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Somewhere, under the rainbow(前編) #短編小説

 月並みなことというのは、得てして、正しい。
 家族や友人は大切にする方がいいし、コツコツした努力は実を結ぶことが多いし、部屋は毎日掃除した方がきれいだし、生きていくうえでは、健康が一番だ。

 そして、働いた後のビールは、美味い。
 冷たい風が吹く屋外から暖かい屋内の居酒屋に入ると、体が温まってほっとする。しかし、その体を再び冷やすように、「とりあえず、生で」と言って、冷えた黄金色の液体を頼み、喉に流し込む。体を温めたいのか、冷やしたいのか、まったくもってわからない。矛盾している。
 だが、ビールは美味い。シュワシュワとしたものが喉を通り抜け、潤されていく感覚が、なんともいえず、心地よい。一口を飲み終わった後の、口に残る苦みと旨味、喉に残る炭酸。

 「ありきたりなこと言いたくないけれど、どうして仕事の後のビールって、こんなに美味しいんだろうね。特に、最初の一口。」
 一口でジョッキの半分を飲み干した彼女も、どうやら同じことを考えていたようである。神妙な顔をして、魔法の液体を見ている。彼女は外勤の仕事をしているため、今日はグレーのジャケット姿だ。
 「仕事中にあったこととか、色んなストレスとか、気になった些細なこととか、今日あなたに話そうと思っていたこととか、なんか、一瞬、全部忘れちゃったわ。
 もしかしたら、これが何かに夢中になるってことなのかな?これ程ありふれた飲み物なのに、人を夢中にさせるなんて、すごいわ。」
 そう言って、もう一口を飲む。そして「けれどね」と言って、話を続ける。
 「もう、ビールの魔法の時間はおしまい。私は、今日あなたに話そうと思っていたことを、話すわ。あのね、まずは、この写真を見てほしいの」
 と、彼女は自分のiPhoneを差し出し、その一枚を見せた。

 見ると、日本の田舎の、よくある田園風景のようだ。正面には刈り取った後の稲田が広がり、その奥に、家屋や鉄塔が点在し、奥には山並みが見える。空には、どんよりと黒い、雨雲が一面に広がっている。
 言っては悪いが、別に美しい景色ではないし、何が撮りたかったのかも、よく分からない。同じ場所からでも、晴れて稲穂が実っている時期の写真ならば美しかっただろうとは思うのだが——。黙っていると、声が聞こえた。
 「ふふ、分からないよね。なんでこの写真撮ったのかも、見せるのかも。
 これ、先週長野県で撮った写真なんだけど、実は、このとき、大きな虹が出ていたの。薄いんだけれど、すごく大きな虹。写真に目を凝らすと、少し見えるかも。」
 「今日の主役は、この暗い空の中、薄い虹を見つけて、虹の根元を探しに行った男の子。高校生くらいかな。彼は、根元の近くまで行って、あるものを見つけるの。」

*

 昨晩から雨が降り続いている。天気予報によれば、今日の天気は雨ときどき晴れ、午後からは次第に晴れてくる、とのこと。
 だから今朝、雨が止んで日が差してきたとき、「今だ」と思った。犬の散歩だ。ラブラドール・レトリーバーという大型犬を飼っている以上、一日2回、1時間程度の散歩が欠かせない。念のためにレインウェアを羽織って、ぶんぶんと尻尾を振る愛犬と共に、急いで外に出た。

 晩秋の朝、空気はキンと冷えている。重い雨雲がかかっていることから、また雨が降ってくることが予想できる。雲がかかった山はけぶっていて、姿がはっきりしない。けれども、差し込む日差しは、少しあたたかい。
 歩を進めるたびに、犬の尻尾がぶんぶんと揺れる。ぶんぶん尻尾はラブラドールという犬の特徴で、可愛いところでもあるのだが、当たると結構痛い。
 揺れるそれから目を上げると、ふと、虹に気付いた。

 僕は、理系である。そのせいか、虹を見つけると、条件反射のように、発生の仕組みを思い出す。
 虹は、太陽光が、雨粒にあたって反射し、屈折することで見える現象だ。だから、今のような、雨上がりで光が差し込むという状態は、最高に虹が見えやすい。
 太陽光には、いろいろな波長をもつ光がある。光は波長によって色が変わり、最も長い波長の色が赤で、最も短いのが紫だ。つまり、いわゆる虹の七色—赤・橙・黄・緑・青・藍・紫—は、波長の長さの順番である。
 太陽光は、雨粒にあたると、屈折と反射を繰り返して出入りする。光が雨粒から出るとき、波長の長い赤色の光は屈折率が小さいため、地面に対して大きな角度で進む。逆に波長の短い紫色の光は、地面に対して小さな角度になる。 だから、虹の最も高い位置にあるのが赤で、最も低いのが紫なのだ。

 今日の虹は、分厚い雲に覆われた空の中で、薄くしか見えないが、とても大きい。そして、その根元の片方は、ぼやけてはっきりしないが、散歩コースの近くにあるように見える。
 虹の根元を探しに行こうか—そんな思いが浮かんだのは、半分は「散歩ついでに行けるな」という気楽さからだった。もう半分は、多分僕がロマンチストだからだろう。
 虹の根元には、何があるのだろうか。

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読み切りにするつもりだったのですが、2000字を超えたので、前後編に分けます。
後編は、こちら。
参考HP 松江地方気象台「虹の発生とその仕組み」

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なお、前回の記事『私たちは、安室ちゃんを見てかっこいい女の子になりたいと思った。』を、note公式の「#コンテンツ会議」で紹介いただきました。
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