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羨ましいという感情の一歩先.

一日の大半を家で過ごす生活も3ヶ月が過ぎ、
もはや元の生活がどんなだったかの記憶が曖昧になりつつある。

思い返せば、初めは意気揚々と「家事」に勤しんでいた。
特に「料理」

毎日、何を作ろうかワクワクし、
自分の作った料理をおいしいと言ってくれる両親の顔を見て、
俄然やる気が沸いた。

数か月前まで「そんなんじゃ一生お嫁に行けないわよ」と
呆れ口調だった母が「このまま一生作って欲しいくらい!」と言っている。
私、意外と料理できるじゃん!

***

でも、最近は何かが物足りなく感じている。
その原因は自分では分かっている。嫉妬だ。

自粛期間は、たぶん多くの女の子が料理に力を入れていたのであろう。
Instagramのストーリーは色鮮やかな「映えた」食事で溢れていた。

無意識に視界に飛び込んでくる「器の数」

対面のテーブルには、ブルーとピンクのお箸が2膳。
副菜が数種類、小鉢に盛られていて、オシャレなランチョウマットが
料理のクオリティを底上げする。
夕食という言葉ではもったいないディナーだ。
大皿に家族分を盛り、種類より量重視の私のとは全く違う。

そこには、カップルのツーショット以上に
心をグサリと突く何かがある。
なんだろう。

***

...日常。
そう、きっと彼女たちにとってそれは日常であり、普通なのだ。
無理したアピールではなく、日常の幸せがそこには流れている。
だからこそ、破壊力は絶大だ。
私にとってはまだ想像もつかない日常を、彼女たちは送っている。

単純に羨ましい。。
生まれたときから何一つ変わっていない生活を送る自分が
一歩も進めずに置いてけぼりになっている様な感じがしてしまう。

***

思い返せば、いつだって一歩先を行く人はキラキラして見えた。

バレエの上級コースでレッスンを受ける子を見て
自分もあんな風に踊れるようになりたいと思ったし、
推薦で一歩先に大学生活への切符を手に入れた友人の隣で、
必死に英単語を詰め込んだ。

そうだ。
過去の自分は「羨ましい」という感情を「バネ」にしていた。

羨ましいという感情は、
他者との比較で生まれるもので、
ネガティブなものだと捉えがちである。
現にお箸2膳のストーリーに嫉妬している自分を
非常に恥ずかしく思っていた。

でも、羨ましいという感情は決して悪いものではない。
素直に受け止めさえすれば、
それは自分の「なりたい像」を明確にする指標となる。


いつの日か、私も誰かと対面で手料理を囲んで、
幸せな日常が送れるよう、料理の腕前を上げておこう。
栄養バランスも考えられるような知識を身に着けよう。
自分好みの食器を見つけたらメモっておこう。


そして何より、今目の前にある家族との日常を大切にしよう。


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