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ビンタ出来ない自分で良かった

なぜ私が
仲良しだったグループの女子から
ビンタや無視をされる様になったのか
それは今もハッキリと覚えている。

私はもともと群れるのが苦手だった。
中学になって
9クラスもあったのに、顔と名前が一致するのは
両手ほどもいなかった。

そんな私にも、休み時間や
昼休みを一緒に過ごすグループがあった。

私を入れて4人。
1年生なのに3年の先輩と付き合っていたN。
少しヤンチャで不登校気味だったT。
ほわんとして癒し系のH。
みんなバラバラだけど、なぜか仲良くなって
わいわい楽しくやっていた。
中間考査も終わり
後は夏休みを待つだけねって
みんなで話していた時までは。


ある日あっさりNが先輩と別れてしまった。
ヤンチャで、ちょっと悪い先輩達とも仲の良かったTによると、
Nが一方的に好きだったのだと言う。

私は全くそんな恋愛事に疎くて
『そうか、そんなものか』と思っていた。
しょげるNをみんなで励ましたりして
また同じ様な毎日の繰り返しだと思っていた。


13歳なんて
13歳の好きとか嫌いとか
日替わりなものだ。
Nは先輩に振られて直ぐに
同級生のサッカー部のRを追いかけ始めた。

私とRは小学校が同じで顔見知りだった。
一緒にドッチボールもしたし
一緒の係りにもなったし
ゲームをしにみんなで遊びに行った事もあった。

Nは凄く積極的な子で
ついこの前、先輩と別れたばかりだと言うのに
Rに告白するんだと言う。
特別に目立つ子ではなかったけど
自信家だったのは間違いない。

Nは先輩達と付き合いのあるTに
サッカー部の中で知り合いを探して
Rに好きな子がいるかどうか探って欲しいと
頼んだ。

私は恋愛とは回りくどいものだと思いながら
Nの恋が実れば良いと思っていたし
そう話していた。

Tはそれから何日かウロウロとし
ある最悪な話を持ってきた。

RはNorikoが好きらしいと言うのだ。
部屋に小学生の頃の修学旅行の写真が貼ってあるそうだと男友達から聞いてきた。


そう言えば聞いた事があった。
Rがお前の写真買ってたぞ、と。
でもそれは、小学生の頃であり
集団写真であり私だけではなかったので気にもしていなかった。
現にRとは2人きりで話した事も無いし
遊んだ事も無かった。
いつも10人近いグループでの話だ。

それを聞いてNの激高する顔が目の前に来た。
「何、あんた知ってて応援する振りか」
そう言うNに私は
「知らなかった」としかいえなかった。
写真の話も確かに聞いたけど、
昔の事やと、そんな風に受け取ってなかったと。

「あんた、嘘つきや」とNが私をビンタした。
それを見て、Tも信じられないと吐き捨て
私をビンタした。
Hは2人の後ろでオロオロとしただけで、
「あんたとは2度と口聞かん」と言うNとTに付いて行った。

それから一学期が終わるまで
私は毎日毎日、ビンタされ続けた。
「嘘つき」と罵られ
「友達の気持ちを知ってるくせに」
「最低なやつだ」と叩かれた。

私は、もともと群れる人では無かったが
別校舎の非常階段に座って1人お弁当を食べた。
昼休みも図書室か、階段で過ごした。
見つかると罵られ叩かれる。

早く夏休みになれば良い、
それだけを考えて学校に行った。
家に帰ってくると涙が出て止まらなかった。
私が叩かれ、罵られる意味が分からない。
私が何をしたと言うんだろう。
嘘さえ付いていないのに。

一学期の終わり、終業式の朝
私はもう限界だった。
朝、ご飯を作りながら
父のお弁当を詰めながら
台所に座る祖母に聞いた。
「ねぇ、学校休んじゃダメかな」と。

祖母は普段見せない顔で
「好きにしたら良いよ」と言った。
その顔には明らかに私を心配する表情があって
言葉があった。
私は胸がキュウと
ビンタされ罵られる時とは違う苦しさを感じた。

祖母に話した事は無かった。
変な心配をかけたく無かった。
でも祖母は私の何かを気付いている。
それに対して心配もしている。
私はぶちまけたい気持ちと葛藤しながら
それでも自分がいじめられている、と言う事を
話すと事実になりそうで怖かった。

私は学校、面倒なんだーとはぐらかして
その場から逃げた。


私はギリギリまで迷って
やっぱり学校に行った。
午前中までの授業。
夏休みの過ごし方や校長先生の話。
そんな事は一切記憶に無い。

あるのは帰りに呼び止められて
体育館の中でビンタされ続けた事。
この日、初めてHも私を叩いた。
私の顔を見ない様にして
何だか無理やり叩いている様に見えた。

3人の背中越しに
「Hもちゃんと叩けるじゃん」と言うNの声が
聞こえた。
やっぱり私は群れるのが嫌いだと思った。

夏休みは平和だった。
叩かれなくて済む事が、これほど穏やかだとは知らなかった。

出校日、
私は生まれつきの扁桃腺炎から高熱を出し
休んだ。
いとこも遊びに来ていたりして
私は私を少し取り戻していた。
2回目の出校日、私は学校に行った。
そして私は決めていた事を実行しようと
心に決めていた。

訳の分からない言い掛かり的に叩かれて
罵られるのは、もう嫌だ。
どうせ叩かれるなら反論してやる。
私だって叩いてやる。
私の方が背は高いし力はあるんだから。

部活動で陽に焼けた顔ぶれを見て
私は段々苛立ちさえ感じていた。
あいつらさえいなければ
私の夏休みも楽しかったはずなのに。

元はと言えばNが勝手に言い出した事で
私とRが何かあったならまだ気持ちは分かるが
それは単なる嫉妬じゃ無いか。
自分がモテてない僻みじゃないか。
嘘つきは私じゃない。
あいつらはただダサいんだ。
悔しがってるだけのNが馬鹿で憎い。

残り少なくなった夏休み、
宿題を憂う者の声と共に学校は終わった。
下駄箱でNがニヤニヤしながら私を呼び止めた。

わかってるだろうと言わんばかりの
儀式前の顔だ。

私はN達の後ろを歩きながらも
今日は違うんだと握り拳を作っていた。

体育館の壁に突き飛ばされる。
「相変わらず申し訳無いって顔もしてないやん」
「反省すらしないし謝りさえしないんか」
そう言うとNは私にビンタしようとして失敗した。

正しくは私が振り上げたNの手を叩いたのだ。
睨みつけるNに私は思い切り息を吸い
これでもかと言わんばかりに叫んだ。

「好きな男が、他の女を好きだと知って勝手に悔しがってんじゃねぇよ。
いつ私がRを好きだなんて言ったんだよ。言ってもいないのに、何が嘘つきだよ。
あんたがモテてないだけで、悔しいからって叩いてんじゃねぇよ」

Tが何を!と私に掴みかかってきたけど
私は完全に振り切っていて、Tとやり合う体制を取った。
でもそれを止めたのはHの叫び声だった。

「最初からおかしいよ。Noriちゃん嘘ついてないもん、Rだって小学生の頃は好きやったけど今は好きなやつ、居ないって言ったんでしょ。おかしいやん」

そう言ってHはTに言った。
「Tが学校来れない時、Noriちゃんがいつも気にしてたの知ってるやろ? 何回も学校からプリントやら持ってきてくれたんやろ。片想いだからって叩くのおかしいってTも思うやろ?」

Nは黙って体育館の床に座ったまま
ピクリとも動かなかった。

Hが私に近づいて来て
ごめんっと言うと、
「Noriちゃん、私を叩いて。
それでおあいこにしよう」って言った。

私は少し黙っていたけど
「誰も叩く気にならん」と言い
振り上げた拳を下げ
3人を体育館に置いて家に帰った。

玄関に座ると力が抜けて立てなかった。
しばらくぼんやりしていると
「暑かったん?」と心配する祖母の声が聞こえた。
私は、うんと答えて自分の部屋で
枕に顔を押しつけてわんわん泣いた。

もう、どうにでもなれとわんわん泣いて泣いて
何回も顔を洗ったけど
赤い晴れた目は治らずに
ご飯を作って、なんだか疲れたから寝る、と言い
部屋に閉じこもった。

8月31日。
明日から学校を思うと憂鬱な私の家に
TとHが訪ねて来た。

近くの公園まで3人無言で歩いて
それから口火を切ったのはTだった。
ごめんと頭を下げた。
それからH同様に、叩いておあいこにしてくれとも言った。

あれから話してNoriちゃんは悪く無かったんだって分かった。だからごめん…と。

私は別に分かってくれたらそれで良いと
2人に言った。
2人は叩いておあいこに、と何回も言ったけど
やっぱり私は叩きたく無いと言った。

「叩いても、おあいこには絶対にならないし
私の気持ちも、あいこだなんて思えん」

私たちは和解した様に見えた。


Tは私に謝って、こうも言った。
「この間違いはもともとNが作ったんだ。そんなNを懲らしめようよ」と。

またか、と私はウンザリした。
私の次はNなのか。
誰かを常にターゲットにする考えが
もう無理だった。

「分かってくれて、謝ってくれて嬉しかったけど、Nの事はもうどうでも良いんだ。出来ればもう離れたい」と2人に話した。

TとHは私を引き止めたけれど
もうウンザリを遥かに過ぎて嫌悪しかなかった。

Nに叩かれた分、叩き返せるなら
どれだけ清々するだろうと、そう思った事もあったけれど、
叩いたからと言って私の時間や気持ちはリセットされない。

それに1人で階段で過ごす休み時間も好きになっていたし、図書室で仲良くなった子もいたから
もうTやHのグループにいる必要も無かった。

2人は帰って行き
私の8月31日は終わった。

9月1日。
ビンタされ罵られるのが
私からNに変わっただけの新しい日が始まった。
ただそれだけ。
私は静かに彼らから離れた。

2年生になる頃、Nは学校に来なくなった。
Tは先輩と付き合い出して、見た目から益々派手に変わった。
Hは違うグループに入り、時々話すことはあっても
それ以上にはならなかった。

時が過ぎ
それぞれの中学校生活が終わり
私たちはバラバラになった。
どこの高校に行ったのか、それさえ知らない。
あれから会う事も無かった。

くだらない、と言えば間違いない。
でも、そんな馬鹿馬鹿しい事で、私は数ヶ月の間
言われの無い理由で
叩かれ
罵られ
教科書は破られ、掲示物も引きちぎられた。
上履きは切られ
弁当も捨てられた。

私は彼らを叩きかえさなかった
13歳の自分を誇りに思う。
あんな奴らと同じ土俵に立つ事は
必要無かった。

沢山泣いたし
苦しかった。
家族にも言えなかったし
先生たちにも言えなかった。

でも気が付いて教科書を貸してくれる人がいた。
図書室で話してくれる人がいた。
孤独だけど
1人じゃ無い事を思い出させてくれる人もいた。

8月31日
13歳の私の決断を今も忘れてはいない。

人は弱く脆い。
だから虚勢を張って威嚇し
怒りに任せて拳を振る。
始まりなんて関係ない、
理由なんて意味がない。
ただ自分より弱者がいれば良いんだ。

そんなちっぽけなクソみたいな人間には
なりたく無い。
傷付いた私は痛みを知る者になった。
痛みの連鎖を好む者には絶対にならない。

彼らのあれから、
そして今を知る事も私は興味が無い。
痛みを知る者になっていれば
違うものが見えているだろうし
そうで無かったら、それまでだ。
自分より弱者を探して叩いて罵って
そうでもしなきゃ生きられない
虚しく悲しい、人間で無く、それは怪物だ。

どちらにせよ私とは違う場所で生きている。
ただそれだけの事実。

大人になって
振り上げる拳が言葉に変わった。
しかも弱いだけじゃ無く
自分と違うって事で叩く人達がいる事を知った。

年齢なんて関係無かった。
どんだけ勉強しても
本を読んでも偉くなっても
人の本質は変わらない。

だから優しくなりたいと思う。
馬鹿みたいに優しく。
13歳の私は声を荒げたけれど
今の私は静かに刺さる言葉も包みこもうと思う。
そんな馬鹿が生きてても
きっと無駄じゃ無い。

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