教政策・国民分断工作(労組の分断、大学の地方移転、国大解体)が20年目にして効果を発揮してきたという事以外ではないだろう。それにまんまと乗せられていった結果大同団結ができなくなっていった。かくして緩やかな連帯を誇った日本社会党は壊滅に向かい、日本共産党だけが生き残ったではないか。社会党がだらしなかったのではなく人々が孤立固体化させられ、自分だけ正しい人たちばかりが寛容さを失った結果以外ではない。たかだか秘書の不祥事でスキャンダルを巻き起こしたかのように仕組まれた報道の中で国民はまんまと踊らされていたわけで、それでは与党せいりょくや他の勢力での不祥事が出る段になると「いつまでも個人を非難するものではない」という主情的な号令であっという間に黙る。これを組織行動・カルト的反応と言わずしてなんとやら、である。
認知と感情が社会に開いていけばいくほど認識・認知と感情の幅は広くとらえられ、大同団結というべき方向で豊かに繋がりあいながら行動も発達していくのだが、認識と感情と行動は絶対的な一致=一枚岩となることは全体主義以外は認められないほど先鋭化し他を許さなくなってしまう。そうした可変性と脆さも併せ持っているからこそ、丁寧に話し合いをしていかねばならないのではないか。敵の口座に振り込んでしまっても孤立と分断を生むだけだし、無責任な相対主義化も結局は対話を生まないから臭いものに蓋をしたのと何ら変わらない。それを差別だとも気づかない人たちがうようよ当事者の周りに集まってくる。厄介な時代だ。

逆三角形構造は認識と感情の間をつなぎながら二重らせんのような曲線をつなぎながらループ式に広がりながら上昇(発達)していく。という構造を指し示すことになる。では何を発達させているのだろうか?
無責任・無反応化、そして個人の分断に基づく愚衆行動・付和雷同型の野次馬社会へとその限り「進化」しているではないか。

「わたしの中のわたしたち」と内なる仲間たちの獲得と対話・対決を通して弁証法的に内面が発達していく、としたのが乾孝の心理学でもある。
人間は、言葉を通して、態度を通してまるまる感情ぐるみに社会を反映した大人たちを吸収しあるいはひはんてきに摂取・咀嚼をして成長をしていく社会的な存在である。その人の中に人間観も社会観も反映しているし、その違いあればこそより良い未来の関係性作りのために話し合いも対話もお付き合いも始まるわけだ。成長につながるだけの理知や上昇的な感情がなければ簡単に堕落や迎合にもつながることはパブロフの二重らせん構造で明確かつシンプルに図式化できているではないか。

乾孝は法政大学の心理学研究室でパブロフの第二信号理論を徹底的に深めていた。アメリカ心理学会で取り上げられているパブロフとソビエト科学アカデミーで追究されていたパブロフとを比較検証もできた稀有な学者である。法政大学が世界でも稀有な思想の総合大学と言える所以は「ソ連なんて」と頭ごなしに毛嫌いする学者は居なかったのだ。歴代労農派や右派や共産主義者も丁々発止とそれぞれの研究を発表する場として保証されていた。だから、研究室単位の自主性によって、毛嫌いせずにソ連科学アカデミーで進化していた学問も、アメリカや欧州の科学論文も当価値のものだと検証しつづける研究室があったということ、たとえソ連の手先だと揶揄・攻撃があったとしても揺らがずに研究を持続できた土壌・基盤が法政大学の中にあったということでもある。それ故にどちらのウイングの学者にとっても、必ずしも居心地が良い訳ではなく、乾孝をしても「法政砂漠」と言わしめているわけだが、それであったとしても法政大学に学んだ学生が完全なるバカではなかったことが幸いしている。優れた先達のいかほどでもテイストをもらって成長することが一応できていた、ということになるからだ。歴代法政大学生はこの世に唯一正しい事などどこにもないことを身をもって知ることになるはずだし、壁一つ隔てて180度違う見解が述べられる自由にあっけにとられただろうと思う。ある学生には「何を言ってんだ」と反発もあっただろうし、ある学生には「自分と同じことを思っている人がいた」という感激もあったと思う。それがあったればこそ高等教育は花開く。

「わたしのなかのわたしたち」

僕の理解は半端な理解にすぎないけれども、それでも僕にとっては、自殺しないで済んだ大切な概念であり人間観でもある。もうこんな自分も社会も嫌いだと絶望のふちにあったときに、同じような思いで自殺未遂をしたり手首を切ったり、記憶を失うまで酒を飲み続けたり、頭が真っ白になるまで覚せい剤や大麻を使い続けた人たちがあった。その人たちの過去から現在未来に目を向けるに至った回復ストーリーに出会うことができたとき、僕の半世紀にわたるストーリーの扉が開いた。同時に彼らとの出会いを通して自分の内なる問題で孤立化していた側面と、孤立に追い込まれていく必然も見えるように変わっていった。「わたしのなかのわたしたち」に沢山の無名の仲間たちの無念や苦しみや恨みや感謝が今の自分の中ですべて繋がり、それらを自分は自分の経験とクロスオーバーさせ、自分のこととして課題と向き合いはじめることができた。

50歳から始まった成長

人間の可変性の可能性について、恐ろしくも見事に抉った乾さんとパブロフの理解について。これはマズローの欲求に基づく三角形構造について、まったくパブロフ的ではない岩室医師が「訳語がこうなったら公衆衛生やコミュニティ活動的だよね」とコメントした。
「マズローの三角形」の「欲求」という訳語がちょっとちがうんじゃないだろうかというアプローチ。経営学者には青天の霹靂のような意見であり、おそらく偏狭な人たちは聞く耳を持たないだろう。
だけれども、期せずして岩室医師があてがった気づきは、ことばによる認識の発達、というパブロフの切り口に共感し乾孝が引継いだ第二信号理論を「芸術の論理」「文体づくりの国語教育」へ結び付けた熊谷孝がある。
これについては別の機会にまとめたい。ただ一点だけ申し添えておくならば、社会的な存在として社会と離れない密接な働きかけの中で、どういう刺激と反応を自己内部へ組織化していくのか、というダイナミズムこそが成長と教育でもある。だから、とでもいおうか。黙らないで自分の経験を言語化しそれらの法則性と願いをさらに概念へと仕上げられるよう手をつなぐ経験をもっとしていこうよ、と思うのである。そのためには違いを突きつけられる苦痛を恐れない事だ。包丁で刺されない限り我々は安全なのだから、まずは心の傷をなめてもらうこと。
傷をなめ合うことは安全本能・共存本能の第一の現れだからだ。強い個我があればよいとするプラグマチズムの発想は「群れ社会」で生きる人間には不似合いである。誰かれなく傷をなめ合うようでは堕落だといういわれはわからなくはない。目標水準を誤ってはならない、という労働の科学でも釘をさされている。だが、傷を癒すのも同じ辛い経験をした者たちにしかその傷の傷たるところを解明できない。外側に居る人たちには無理である。だからこそ安全安心をグランドルールにできる唯一のカギは「無名性=自分のサインを消す事」になる。匿名ではない。無名(意識して名前を消す)ということだ。これも改めて触れたいと思う。


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