生きる限り続く変化と7000人分の出会い
人の心は、日々刻一刻と変化する。
ある日のある人の考えや思いも、今日と同じとは限らない。
そしてその変化は、なんでもない日のちっぽけな出来事がきっかけだったりする。
私は、社会人1年目の1年間、小さな南の島の高校で働いた。その生徒数は当時全国に約7000人。彼らは入れ替わり立ち替わり、南の島を訪れ、初めて出会うメンバーと1週間限定のクラスメイトとなり、共に過ごす。
彼らは様々な背景を持ちながら、そこにいた。
長くて濃いつけまつげを落とした深夜、生きてる意味が見いだせないと自販機の前で泣いた彼女。
社会のルールを守る価値が理解できない、だって自分は守られてこなかったと喚いた彼。
満天の星空に歓声が上がる中聞こえた「震災の時みたい」という呟き。
トラブルは大小様々たくさんあった。笑いすぎておなかがよじれることも、泣きすぎてまぶたが変形したことも。
目まぐるしい日々を一つ乗り越えるたび、私の中の何かが小さく変容した。
それは大げさではなく、固定概念がひび割れたり、世界の新たな一面に気付いたり、信じていたものが信じられなくなったりといった変化だった。
昨日の私が信じていたものが、翌日には信じられない、小気味よい感覚。所詮自分の考えなんてちっぽけで、すぐにひっくり返る。できることをやろう、謙虚であろう、そう思うようになった。
そしてこの春、私は初めてこの町に来て、知らなかった世界に触れる機会、価値観が揺さぶられる機会が格段に増えた。培ったちっぽけな経験が、本当にちっぽけだなあと心許なくなることも多い。
でもそれが、とても心地よい。
「この前と言ってること違うやん」を恐れずに、「今、私はこう思う」と笑いながら、自分と相手の変化を軽やかに楽しんでいたい。
「あの人はこう言った」という過去を、程よく緩やかに手放していたい。
奇しくも、津和野町の人口は、当時の島の全校生徒と同じ約7000人。
明日の私は、誰に出会い、何を信じているだろう。
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