情(じょう)の遺伝子(?)・「節分」&「七五三」

日本を語る上で、大切とされるのが「12節」や「24節」。
いわゆる季節の移り変わり目である。
が、最近ではトンとご無沙汰。
「一体、どこへ行ったんだ?」
行方不明なら探せばいい。が、気候変動の激しさに、もはや届け出るすらする、気力がない。

そんな中でも毎年、毎年、ちゃんちゃんと。
おはようからおやすみまで、もとい。年明けの「お正月」から、年末の「大晦日」まで、サボらずに(?)来る行事。
子供の時より楽しくはなくなったけど、「節分」と「七五三」。
これらだけは、永遠にと願いたい。

まず「節分」。豆をまく日。
漢字だけの意味からすると「季ける」。
つい少し前。昭和30年代、40年代初頭ぐらいの日本って、この日を境に、季節的な感覚があったんだと思う。
ものすごい寒い地域でも、そこそこ常に温かい地域でも「春」。水が少し冷たくなくなって来たとかね、日を追うごとにあったんでは?
家電だって一般家庭には、そんなに普及していなかったから、自然と共に生きる感覚が強かった。

「七五三」は、千歳飴ですな。
いつの時代も、子供の健やかな成長を願う気持ちが込められている。
かつて、新生児。
生まれたばかりの赤ちゃんは、死亡率が高かった。一週間生きるか分からなかった。だから特に命名もしなかったらしい。
一週間生きれば、生きる資格があるとみなされ、目出度く命名されていた。
今でも一週間後に命名する家もすくなくない。名残だろう。
次、3歳までも危ない。5歳までが安心できない。
7歳になれば「やっと安心、一安心」。
てな訳で、「ここまでお守り頂きまして、ありがとうございました。これからも宜しくお願いします」
と感謝の気持ちで、神社にお参りをした。
それが今に続くのだ。

そういう文化、気持ちのある日本人の情の遺伝子はずっと続く気がする。好き。

<了>


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?