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夢見るユメコに吐き気がするのは、見たくない自分だったから

『もしも叶うなら』  

noteを開くとそんな言葉があった。 
私の体毛がざわっとする。

~なら、とか ~だったら、とか 
そんな言葉が私は嫌いなのだ。 
もしも叶うなら、と言っている時点で「私には叶わないのかもしれない」と言う弱々しい気持ちが既に見えるような気がする。

どれだけ『もしも叶うなら』と神様にお願いしたか分からない。

子どもの時からずっと。

でも一度きりでも誰も神様も
私の「もしも~なら」を叶えてくれたことなどない。
いつも目の前にある事が現実で全てだ。

もしも私に母親が居てくれたなら、
大正生まれの祖母が選ぶ服を「ダサい」と
いじめられる事もなく、母親参観がどれだけ楽しみだったか分からない。

もしも私が成人するまで
祖母が脳梗塞で倒れなければ、私は父と自分のお弁当を13歳から作る毎日など送らずに学生らしい毎日を過ごしていただろう。

もしも祖母が元気だったら、
県内でも可愛いと評判の制服を着たまま祖母のトイレ介助などする必要はなかったし漏らした廊下を拭く事もなく、可愛い制服で街を闊歩したと思う。

もしも最初の結婚で、
彼が事故死しなければ
私はどこか違う国で愛する人と音楽を聴きながらコーヒーを片手に人生を送っていたんだと信じている。

もしも叶うならなんて
思う事すら馬鹿馬鹿しいと思う。
そんな事を思ったところで過去はどうしようもないし、変わってしまった過去で未来も変わってしまった。

いつまで自分が健康で居られるかなんてわかりゃあしない。 
突然今日の夜、明日に死ぬこともあるのが生きている生身の人間なんだ。
今が幸せだと思っていても突然手のひらを返したように、裏切られて地獄を見る事もある。

「お化けなんかより一番怖いのは生きてる人間だ」
そう言っていた祖母の言葉が良く分かる。

人なんてわかりっこない。
自分の事も良く分からずに、
自分探しにいろいろなツールを使って
お金を使って探しまくっているんだから、
他人なんて宇宙規模の未知でしかない。

表面で笑って心で刺してる人もいる。 
人ってそんなもんだから。

でもどうしてだろう。
ざわっと嫌な気持ちが私を取り巻いて暗雲の渦になっても、そこから時折漏れる光の様に「もしも叶うなら」と問いかける自分がいる。

私はそんな助けてくれることも無い神様やら、
何かにタラレバ話をする程暇じゃないし弱々しくも生きてない。
現実の中に生きて、
それは、ただ生きるとかじゃなく
生き残る位のレベルなんだ。
自分探しなんてそんな意味もない事はしない。
自分として生きているだけ、
それだけで自分であり、わざわざ探しに行かなくともここに自分は確かにいるじゃないか。


そう思うと何故だろう。
とても涙が流れてくる。

「そうじゃない」「そうじゃないんだ」と
否定すればするほど涙が止まらない。

暗雲の嵐の中で、
そっと目を開けると小さな女の子が立っている。まっすぐこちらを向いて
悲しそうな笑顔で手をそっと伸ばしてくれる。


そうだね、私は本当は気が付いていたんだ。
人は裏切るし、日にちも決めずに大切な存在だと言いながらも遺して勝手に死んでしまうんだ。

ごめんよと言いながらも裏では同じ事を繰り返して、また形だけのごめんよを生んでいる。

でもそれでも私は人が好きなのだよね。

傷付いて、傷付けて仲良くなって、
離れて、希望と絶望の繰り返しでも、
やっぱり好きなのだよね。
現実という世界で自分という駒で生きているけれど、この現実という盤には他にもたくさんの駒がある。

それらが愛おしいんだよね。

私は女の子の手を取ると、
一歩前に踏み出してみる。
すると目の前には草原が広がっていた。

振り返ると暗雲が渦を巻いているのが見える。

私の世界は両極端なのだねと苦笑いしか出ない。 だからほわっとした「もしも」なんて言葉に
ざわっとするんだ。

『もしも叶うなら』

私は喉が締め付けられる様な苦しさを感じながらも叫んでみた。

『もしも叶うなら、私の愛する人たちが明日も明後日も、生も死もそこには何も分かつものが無く、彼らの命が尽き姿かたちが亡くなってもずっとずっと笑っていられますように』

『もしも叶うなら、私の愛する人たちが1秒でも多く私と生きた時間を記憶として持ち続けてくれますように』


叫んで思う。

これは「もしも叶うなら」ではない事を。
現実にこの先に見えた事であると。



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