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【対比】友達が多いとか少ないとか… 好きとか嫌いとか… noteを連続で書くとか書かないとか… → 【正解は人それぞれ】


ある日、出かけた帰りにお昼ご飯を食べて、ゆっくりしたくて、
ずいぶん前に友達に連れて行ってもらったカフェに寄った。

広くて、明るくて落ち着いて過ごせそうだと思ったからだ…。


私は、心も身体ものんびりしたかったのだ。

ママさんが一人でやっていることは知っていた。
お店をはじめて見た時から、オーナー自身の自由さは感じていたが、
気まぐれ営業だとは知らず、その日はランチはなく、モーニングだけだった。
(田植えをするから、体力的に無理なくその日はランチはしない日だったらしい。)

お昼ご飯をたべたかったけれど、
モーニングにしてくれるなら、まぁいいかなぁと思い、席についた。
他にお客さんがいなかったので、しばらくそのママさんと話しが始まった。

正確に言うと…


『ママさん4   対 私1』

くらいで圧倒的に彼女が一方的に話しをしていた。

はじめて会った私に家族の事や夫の仕事、子どもや家族の名前、学校、仕事、会社名、習い事、などペラペラと話し始めた。
(彼女の中では、大手企業らしく、多少の自慢話にも感じられる )

友達が多いらしく (カフェに来る常連も含めて)その友達のことや自分の特技、そしてそれをも仕事にしている事。
今までの学校や仕事の経歴まで話した。
友達を私に会わせたいと言い、安くはない料金を告げられた。
(セッションらしき事をしているらしい。)

自分都合でカフェを運営し、多くの人と関わりながら、学び楽しく過ごしている様子にその時は、『すごいなぁ~すごいなぁ~』と思いながら聞いていた。

彼女の話は楽しかった。
…つもりだった。
そんな生き方があるのか…すごいなぁと…
ママさんの話を聞いていた。



コーヒーもモーニングも…
何を食べたのかあまりわからなかった。
出てきたものも味も覚えていない。

帰りの車で…

ドッと疲れている自分に気付いた。




一方的に喋られて圧倒され、ゆっくり過ごしたかった私は心を休める事が出来なかった。

友達、知り合いの多いの多い人は魅力的だ。
魅力があるから人が集まるのだろう。

子どもの頃から
『友達の多いのは良い事だ。』
という概念が植え付けられてきた事に氣づいた。

毎年、春に流れるCM

『一年生になったら〜友達100人できるかなぁ~♪』

の歌がそう思わせていると聞いたことがある。


全ては『対比』

昔に比べて、『多様性』が認められるようになり、随分自由な選択が増えたと思う。

終身雇用が当たり前だった時代には


『転職は続かない人=悪』

のように言われたが


今は能力のある人は、さっさと他の道に進む。


彼女のように知り合い友達が多い人が全員にとっての正解ではないと氣づいた。

【友達の多い人 ← →   友達の少ない人】

友達の多い人に『私という1人』を大事にされなかった経験がある。

かって出会った女王様にハッキリと言われた。
『あなた1人がいなくても、人はたくさんいるから、私は何も困らないから。』と…

家に行くなり、友達が大勢写っている結婚式のアルバムを見せてきた人もいる。
逆に、家に来るなり『アルバムを見せて』と言った人もいる。
(彼女たちは何がしたかったのか…何を確認したかったのか…)

飛行機移動で出席した友達の結婚式には、
『私の結婚式に全国から50人の人が動いた。すごいでしょう。すごいでしょう。』と何度も言われ、
私も彼女の友達コレクションの1コマかと思うと悲しくなった。

【noteを毎日書く人  ← →   noteを毎日書かない人】

楽しく無理なく書けるならいいが、苦行なら毎日書かなくてもいいのではないだろうか。


【企業で働いている人  ← →   自分で仕事をしている人】

会社勤めだけが、収入手段ではない。

【異性が好きな人  ← →   同性が好きな人】

人の好みはそれぞれ。


今はいろいろな選択肢があるし、それを受け入れられる世の中だ。

誰かにとって、当たり前な事は他の人にとっても当たり前ではない。


もっと、自分の感覚を大事にしなさい。
と氣付いたきっかけの出会いとなった。


全ては『対比』

正解は、他の人が決めた基準ではなく、自分自身が決めたものでいい。


これからは、嫌なことを無理して他人基準で合わせて生きるのはやめよう。
そう氣づかせてもらった私の休日となった。


お読みくださりありがとうございます😊

shimakonekoさんのイラストを載せさせてもらいました。
ありがとうございます🍀


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