貧乏育ちのボクが向き合い続けて来た【お金】の正体

おはようございます、命の次はお金をテーマに扱って、重いテーマが続くので次はカップラーメンとかでもテーマにしてみようかなと考えてるゆーと。です。

#1 貧乏で育つメリット

僕は生まれてから高校を卒業して、社会人になるまでの間、いわゆる「貧乏な家庭」で育って来ました。

ただこれはけして貧乏自慢をして、今までこんなに苦労してきたんだぜ!みたいな皆さんの時間を無駄にするような話がしたい訳じゃないので、最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

さて、そんないわゆる貧乏家庭で育って来た僕は、学生時代、「お金」というものと向き合ってきた回数が多かったように思います。


例えば毎日のご飯!僕の実家の制度として、中学生になったくらいのタイミングから日々の生活費として、1日いくらって感じでお金をもらっていて

そこから毎日自分で朝昼晩、おやつ、飲み物、友達との交際費、洋服代や漫画代を賄っていました。

当時は彼女が居なかったので、彼女との交際費がかからなかったのはデカイですね

その為、どこにどのようにお金をかけるのかを中学生の時から向き合ってきました。

当時から僕は洋服が好きで、基本的にはやっぱり友達との交際費と洋服代に出来るだけお金を使いたい。

だけどお金は限られているので、そのなかで交際費や洋服代を増やすには、お金を増やすか、日々の食費を節約するかの2択しかありませんでした。

なので、まずは食費を節約をする。というところから入りました。

僕は今でも基本的に食にあまり興味がなくて(お酒は大好きですが)安くてお腹にたまれば何でもいい。という考えとなっているベースはきっとこの頃の経験があるからだろうなーと思っています。

その為当時の僕の主食は当時帽子パンと呼んでいた、外側の耳の部分がちょっと固くて1番美味しいフワッとしてる茶色いパン(伝わる人には伝われ)と、ポップコーンが主食でした。

飲み物は基本的には水道水。

友達といるときは一リットルの紙パックのレモンティーを見栄で飲んでましたが、1人でいるときは基本水道水で過ごしていました。


それでも、洋服代や遊ぶお金が足りなくて、当時の僕は洋服好きと、貧乏人特有の勿体無い精神がこうじて、裁縫が得意だった為

友達が買ったズボンの裾あげや、シャツやブレザーのボタンの縫い付け等を100円~300円貰ってやるという方法で、お小遣い稼ぎをしていました。

そんな感じで、自分は何に優先してお金が使いたくて、どこを削れるのか。そしてその為にはいくらお金がいるのか。

そういった事を中学生の時から考えて過ごしていました。

次にお金について考える機会が出来たのは、高校三年生の時でした。

この時の僕もやはり洋服がすきで、将来は洋服に関する仕事がしたい!だから学校も洋服の専門学校に行きたい!

みたいな感じで進路を希望し、受験もして都内の専門学校への進学が決まっていました。


がしかし結局入学は辞退する事となりました。


シンプルにお金が無かったんですね。


そこで僕は、高校卒業からショップ店員としてアルバイトをして、お金を貯めて専門学校へ行こう!と考えます。

しかし、そこで働いてお金を貯めている最中にひとつの疑問が出てきました。


そもそも本当に専門学校行く必要性ってあるのかな?

という疑問です。

別に今ショップ店員として、一応ファッションに携わる仕事は出来ている。

このままキャリアを積んでいければ、バイヤーだったり内部のポジションにつくことだって可能。

ファッション系の専門学校に通ったところで取得できる国家資格や食いっぱぐれのない資格やスキルが手にはいるわけでもない。

入学にかかる支出に見合ったリターンが果たして得られるのだろうか。

そう考えた結果、僕は専門学校には行かない。という選択をとりました。

これは決してファッション系の専門学校にいってる人達を否定している訳ではありません。

あくまで、僕のなかでの判断基準では浪人してファッション系の専門学校に進学する。という選択肢はNOだったのです。

そんな感じで学生時代から比較的「お金」と向き合う機会が多かったのは、貧乏で育ったことによるものなので、それは今考えるといい経験だったなーと思います。

#僕なりに出したお金の「正体」

では今日のタイトルともなっている、【お金の正体】とは一体なんなのか。


これは僕の中で2つ答えがあります。

ひとつめが

お金と信用はぼぼイコールである。

ふたつめが

お金(信用)の多さ=選択肢の幅である。


です。

まずひとつめのお金と信用はほぼイコールについてですが

例えば皆さんは街中の知らないおっちゃんに、お金貸して!といわれて貸しますか?

恐らく多くの人は貸さないと思います。

逆に自分がめちゃくちゃお世話になってたりする人や、仲が良い親友から、お金貸して?

って言われたら、自分の許容範囲の金額であれば貸すと思うんです。

つまりそれはこの人なら返してくれるだろう。もしくはこの人が万が一返してくれ無かったとしたら、それはよっぽどの事情なんだろうし、別に最悪返ってこなくても仕方ない。

という相手への信用を元に貸してるハズなんです。


これは裏を返すと、自分の信用度はお金に両替することが可能ということです。

つまり、お金が全くない人でも

先輩から可愛がられる能力がめちゃくちゃあれば、こいつは可愛い(信用がある)から飯ぐらいなら奢ってやろう(食費という対価)ってな感じで、食いっぱぐれることが無かったりするわけです。

ではふたつめに

そんなお金や信用があると何がいいのか


それはお金や信用の量が多いほど、選択肢の幅が広がるからというのが僕なりの答えです。


例えば、あなたが今手元に千円しか持っていなかった場合、1万円の商品を買うことは出来ませんが

あなたが一万円持ってる場合、千円の商品を10個買うことも出来れば一万円の商品をひとつ買うことも出来る。

つまり、それだけ選択肢が広がるわけです。


これは信用に関しても同じことで

あなたを信用して、1万円出資をしてくれる人が10人しかいなかった場合、10万円の元手で出来るビジネスしか出来ません。

あなたを信用して、1万円出資をしてくれる人が100人いた場合、100万円の元手のビジネスも出来れば、50万円の元手のビジネスを初めて、残り50万円は運転資金としてとっておくという選択を取ることも出来ますよね。


つまり、お金や信用の量が多いほど、その人の人生における【選択肢】が広がると僕は思ってます。

なので僕が考えるお金の正体は、

①お金とは信用とほぼイコール

②お金(信用)の量=選択肢の幅

です。


皆さんもこの機会に、自分にとってお金とは何なのか、一度向き合ってみるきっかけになれば嬉しいな。と思ってます。


ではまた!


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最後まで読んでくれてありがとうございます。

このnoteでは僕なりに向き合ってきた「お金」や「生き方」や「仕事との向き合いかた」や「広告・宣伝」について投稿しています。

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