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【子育て】0が1になった時の達成感に寄り添うためには

この3ヶ月くらい、長男の日常生活における成長に、親として楽しませてもらっています

今までは、ぐちゃぐちゃに色を塗るだけだった塗り絵を丁寧にできるようになったり、人の顔、何を書いているか判別つかなかったお絵描きに関しても、キャラクターの顔の輪郭と目鼻口がわかるようになったり

ひらがなを徐々に読めるようになってきたり、自分の名前を書けるようになったり

少し自分の気持ちをコントロールできるようになったり、没頭してしまうスマホも自発的に終わりにできたり

サッカースクールの体験会で、知らない子たちに混じっても遠目で見守っていれば自発的にレッスンに参加できるようになってきたり

そんな感じで、トライはしてみるものの他人には理解できなかったり、親が希望するような着地にはなりにくかった幾つかのことが、少しずつ自分なりの工夫で他者でも理解できる形となって表現できるようになってきました

※最近の長男のアップデート感はこんな感じ。。

まさに、0を1にできるようになってきている時期

長男はそんな最中にいるのだと思います

もちろん、長男の同世代の子どもたちの中にはもっと早い段階でこのフェーズに来ている子もいます

タイミングの差は個人で分かれるのを気にして焦ることはしないように心がけていく前提ではありますが、この時期の子どもたちとの時間の過ごし方は今まで以上に大切なのかもなと、しみじみ思う日が最近は続いています


そんな中で、私自身の幼少の頃を振り返った時に、自分がこの0→1といった感じで何か形作れるようになった時期はどんな記憶が残っているか

そんなことを考えてみました

その時にパッと出てくるのは、家で褒められた記憶というより、公園で友達と遊んでいる時や、習い事などで成果を出した時の思い出が強いなという印象

なので、今の我が家の子どもたちと比較するともう少し外の人たちと触れ合う機会が多く、その時に得られた成功体験が自分の礎になっているような感覚を持ちました

私が幼少の頃はどちらかというと経済的に豊かな時代だったかもしれませんし、親がいなくてもかなり小さい頃から家の近くの公園に遊びに行くような時代だったように思えます

公園に行けば、誰か近所の知り合いの親が見ててくれたりしましたし…

習い事を何個か掛け持ちでやっている子どもも多かったと聞きます

もちろん、家庭環境や地域差は絶対あるので、これが当たり前の時代だったとは言えないものの、この令和の時代に置かれた少し閉鎖されてしまいがちな環境は、子どもたちが広い視野で成功体験を得ていくには親として工夫が必要そうな気がします

例えば、我が家は共働き世帯なので、習い事に通わせるにしても曜日や時間に限りが出てしまう点

例えば、昔と違って近所の人たちとの付き合いも浅く、子どもたちはほぼほぼ家族や親族との接点が中心になってしまい、いざという時に知らない環境を警戒してしまう点

そんなところは、かなり悩ましさを感じることが多いです

もちろん、こういった課題感を解決する道筋は引き続き探していくのですが、その環境下においても自分の子どもたちが成功体験が素晴らしいものであると印象付けてくれるように家庭内の中でもしっかり向き合ってあげないといけないものなんだろうなと考えるようになってきました

我が家はどうしても子どもたちは歳の近い男兄弟なので、まだ3歳になりたての次男がちょっかいを出したり、わがままを言うことで長男が物事に集中できない時があったりします

なので、例えば私と長男で少しそとのカフェとかファミレスにでも行って、集中してお絵描きやドリルをやれたりするような時間を確保してもいいのかもしれない

そんなことを考えつつあります

いわば、臨機応変に調整可能な「家庭内の習い事」の時間の創出

そんなシーンを少し検討してみようと思っています

また、習い事の体験会はWebやSNSで充分探せるし、申し込みや参加自体も簡易的に後腐れなく完結するのがスタンダードになってきています

ここら辺の有効活用なども、工夫のひとつかもしれません

YouTubeやオンラインで学びを深めることもできる世の中

一つの習い事にどっぷり浸かるだけが正解ではないのかもしれません

ある意味、親も子どもに合わせて0→1を考える時代

親のサポートが全てではないですが、環境や金銭面で圧倒的な解決を選択できないならば、そんなところが求められるのかもしれないなと何となく考え始めているので、何か有効策を見出したらnoteの場でも紹介していければと思っています



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