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noteはSNSか?チラシの裏か?

私にとってnoteは、限りなく「独り言を吐き出す場」に近い。
閲覧数を増やしたり、スキを貰ったり、コメントを書いてもらったりシェアしてもらったりという考えはほとんど一切なく(してもらえれば勿論嬉しい)、なんとなく自分の言いたいことを書き散らかしているだけなのだ。

ただ、「見てくれている人がいるかも」という意識は常にしているから、いたずらに誰かを傷付けるような言葉を遣ったりはしないし、基本的に批判記事のようなものは書かないようにしている(書きたいとも思わないが)。
そういう意味では、「1人きりの部屋でぼそぼそと言っている独り言」とはまた違うような気もする。

私にとってのnoteとは、ニュアンスとしてはおそらく、「チラシの裏で誰かと交換日記をしている」というのが近いのではないだろうか。
壁に貼り出す学級新聞ほど力を入れて書いているわけではないし、返信を期待して送る手紙やアンケートともまた異なる。
書きたいから書きたいことだけ書いてそのへんに放置しているもので、通りすがりの誰かが目にとめてそれに何かを書き足してくれることもある。
タイミングや内容によっては一切誰の目にも止まらず、雨に濡れ風に飛ばされネットのどこかに流れて埋もれてしまう。
その気軽さと、なんでもなさが私にはとても心地好いのだ。

もちろんこれは、noteを「発信型SNS」として利用し、誰かからの注目や評価を集めようとしている人を否定する意図ではないし、他のSNSと同じようにnoteを交流の場としたりnoteで(過激な)自己主張をする人を否定する意味でもない。

ただ、私は、「誰かからの反応があってもなくてもいいし、言いたいことをいつでも言いたいだけ言える」というこの形態をとても好ましく思っている。
それは、「そういう使い方もできる」というnoteの幅広さのおかげでもあるし、どちらかがどちらかをnoteから追い出そうとしたりしないという、noteユーザーの寛容さの上で成り立っているともいえる。

タグ検索がとても使いやすいので、棲み分けができているというのも大きな理由の1つであろう。
かういう私も、自分で記事を書く以外は、フォローさせていただいているユーザーさんの新着記事を読むか、自分が読みたいタグで検索をかけて上から順番に記事を読むか、たまにおすすめ記事を読むかくらいのことしかしない。
某Xのように読みたくもない(自分が好ましいと思わない)内容がガンガン目に入ったりはしないし、ほどよくオープンで、ほどよくクローズドであるこのバランスがちょうどいいと感じるのだ。

ちなみに私はいわゆるツイ廃である時期があったし、インスタもしているし、その他のSNSも割と網羅してアカウントを持っている。
ただ、多くのSNSはどちらかというと「学級新聞」であったり「誰かへのお手紙」みたいなふうであることが多いように思う。
noteと比べると、「自分を見ている人」とても強く意識してしまうし(実際はほとんど見られていないとしても)、そのうちに自分も「もっと見られたい、反応が欲しい」と思うようになってしまうような気がするのだ。

私はnoteに週4~5で記事を上げるようになっておそらく4か月くらいが経つが、たまーにダッシュボードを覗くと「本当に誰の目にも止まっていなさそうな記事」もあれば、「読んでくれている人もいるがコメントもスキもほとんどまったくついていない記事」もある。
一方で、「なんだかめちゃくちゃ読んでもらえてる記事がある!」と驚くこともあるし、スキをたくさん貰えている記事もあれば、通りすがりの誰かがコメントを残してくれている記事もある。
閲覧数はともかくとして、スキがつくと嬉しいし(私もスキですという気持ち)、コメントが貰えた日にはにこにこで1日を過ごすことができる。

そんな中で、noteでは何故か「もっと閲覧数が欲しい!」「もっとスキしてもらいたい!」「フォロワーが欲しい!コメントが欲しい!」みたいな気持ちになることが全くないのだ。
他SNSでいうところの、いわゆる「フォロバ率100%です!」みたいな繋がり方も欲していないし、「バズるためのキャッチ―なネタを探せ!」という気持ちになることも一切ない。
これは、「書いている人」と「読んでいる人」の距離感が本当に丁度いいからだと感じる。

そんなふうに「チラシの裏での気軽な交換日記」のようなニュアンスで続けているため、私は必死になることもなくしんどくなることもなく、ややイカれたペースでずっと更新を続けていられてるのだろうなと感じる。
読まれていても読まれていなくても苦しくないし、仮に閲覧数0の記事が出てきたとしても私は本当に気にしないと思う。

だからこそ、誰かに目に留めてもらえた時には「え!?この広い世界で!?あのチラシの裏を!?見つけてくれたんですか!?」と嬉しい気持ちになるし、コメントを付けてもらえた日には「うそ!火星で地球人と立ち話することができた!」みたいな喜びを感じることができるのだ。

そういう理由もあり、私はフォローしている方々の新着記事にはほとんど全てに目を通しているし、積極的に誰かの記事にコメントを残すようにしている。
タグの繋がりで見つけた素敵な記事にスキを押しては、そのユーザーさんの他の記事を読み、いいなと思えばフォローをする。
それは、気軽に、そして奇跡的に成立するほんの一時の交換日記である。

この、SNSのような、チラシの裏のような、ほどよく、丁度いい距離感。
おそらく、「根っからの字書き」が望む距離感の理想形に近いのではないだろうか。
本の虫みたいに、行間に生きる我々にとっては本当にとてもありがたい。と、思う。

今のようなペースでいつまで書き続けられるかわからないが、もしかしたら、noteというサービスが終了するその日まで延々と書き続けるのかもしれない。
そういう妖怪になりたい気持ちは、ある。

今回はそういうお話でした。
ではでは、今回はこのへんで。


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