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SAAA(スーパートリプルエー)

小学校6年生の頃、担任の先生は、考えることを、発信することを、継続することの意味を私たちに教えてくれていた。

先生の国語の授業は討論会、百人一首、指名無し音読、と教科書の内容プラスαの時間が詰まっていた。

中でも毎日書いた日記は、今でも連絡を取り合う親友と共に、「帰りの会」が終わっても書き続け、明くる日返却されるノートに書いてあるちょっとした評価を心待ちにしていた。

評価は、A、AA、AAA、SAAAと上がっていく。別に評価が低いからといって怒られるわけではない。きっと先生は毎日書くことで、私たちの文章が日々成長していることを伝えたかったのだと思う、「すてきな文章になったじゃないか」と…。


もちろん先生のおかげで今のわたしがあるけれど、それと同じくらい、静まり返った教室で共に鉛筆を走らせた親友の存在も大きい。



記憶を辿ると、最初から彼女と意気投合したとか特別に仲が良かったわけではない。

彼女に限らず、最初は同じクラスだからとか物理的な距離の近さゆえに、なんとなく一緒にいる関係がいつしか容易には解けないほど強くなっている、というのが私の親友には当てはまる。


その中でも彼女は透明な優しい心の持ち主だ。


彼女といると、わたしの中の昔から変わらない部分がふつふつと顔を出す。だからこそ今の自分を見つめ直せる。自分の今成すことに、決断に、そしてこれからの歩み方に。


彼女とわたしは日記を書いていくこと、共に時間を過ごすことで、文章も繋がりもSAAAになっていった。

わたしは感情のままにことばを手繰り寄せるのにたいして、彼女は思考が深く落ち着いていて、わたしとは異なることばを手繰り寄せているように、昔も今も感じる。


そして会うたびにわたしたちの話は尽きない。
先生の話もよく話題にあがる。私たちの中で一生心に残り続ける大切な思い出だ。




わたしにとっては、

「ばいばい。」より「また会おうね。」が好きだ

時間の過ぎゆく速さが、大切な人となら光のように過ぎて行き、またいつか会えることを約束せずにはいられない。


なかなか容易には会うことのできない環境に今年はなってしまったけれど、伝えられる時に、思いっきり伝えよう。




「お誕生日おめでとう。また会おうね。」


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