作者もキャラの一部です(?)~「うわさの姫子」(藤原栄子著/小学館刊)

懐かしい漫画本を、何冊か持っている。
「うさわの姫子」
(おおっ!)反応すれば、多分、わたしと同世代。「さっちん110番」(山田路子)と共にあった、憧れのラブコメ。共にわたしも大好きだ。
ただ同じラブコメでも、家族を軸にした「さっちん~」に比べ、「うわさ~」は、もっと話がこじれ、もとい。フクザツ化していて、テンポが良くて、面白い。

「家族」と言っても、「さっちん」こと水島幸子と、「姫子」こと梅宮姫子は事情が違う。さっちんの家は、ごく普通の住宅である。ちゃんと両親が揃っていて、養女であるが妹・あっちゃんもいる。山のように動物も飼っている。
比べ「姫子」が住むのは、武家屋敷。事情があって両親とは暮らしておらず、おじいちゃまが唯一の家族。動物は、人間並みに会話可能なオウム、チャッピーのみだ。

時にわたしは思うけど、この世代。
団闘の世代作者が描く物語り主人公は、家庭が複雑だったり、こじれていたりが少なくない。終戦直後を反映しているのだろうか?
山田と藤原は、同じ歳。この世代だが、作品連載に当たっての家族が少なくない。設定がまるで違う。
山田は現代(昭和の中頃、ムツゴロウさんが持てはやされていた)に視点を当てたが、藤原は、江戸時代の町並み(武家屋敷)を背景とした。
敢ての時代設定で、読者の興味をそそりたかったのかも知れないし、近代化される住宅の中での思いがあったのかも知れない。或いは、単に武家屋敷好きか?それでいて主人公・姫子にちゃんと負(家庭環境のフクザツさ。団塊の世代前後であれば、友達の中に結構、いたであろう)を負わせる。
なかなかにしてやる作者なのだ。
前置きが長くなったが、ざっと2作品を、比べて見た。

手塚治虫は、時々、自分をキャラクター化し、作品に登場させている。
1コマ2コマ、時に変身させたりして多少の読者サービス。+自分を印象づけている。故・和田慎二や、近藤ようこも時にしている手段であるが、藤原栄子。「うわさの~」の中で藤原は、完全に自分をキャラクター。
立派な(?)キャラクターとして登場させ、引っ込めさせているのだ。

いじられキャラ。からかわれキャラである。
「B(ビー)子」。 
「A(エー、栄)子」というのに、登場人物呼ばれ、時に「エテ子」「どーでもエーコ」などと言われたりをする。「びぇ~っ」となって作者退散で終わりになるのであるけれど、登場のさせ方が巧い。

緊張を強いられる場面や、大変なシーン。そこに完全なる登場人物(?)。キャラクター化させた自分(作者)を登場させ、ちょいとだけ笑わせる。寛ぎを持たせる。読む気に増々、させて来る。
室山まゆみも代表作「あさりちゃん」の中で、時々「作者ちゃん」として行う手法であるけれど、あの時代。
少女漫画で、作中にちょこちょこ自分を登場させる漫画家は、いなかったのではあるまいか?

「さっちん~」も、「うさわの~」も今、古本店で高価な本であるが、特に後者。「うわさの~」はこんな事情もあろう。
                           <了>


#創作大賞2023

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