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Somewhere, under the rainbow(後編) #短編小説

 虹の根元には、金が埋まっている、という。

 この言い伝えは、元々、ある妖精に関するアイルランドのおとぎ話に由来するらしい。妖精が、虹の根元に金の入った壺を隠しているんだそうだ。
 ちなみに、妖精といっても可愛いやつではなく、帽子とコートを着た、ひげ面の小さいおっさんである。靴を作ったり修理をしたりして過ごしているそうだ。
 一方で「虹の根元」には、別の意味もある。虹というものは、見ている人間と太陽光の位置によって見えるものだから、見ている人間の場所が動けば、虹自体の場所も動く。さらに、虹は、見る角度によって半円に見えているだけであって、本当は円形に発生しているものだから、根元は、そもそも存在していない。そこで、英語圏で「虹の根元」といえば、「不可能なこと、ありえないもの」を表す言葉でもあるそうだ。

 というわけで、僕は虹の根元の方向を目指して歩いてはいるものの、そこまで何かに期待はしていない。もし金が見つけられれば嬉しいが、まぁ、なくてもよい。
 実のところ、愛犬の「散歩が楽しくて仕方ない」という表情だけで、満足している。

 と、そんな僕の思いを察したかのように、愛犬が少し立ち止まって、こちらを振り返る。「そうでしょ。散歩大好きで、喜んでる私、可愛いでしょ?」とでも言うように、満面のラブラドール・スマイルを見せてくる。まったく、その通りだよ。よくわかってるよな。
 雨の後、湿った空気の中で歩くと、匂いを強く感じる。人間がこうなんだから、犬にとっては、どれほど濃い匂いなんだろうか。ぼんやり歩きながら考える。

 30分ほど歩いて、虹の根元だった場所の近くにたどり着いた。今は、日差しが弱まったせいもあって、もう虹は出ていない。また雨が降るのだろうか。空は引き続き、不穏な暗さである。
 と、目の前の鉄塔の方から、ガサガサと音が聞こえる。目を遣ると、鉄塔近くの建物の軒下に、カーキ色のコートを着たひげ面の小さいおっさんがいる。新聞紙に置いた大きなリュックサックから、何かを取り出している。
 ——ん、アイルランドの妖精か?と一瞬、考えた。けれども、おそらく、そうではない。

 そのおっさんを、『ホームレス』と呼んでいいのかはわからない。なぜならここは田舎町で、僕は、ホームレスと呼ばれる存在を、実際に見たことがないからだ。おっさんは、昨晩ここで一泊していったようだが、僕のイメージするところのホームレスよりも、小綺麗に見える。ただ、一泊野宿して、お風呂に1日入っていないだけの人かもしれない。
 前髪が長いのではっきりとした表情は分からないが、おっさんは、なんとなく不機嫌そうだ。僕はぶしつけな観察をしてしまったのだろうか。謝りたい気持ちと、敵意がないことを示す気持ちで、軽く会釈をした。すると、おっさんは係わり合いたくない、とでも言うように、僕から目をそらした——が、ぶんぶんと尻尾を振る愛犬のところで、目が止まった。

 繰り返すようだが、うちの愛犬は可愛い。特にどこが、と聞かれれば、一番は、笑顔だ。
 「自分は世界中の人が大好きで、世界中の人も自分のことが大好きだ」ということを、全面的に信じた顔で、笑う。愛情をたっぷり注がれた生き物だけが持つ顔を、サービス精神たっぷりに、みんなに振りまいている。
 ラブラドール・スマイルは、おっさんの不機嫌さも溶かしたらしい。犬の鼻先に向かって、少し手を出しては、ひっこめ、もう一度出した。愛犬はおっさんの手の匂いを嗅いだ後、ペロペロとなめて、挨拶をする。

 「あんたの犬、可愛いな」と、おっさんは言う。
 「犬好きに悪い人はいない」とは、愛犬家の間で確信的に語り継がれる都市伝説である。僕も、この伝説の信者だ。
 だから、このおっさんも悪い人ではない、いい人だ、と判断した。けれども、「ありがとうございます」と答えた後、話すべき言葉を僕は持っていない。

 ふと思った。また、すぐにでも雨が降ってくるだろう。そして、この町は、雪国と呼ばれる場所に位置していて、近々、雪が降ってくる。
 僕は、レインウェアのポケットを探り、未開封の使い捨てカイロを取り出した。
 「あの、よかったら、どうぞ。」僕が手を差し出すと、おじさんの目が、なぜ、と尋ねてくる。
 「その、うちの犬のこと、褒めてもらったから。この子、触ってもらえて嬉しそうだし。
 それと、今日、このあたりから虹の根元が生えてるの、見たんです。それで、ここまでやって来たら、おじさんが居て。なんだろう、うまく言えないんですけど、何か良いことをしたくなったんです」僕は、少しばかり早口で、話を続ける。
 「この町、もうすぐ雪が降ってくるんです。結構寒くて。だから、カイロ持ってて、損はないですよ!」
 僕が、少し投げやりに言い切ると、おっさんは、少し笑った。僕が突き出したカイロを受けとって、「ありがとう」と言う。

 僕は、なんとなしに満足したけれど、再び話すべき言葉を失った。と、おっさんが言葉を紡ぐ。
 「ちょっとしたことがあって、こんな格好で、ここで一泊することになっちまったんだけどな。ここ、俺のいた町よりずっと寒いし、ずっと雨も降ってるし。で、これはますます神様に見放されたと思っとったんだが。あんたらのおかげで、やれ、そうでもないって気になってきたよ。ありがとな。
 あんたと、あんたの犬に、幸福が訪れますように。」

 その後、いくつかの言葉を交わして、おっさんとは別れた。
 空には再び日が差してきて、黒い雲の合間から、光の柱が何本か差し込んでいる。これ、『天使の柱』って言うんだっけな——僕は、天使の柱の発生条件を考えながら歩く。
 隣では、ぶんぶんと、相も変わらず上機嫌な尻尾が、歩みを共にしている。

*
 「という感じに、虹の根元を探す、少年の散歩は終わったのでした。めでたし、めでたし。」
 長い話を語り終えた彼女は、グイっとジョッキを傾け、ビールを口に運んだ。
 2杯目のビールも、少しぬるくなっている。ぬるくなった2杯目のビールは、最初の一口が持っていた魔力はもうないけれど、それでも美味しい。

 「そのおっさん、実は、本当にアイルランドの妖精なんじゃないのかい?」僕は尋ねる。
 「ふふ、無粋なこと聞かないで。ほら、よく言うでしょ。物語には、少しぐらい謎が残った方が面白いって。私たちにできることは、少年と、愛犬と、おっさんに対して、乾杯することのみよ。」
 だから、僕たちは、再び乾杯をして、喉に炭酸のアルコールを流し込んだ。

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