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オランダの歴史【Part5: 中世盛期-後期】12世紀ルネサンス、ペスト、フック・アンド・コッド戦争

Hoi!みなさんこんにちは!
少しお待たせしてしまいましたが、今回はオランダの歴史シリーズPart5をお送りします。前回まで(1~4)をまだご覧になっていない方は、目次から記事下部まで進み、リンクから読んでみてくださいね。


前回までのおさらい

では、前回までのネーデルラント※1の歴史を簡単におさらいしましょう。
843年のヴェルダン条約と847年のメルセン条約により、カロリング朝東フランク王国領になったネーデルラントですが、961年にオットー1世がローマ帝国の帝冠を授かったことによって神聖ローマ帝国の一部になりました。
当時のネーデルラント国内では農業技術や商業の急速な発展が起こり、交易などを通じて帝国内での存在感を増していきました。

※1 オランダという国は成立していないので、現在のオランダ地域を指す低地地方という意味のこの名前を使っています。

中世盛期~後期(ネーデルラント周辺)

11世紀から13世紀は、大幅な人口増加が起こり商業や文化の成長も著しかったので、中世盛期と呼ばれることがあります。ただ、ネーデルラント域内にだけ注目すると、14世紀の半ばまで大きな事件は起きないので、11世紀から14世紀までの周辺ヨーロッパの動きを一緒に見ていきましょう。

12世紀 ルネサンス

ルネサンスといえば14世紀のものが有名ですが、実はその前兆ともいえる動きが12世紀にも起こっていました。それのきっかけとなったのが、これまた、あの十字軍の遠征です。

十字軍の移動により、ビザンツやイスラームの文化がヨーロッパ世界に流入してきました。それがキリスト教の世界観に新しい風を吹かせはじめたのです。このルネサンスでは大学が出現したり、ゴシック建築が始まったり、騎士や英雄を描いた騎士道物語の発生が起こったりしました。

ゴシック建築の代表作:ノートルダム大聖堂(パリ)
https://i.pinimg.com/474x/d9/d5/1f/d9d51f4b6872805197c196dc3b383939.jpg

13世紀 モンゴル帝国の時代

13世紀はチンギス・ハンが率いるモンゴル帝国が世界的に勢力をふるっていた時代で、「モンゴルの世紀」と呼ばれています。
(日本の鎌倉時代に元寇としてやってきたのは印象深いのではないでしょうか?)

元寇
これを学校の教科書で見かけた人は多いのでは?
https://th.bing.com/th/id/OIP.bl4bCd2yjOcdUxwSdP0yAQAAAA?rs=1&pid=ImgDetMain

14世紀 ペストの流行

1347年、地中海のある港に停泊した大型帆船から上陸したネズミによってヨーロッパ中を震わせる病原菌が運び込まれました。
ペストです。
この一件だけなら良かったものの、同様のことがヨーロッパ中の港で繰り返され、のちにヨーロッパ各地に広がってしまう事態となってしまうのです。感染の威力は凄まじく、最終的にはペストによりヨーロッパの3分の1の人口が失われました。


甚大な被害をもたらしたペストですが、近年のコロナ後の社会の変革を見てもわかる通り、世の中を大きく変えることもありました。

①農民の解放
・この時代、農民は抑圧されていましたがペストの流行により人口が減って、農民の解放が進みました。また、労働力が不足したことで耕作地が拡大したり税金の軽減・賃金の向上が行われることもあったそうです。

②14世紀ルネサンス
・医学の発達していない時代、人類の手に負えない出来事が起こったとこによって人々の死生観や思想は大きく変化しました。
加えて、当時ヨーロッパで権力を握っていたカトリック教会はペストの拡大防止に対して有効な策を講じることができなければ、人々を不安から救う策も講じられませんでした。
この結果、教会に対する失望が広がって後の宗教改革の間接的な要因となりました。

ペストの感染を予防するため、医師たちはこのような風貌で治療を行いました。
https://dnaimg.com/2013/12/01/plague-doctors-xss/title.jpg

中世後期(ネーデルラント)

1350年 フック・アンド・コッド戦争(釣り針派とタラ派の抗争)

1350年から90年までの間、ネーデルラント各地でたびたび戦争が起こりました。この一連の闘争をフック・アンド・コッド戦争と呼びます。
これらの戦争のほとんどはオランダ伯爵の照合をめぐって争われたものですが、根本的な理由は権力闘争によるものだと主張する人もいます。タラ派はオランダの発展した都市の人々で構成され、フック派は保守的な貴族を中心に構成されていたそうです。

ところで、「タラ」と「フック」とはなんともおかしな名前に聞こえますよね。「タラ」の由来は正確にはわかってはいませんが、おそらくバイエルンの腕章が魚の鱗のように見えることに由来していると言われています。フックはおそらくそれを捕まえるためのフックをさしているのでしょう。

もう一つ有力な説も。タラは成長するにつれて食べる量が増えて大きくなる傾向があるため、それと当時拡大していた中産階級を貴族たちが重ねてみていたことに由来したとも言われています。


1384年 ブルゴーニュ公国によるネーデルラント統一

1384年、フランスの大領主ブルゴーニュ公によりネーデルラント一帯(現在のオランダとベルギーのほとんど)が統一されブリュゴーニュ領ネーデルラントが成立しました。

この地域の貿易は特に海運と運輸の分野で急速に発展しました。
新しい支配者たちもオランダの貿易利益を援護し、中でもアムステルダムは15世紀、バルト海沿岸地域の穀物を扱うヨーロッパの主要貿易港になりました。(現代でもそうですね!)

アムステルダムはベルギー北フランス、イングランドの主要都市に穀物を流通させ、湿地帯が排水しきれず困っていた人々にとって最重要なものになっていったのです。

まとめ

今回で長かった中世の歴史も終了し、次回からは近世に入ります。
近世に入ると、現代のオランダにつながる部分が多くなってきてより面白くなってきます。
ここからも~っと長いですよ、、、お楽しみに!
それではまた次回、Tot Ziens!

前回までの記事はこちらから

その他参考文献

https://europa-japan.com/cate_history/netherlands.html
https://greet.happily.nagoya/easy_history_the_netherlands/
https://www.edrawmind.com/article/history-of-netherlands.html
https://worldglobalist.com/treaty-of-verdun
https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC1%E4%B8%96%EF%BC%88%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D%EF%BC%89/


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