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凡人の呪文


もし自分が魔法使いだったとしても、活躍できる自信がない。

呪文が恥ずかしいからである。


ハリポタの世界では「アロホモーラ!」で鍵が開き、「シレンシオ!」で人が黙り、「インセンディオ!」と唱えれば火をつけられる。ただ、USJ以外の現実世界でそんな言葉を叫ぶのは結構リスキーだ。万が一魔法が不発だったらただの不審者になってしまう。

「魔法使いになれたら」なんて空想の話で自信喪失してもしょうがないと思われそうだが、この仮定が完全な妄想だとは言い切れない。

実は、僕は高校時代魔法使いに会ったことがある。



放課後、体育館のステージで文化祭準備をしていた時のこと。

突然「そんなのただのオナニーじゃねーか!!!」と怒鳴り散らす声が聞こえてきた。

AV監督がもっとアクロバティックな自慰を見せろと鼓舞しているのかと思い、ステージの幕から外を覗いてみた。

普通にバレー部が練習しているだけだった。

鬼顧問が「自己満足しか得られず実践に繋がらない練習」のことを「オナニー」に例えてゲキを飛ばしていたのである。



彼はたった一言の”呪文”で多くの人々を動かした。



僕はステージの幕を開けてしまった。
一緒に準備していた女子生徒の談笑は止まった。
そして何より、たるんでいたバレー部員は熱心な練習を再開した。

アロホモーラ、シレンシオ、インセンディオである。



鬼の顔をした魔法使いは、簡潔かつ思春期の男子に最も効果的な呪文で生徒の心を動かしていたのだ。

冷静に考えれば、こんな感情的な罵声にいちいち向き合う必要はない。
「おいおい、君にはこれがオナニーに見えるのかい?
じゃあ君はワイフとご無沙汰なときバレーボールを相手にしているんだね。HAHAHA!!!」
とでも返せばいい。

しかし、あの声のデカさとワードの強さの前で冷静になるのは不可能だ。
理屈を圧倒する力。これは魔力と言っても差し支えないだろう。


呪文を叫べなければ魔法使いのスタートラインにも立てない。
恥ずかしいことを大声で言える人こそ、世の中を変える魔力を手にできる。

そう考えるとやっぱり自分は魔法使いに向いていない。
誰のことも操れないし、どこの扉も開けない。

魔法の杖みたいなのを授かっても、家の中で電子レンジとか浮かして終わりだと思う。変な杖をちちんぷいぷい降ってるのを他人に見られたらなんて説明すればいいんだ。誰にも影響を与えずに、自分だけが気持ちよくなる使い方しかしないだろう。



いや、そんなのただのオナニーじゃねーか。



言葉を話す人間である以上、誰にでも魔法を使うチャンスはある。
効くかどうかは唱えてみなくちゃわからない。

僕はただの凡人なのかもしれないが、あの時の鬼顧問に向けて、ささやかな呪文を唱えたい。







「恥を知れ。」










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