読書をしないことによって、読書に関する造詣を深める。

 中学時代の僕は、難解で複雑な本を背伸びして読むような人間だった。文学で言えば、マルセルプルースト『失われた時を求めて』やフランツカフカ『城』など、当時の僕からすれば、楽しさよりも苦痛が勝る作品ばかりだった。しかし、現在の僕は絶対にそんなことはしない。楽しさが勝る本だけを読み、苦痛が勝る作品は苦痛を和らげる何かしらの措置を取って読む。読書をしないことによって、読書に対する造詣を深めるのだ。

 本は紙に印刷されることに最適化されたコンテンツだ。しかし、デジタルデバイスの普及した今の時代なおいて、本は情報収集において最適なコンテンツではない。もちろん、人類が長年の歴史の中で作り上げてきた文字言語という形式は今でも情報収集フォーマットとして充分機能するだろう。しかし、それはXやnoteであって、紙の本ではない。このフォーマットとしての古さが、僕らを本から遠ざける1番の原因であると僕は考えている。

 だからこそ、僕は本ではないフォーマットに順応していく自分を、無理やり阻害したくない。長い文章を読めない。紙で文章を読むのが苦痛。そんな自分になることによって、そのような時代の変化を突破してくる本との出会いに胸を高鳴らせたい。だから、僕は本を読まない。新しい時代の、新しい形の本に出会うために。

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