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【競馬】誠実さと情熱と..競馬界の鉄人・幸英明さんが、レジェンド武豊をも上回る騎乗オファーを受けられる理由

16日(土)の中京競馬で幸さんこと幸英明騎手がJRA通算21,000回騎乗を達成した。

騎乗数に関しては過去にも最速記録を打ち立ててきたが、今回も「史上最速」での到達。スティルインラブとの縁がキッカケで彼の応援を始めて18年ほどになるが、こうしてレジェンド武豊をも上回るペースで騎乗オファーを受け続けられるのは本当に誇らしい限り。
それにしても、である。ちょうど先日45歳の誕生日を迎えたとは思えないほどのタフネスぶり。キャリア26年目を迎えた今もなお、なぜこれだけの騎乗数を積み重ねられているのか。彼の歩みを振り返るとともに、「競馬界の鉄人」の武器を整理することで、その原動力に迫ってみることにした。

【序章】鉄人・幸英明の足跡

これまでJRA通算1,470勝をマーク(21年1月17日終了時点)。決してズバ抜けて上手いわけでも、勝負強いわけでもないが、堅実な騎乗スタイルで毎年60勝前後の勝利を挙げ、関西リーディング上位の常連であり続けている。
若手時代から技術には定評があったが、何といってもその名前が全国区となったのはスティルインラブとのコンビで牝馬三冠を成し遂げた03年だろう。自身初となるG1勝利を収めた後も、ブルーコンコルドやホッコータルマエらダートの強豪と出会いビッグタイトルを積み重ねた。その傍ら、騎乗数も右肩上がりに上昇。2010年に初めて年間1,000回騎乗を達成して以降、昨年まで4回この大台に到達している。

補足までに年間1,000回騎乗がどれだけ難しい記録かを説明しておくと、「年間52週の開催で土日10クラずつ騎乗」が到達に必要なボーダーライン。まず年間フルに参戦することが絶対条件で、ケガで戦線を離れたり、騎乗停止処分を受けたりしてしまってはまず達成できない数字。
また、コンスタントに1日10クラ相当の騎乗オファーを受けられるのも、上位のほんのひと握りのジョッキーだけ。馬主さんや調教師からの信頼を寄せられる騎乗技術と、丈夫なフィジカルが備わっていないと達成できない。それが「年間1,000回騎乗」の記録である。

驚異的なペースで騎乗数を積み重ねる幸さんに対しては、さすがの武豊も白旗を揚げざるを得ないようで、過去に自身がJRA史上最多騎乗数の記録を達成した際にオフィシャルサイトで以下のように語っている。

でも、この記録は不滅の数字ではないとも思っています。後ろからものすごい勢いで追いついてきているのが幸英明騎手。彼には10年以内に抜かれることを覚悟しています。デビュー時は雲の上の人だった岡部さんの記録を抜いたところで言うことではないのかもしれませんが、ボクの記録もいつかは後輩に塗り替えられるものと覚悟しています。そのときにまた誇らしい気持ちになれるように、これからもひと鞍ひと鞍を全力で乗り、競馬を盛り上げていくつもりです。

■ 歴代最多騎乗数 (武豊オフィシャルサイト)

もっとも幸さんの3倍近くの勝ち数を挙げている武豊にとっては意に介することでもないだろうが、それでも今回もまたレジェンドを上回る記録を打ち立てた事実に変わりはない。

まずは鉄人のここまでの歩みとその偉大さについて簡単に紹介したが、いよいよ彼を支えている「武器」について順に触れていく。

【第1章】 物腰柔らかで誠実な人柄

ひょっとしたらその人柄こそ幸さんの最大の魅力であり、武器なのかもしれない。とにかくいつでも低姿勢。G1を勝った後の検量室での映像なんかを見ていても、祝福の声に対してきちんと頭を下げながら応対している。インタビューでの口調もいつだって丁寧で穏やか。勝負の世界に生きる男たちは実績を積み重ねると「オレ様気質」が言動に出がちだが、この人はいつまでも謙虚である。
また、「正直この馬は勝機が薄いよなあ..」という馬でも平気で乗っている。未勝利や1勝クラスで全く人気しない馬など、彼ほどのベテランであれば断っても何ら不思議ではないのに。その誠実な姿勢が中堅どころの厩舎や個人馬主さんからの信頼や好感を集め、多くのオファーにつながっているのは間違いない。
その証拠に、ルメールやミルコが2015年にJRA通年免許を取得し、通年で騎乗するようになって以降も、それまでと変わらない数字を残し続けている。多くのベテランが時代の波に飲まれる形で成績を落としたり引退を決意する中、「黒船来襲」にも負けない強さの源はその「人柄」にあると言って間違いないだろう。

【第2章】異常なまでの身体の強さと、内に秘めた情熱

前述した通り、とにかく数多くレースに乗れないと達成できない記録の数々を打ち立ててきた。一般的に40代のベテランともなると多少なりとも騎乗数をセーブするものだが、厳冬期でも酷暑期でもお構いなし。平気で毎週20クラ前後の騎乗数をキープしている身体の強さは、「異常なまで」と表現してしまいたくなる。
どうやらそれは天性のものでもあるようで、13年の秋には落馬負傷で足を骨折しながらも騎乗を続行。その翌週にはG3シリウスSを制すなど、エピソードにも事欠かない。
そんな幸さんにも、騎手生命の危機が訪れたことがある。18年11月、落馬により「右ヒジの開放粉砕骨折」という字面を見ただけで背筋がゾッとするような大ケガに見舞われた。それでも鉄人は強い。負傷直後は医師に「手の施しようがない」とまで言われたような惨状から、手術と懸命のリハビリを経てわずか4ヶ月で戦線に復帰。以後も騎乗数・勝利数ともに負傷前と変わらぬペースで数字を積み重ねている。

普段はそこまで勝敗にガツガツしたところは見せないが、地道な努力を積み重ねる姿勢からは、競馬に対する執念や思いが並々ならぬものであることが伝わってくる。最近でもnetkeibaの藤岡佑介のコラムで「幸さんはめちゃくちゃトレーニングしてる」なんてことを書いてあったように、見えないところでの努力が持ち前のタフさにさらなる磨きをかけているのだろう。決してただの涼しげで爽やかなナイスガイではない。

【第3章】大舞台に縁が浅いからこそ

ただ、正直ビッグレースで抜群の勝負強さを発揮するタイプではない。重賞38勝は全体の勝利数との比較でいうと少ない部類に入るし、G1で常にオファーがあるわけでもない。特に強力なお手馬がいない限り関東のG1に騎乗するケースは少なく、ウラ開催の京都や阪神で騎乗するのが通常営業とも言える。
実はこれも騎乗数を確保できる一つの理由。関西に拠点を置いている以上、どうしても関東の厩舎からのオファーは少なくなり、遠征時はどうしても騎乗数も限られてくる。これは幸さんに限らず各ジョッキーに共通する事項で、リーディング上位であってもその例には漏れない。
また、海外遠征で丸ごと一週間お留守になるケースもほぼゼロに近い。ホッコータルマエのドバイワールドカップに3年続けて参戦したが、それ以外に海外で騎乗したケースは今まであっただろうか。武豊やルメールのように、日本を代表する名馬を伴って世界を飛び回っていたなら毎年ここまでの騎乗数をマークすることはできなかっただろう。
つまり「数多く乗る」ということはジョッキーにとって「派手さはなくても地道にコツコツ頑張った証」。寒くても暑くても、下級条件のチャンスのない馬でも、実直に乗り続ける才能があるからこそ残せる記録なのだ。

【さいごに】これからも、目の前の仕事をコツコツと

この人を応援していると本当に飽きることがない。ジョッキーによっては1日1クラ2クラの騎乗しか予定がない人もいる中、毎週たくさんのレースに乗っているし、一定のペースで勝ち星も挙げてくれる。時々スランプに陥り連敗が続き心配することもあるけれど、逆に一日に3勝、4勝する「カミユキさん」が降臨することも。そして数年に一度はトップクラスの馬とも出会い、G1だって勝ってくれる。温かく見守り続ければ、必ず喜びを届けてくれる、本当にありがたい存在だ。
こうなったら武豊の「予言」通り、歴代最多騎乗数の記録も樹立できないかと考えてしまうが、まだ1,700回もの差があるので逆転はそう容易な話ではない。あまり先のことを考えず、目の前の仕事にコツコツ取り組む姿をこれからも追いかけ続けたい。

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