いつまでも美しく
インド最大の都市ムンバイにあるスラム・アンナワディを舞台に綴られるノンフィクション。
小説を読んでいるのかと何度も勘違いするほど、物語性があり文章の書き方や構成が実に上手い。一方で、誰がいつどのような行動をし何を話したかということがリアルに記されているのでドキュメンタリー映画を見ている感覚にもなり、不思議な体験をした。
著者が3年半にもわたってアンナワディに通い続け、住人ひとりひとりと話をし続けた粘り強い姿勢は尊敬に値する。最初は好奇の目にさらされていたのに、いつの間にかスラムの日常の生活に入り込み、住人に好かれるまでやり切れたからこそ、読者がインドのスラムで起こっていることを明確に知ることができる。
書かれていた内容は、自分には想像できないことばかりだった。
20歳に満たない子供達がゴミを集めて収入を得ることで生活を支えている。1つあたりの金額はとても少ないのにそれを必死に得ようと奔走し、時には盗みまで働く。暴力や賄賂が常態化していてそれに特別な感情を抱かない。衛生状態は最悪で、体を蝕まれ長生きできない。
今の時代にこんな生活をしている人がいるのかと大きなショックを受けた。
アブドゥルという少年はゴミ集めで家族を支えるしっかり者であるが、自分の現状や将来に対してあまりにも無感情だなと前半は感じた。希望も失望もない、ただ毎日を生きることしか考えていない、いや考えられないのだ。
事件をきっかけに拘置所に連れて行かれ、そこで出会った師匠という人の言葉に一筋の光をもらった後半からは、感情の起伏が生まれ人間らしくなってきたように思う。
でもこの拘置所での仕打ちはあまりにも心身への痛みを伴うもので、そういう状況に子供が置かれること自体が信じられないし腹が立った。
マンジュという少女はスラムの中でも"常識的な"思考や感情をもっている。教師を目指して大学に通い、小さな子供達のために自分で学校を開くなど志が高い。だからこそ権力へのし上がろうとする母親への反感や子供達が理不尽な思いをすることに心を痛め、哀しい思いをたくさんしているのだろうと感じた。
子供達が次々に不審死や自殺をしていく場面は本当に悲しかった。アブドゥルはたった一人の友人カルーをギャングによる暴行で失い、マンジュは一緒に祭りへ行こうと約束していた友人ミーナが祭りの6日目に死んだ。自分にも近づいてくる死の影に怯えながら生きなければならない、まだ子供なのに。どうして...と考えずにはいられなかった。
一番衝撃的だったのが、不利な状況の者にお金を要求する描写がこれでもかと出てくることだった。事件を不起訴にしたかったら金をよこせと警察官が言い、医師は2000ルピー出さなければ年齢を詐称して大人用の拘置所に行かせると暗に脅す。スラムの住人間でも、ちょっと権力を持つ者がごたごたを解決するために1000ルピーを出せばいいとと諭す。金、金、金。人々の醜さがこの描写で強調されている。
誰しもお金がほしい。でもそのために自分より立場が下の人を貶めてまで金を要求するのは間違っていると思うし、腐敗した世界だと感じた。
自分の今までのインドのイメージは、近年発展をし続けている国であり才能を持つ人が活躍し有力企業が生まれ、人々の生活も向上してきているものと思っていた。
でもこの本を読んでそんなのはほんの一部分でしかなくて、多くの人は貧困と飢餓の中で生きていることを知った。自分の見ていた世界がとても狭かったをいうことを痛感し現状を知らない自分を恥じた。
また、宗教ごとの考え方やそれにまつわる単語、階級についてなど聞いたことはあったが理解はしていなかったのでふむふむと読んだ。
ヒジュラが登場する第四章が印象的で、美しいヒジュラが全身で激しい踊りをする場面は神聖さを感じた。宗教的思考が人々の心を支えていることもよく伝わってきた。
この本に登場する人々は今どうしているのだろう。アンナワディは近くの国際空港が新しくなるのを機になくなるようだった。住人は他のスラムでまだ苦しい生活を続けているのだろうか、それとも少しは良い暮らしができるようになっているだろうか。
離れた国にいる自分たちはこの事実を知って何ができるのだろうと考えさせられる。
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