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わたしの学生時代の話

わたしの学生時代の話。
思い出すと、少し胸が詰まる。

でも、大切なひと時でした。

今日は「わたしの学生時代の話」です。

小さい頃のわたし

小さい頃から友達はいたけど、
ずっと一緒に疲れてしまい、
学校が終わったらすぐ帰りたい子供でした。

両親は共働き。
父は普通のサラリーマンでは無いので、
作業着が多くて「周りと違うお父さん」の印象。

母は少し遠くまでパートをしていて、
わたしの方が先に家に帰ることも多く、
留守番していることもありました。

家の中でひとりでいるのが
とても怖かったので、
家の電気をつけず、窓も開けず、
部屋の隅っこで母の帰りを待っていました。

そして、
姉と兄とも歳がかなり離れていたので、
遊んだり、喧嘩もほとんどなく、
正直姉妹、兄妹の感覚がありませんでした。

周りは年子が多かったので、
よく喧嘩しているのを見ていました。

うちとは違うな~と思いながら、
少し寂しい気持ちにもなってしまうので
友達と遊ぶのもなんとなく嫌でした。

なので、
家でひとりでぬくぬくと過ごしている方が
多かった子供時代だと思います。

絵を描いたり、アニメを見たり、
お人形遊びをしたり。

描くものも、見るものも、遊びのテーマも
どこかメルヘンチックで、
リアルからだいぶかけ離れていました。

母いわく、
静かに「自分の世界に入っていた」そうです。


そして、
わたしの家は、父が建てました。
周りの友達の家(いわゆる建売住宅)とは
見た目から全く違いました。

うちは和風建築で、中は畳の部屋でした。
なので、ソファやダイニングテーブルがなくて、
畳に座ってご飯を食べていました。

なので、友達の家に行くと驚きました。
「ソファがある…」
「床がフローリングだ…」

とてもおしゃれで輝いて見えて、
軽くカルチャーショックを起こしました。

一番羨ましかったのは、学習机。
うちには、そんなものはありません。

当時、こたつで勉強してたので、
ひとりに一台ある机がかっこよく見えました。

自分の家に帰ったらすぐに両親に
「わたしも机が欲しい!!」と駄々こねました。

そうすると、
父がわたしの背丈に合わせて
机と椅子を作ってくれました。

(きぃ~!!!そうじゃない!!!!)
と思いながらも、使っていました。

大人になればその凄さが分かるのですが、
いい木(多分檜)を使って出来ていたのです。
重いけど…香りがあって、高級品なのです。

まあそんなこと分からないから、
当時は、相当不満に思っていましたけど…

周りとはちょっと違う家と家族。

少し恥ずかしい気持ちもあり、
家に友達を呼ぶこともありませんでした。

「周りと違くていい」と気づくのは、
まだまだ先のことでした。

遠くから見守るわたし

中学生くらいになると、
スクールカーストが目立ってきました。

部活動に入るのは強制だったので、
とりあえず入ったものの…

「わたし集団行動、上下関係って無理だ」
と感じたのか、中1の夏ですぐ辞めました。

中2の担任の先生に
「部活やらないなら勉強しろ」と言われて、
仲の良い友達が通う塾に入りました。

最初は「部活やめて何が悪いんだ!」と
ぷんすかと、ものすごく怒っていました。

この頃からルールに縛られたくない性格が
出ているのがよく分かります。

きっかけはそんな感じだったけど、
入った塾の雰囲気が合っていました。

すごく楽しかったのを覚えています。


「勉強して答えがあってると面白い」
と気づいてからは、一生懸命勉強していました。

当時は、ちょうど思春期。

会話のネタと言えば、
イジメ、陰口、恋バナ、下ネタしかありません。

「つまんない人達だなぁ…またこの話か…」
と毎日退屈でした。

だから、勉強に集中出来る塾が
わたしの憩いの場であったのは確かです。

さらに、
常に目の前のことを客観視していて、
色んな角度から、色んな人のことを観察して、
波風立たないくらいに過ごしていたので、
結構ストレスを感じていたと思います。

友達の輪の中にはいるけど「いない」ような
感覚をいつも感じていました。

客観視していたせいか人に相談された時に
「的確なアドバイス」が出来て、
周りからは信頼されていたと思います。

ただこの時の「的確なアドバイス」とは、
「相手が言って欲しいこと」を察して、
それを言っていただけなんです。

これは社会人になってからも続き、
最近になって考えが変わってきたものです。

少し脱線しますが、
悩み相談を聞く時もリーディングする時も、
何をどう伝えるのかとても迷います。

鑑定結果そのまま伝えたら、
きつい、厳しいと感じるかもしれない。

今はわたしの意見はいらないのは分かってる。
でも、言いたくなってしまう。

そう迷うのには、
相手が言って欲しいことを察することが
出来るがために起こることだと思います。

なので、
中2~中3の頃は、少し大人びていて、
少し遠いところからみんなを見てる人でした。

中3の頃が一番人間関係に悩まされていて、
本当に最悪でした。

わたしは、8人くらいのグループのひとりで、
その中にボスがいて、その子の指示で、
グループ内で順番にいじめが起きてました。

いじめについては、センシティブで
あまり話したくないのですが…

その頃はいわゆる「無視」が多かったです。

朝登校すると、わたしは変な空気を察します。

「あぁ、いつものが始まったのか」

そう感じていると、
「今日の標的は、○○ちゃんだよ」
と言ってくる子がいます。

「わざわざ言わなくても察するわ!」
と思いつつ、ふーんとだけ聞いていました。

ボスの指示で、みんな動いていて、
標的にされた子は、お先真っ暗です。

でも、
標的が変われば、嘘みたいに元通り。

さっきまで無視してたのに、
次の瞬間、仲良く話してるんですから。

ボスに嫌われないように、
いつもみんなはご機嫌取りしていました。

でも、どんなに頑張ったところで
この世界では、誰もが標的にされるんです。

本当にしんどい。
痛々しくて、見ていられませんでした。

当時のわたしは、
何もしなくてもボスに気に入られていて、
指示通り、標的にされた子を無視しなくても
特に何も言われませんでした。

なので、
標的にされた子に普通に接し続けました。

正義を貫くわたし

とはいえ、
人の考えることはすぐ変わります。

ある日の朝。
登校して「おはよう!」と話しかけると、
気まずそうにチラ見されて、
そそくさとみんな逃げていきました。

「ん?これはまさか…」

そうなんです。
今日の標的はわたしだったのです。


ここからがわたしらしいのですが、
すぐに隣のクラスの幼馴染のところへ。

「ねえ、聞いて!わたしになった!」

少し興奮気味に幼馴染に伝えたのです。
そうすると、幼馴染も興奮していて、

「「時は来た!」」

そんな感じでした。


実は、自分が標的にされた時に
「絶対成敗してやる!」と思ってたんです。

何度か見かねて、ボスに
「あのさ、こういうのもうやめない?」
と言ったことがありました。

もちろん、聞く耳持たずでしたが。

標的にされた子にも、
「やめてって言わないと、ずっとこうだよ」
と言ったこともありました。

でも、みんな口をそろえて言ったのは
「ボスが怖いから無理だよ」でした。

そりゃそうだよね、と分かり切った答えでした。

でも、納得いかない。
同時に、何かふつふつと湧いてきました。

それは ”正義感” です。

色々考えて、悩みました。
幼馴染とも話して、こう決めました。

「もしわたしが標的にされた時、成敗する」

わたしがわたしの正義を持って、
「こんなことに何の意味もないんだ」
ということを証明してやる!!と。

まさに、時は来たという感じ。

怖さはありませんでした。
自信しかなかった。

わたしには、確かに味方がいました。
幼馴染も家族もいました。
それは幸せな事だったと思います。

何より、
「わたしなら絶対に大丈夫!」
という自己信頼が強かったんです。

相当嫌だったんでしょうね。

「こんなカースト、クソくらえ!」
って毎日思ってましたから。

結果がどうなってもいい。

覚悟が決まった人ってなぜだか、
自分の実力以上の力が自然と湧いてくるんです。


無視されている午前中。
とにかく、平然としていました。

「わたし全然辛くないですよ~」
「むしろありがとう!!!」
「一人最高だぜ!!!ふぅ!」

それくらいのオーラ発してましたし、
意地張ってるわけではなく、本当に楽でした。

ちょうど美術の時間だったので、作品に没頭。
銅レリーフみたいなやつで、楽しかった。

これもよくあることだけど、
本当はむかついてたんですよ。

わたしは真剣にやりたいのに、邪魔されて、
つまらない話をずっと聞かされて、
何もやらずに終わる1時間…。


だから、
久々に没頭出来て本当楽しかった。

そして、その作品で賞とりました。

ここでも力を見せつけるわたし。
本当に強いと思います。笑


午前が終わり、給食の時間。
もちろん、ひとりです。

ひとりで食べたことがなかったので、
なんかそわそわしてしまって、
すごいスピードで食べてたような気がします。

残りの昼休みは、
図書室でぼーっとして過ごしました。

午後の授業の前に教室に戻って、
席についた瞬間、

ボスが遠くから走ってきて、
急にわたしに話しかけてきたのです。

おそらく、わたしを無視しても
面白くなかったんでしょう。

その子の気まぐれなんです。

でも、その気まぐれで、
傷ついて、泣いてる子がいた。

わたしはそれを知ってるから、
絶対に許せなかったのです。


「なんで話しかけてくるの?」
「ふざけんな」
「あんたの気まぐれに付き合えない」

そんな気持ちも湧いてきたけど、
わたしが言った言葉はどれでもなく、

「ごめんね」でした。

なぜ、この言葉が出てきたのか?
正直わかりません。

「成敗してやる!」と意気込んで、
「終止符を打つ!」と思ったけど、
自然と出てきた言葉は違かったんです。

「こんなことをしてはダメだよ」
と相手に理解してもらえるまで、
言い続けなかったことを心のどこかで
後悔してたのかもしれません。

自分自身が孤独になってしまうことが怖くて、
離れられなかったのかもしれません。

色んな思いがあったと思います。

自然とでてきた「ごめんね。」の理由は
今はもう分からないけど、
当時のわたしの本音には変わりありません。


わたしの言葉を聞いたその子は、
よく分からないって顔で、その場を去りました。

その後は、
話さないわけでもないけど、
いつも一緒ではない…といった感じで
そのグループとは距離を置いて、
卒業まで別の子たちと過ごしていました。


後から聞いた話だと、
その子は家庭環境があまり良いとは
言えない時期だったようでした。

そういう話をすることも
きっと出来る人がいなくて、辛かったのかも。

そう思うと、
あなたの話を聞いてあげられなくて
「ごめんね。」だったのかもしれません。


この時期を乗り越えたわたしは、
同じ中学の人が誰も行かなそうな高校を選び、
再スタートしたのです。

本日のこしょこしょ話

ちょっとお久しぶりです。

変容の波にいる中で、
少し前からメッセージがちょこちょこ。

「創造して」「表現して」と。

最初は「ゆっくり焦らずね」と来ていたのに、
最近では「動き出して!」というメッセージ。

ぼやぁっと起きたてのわたしに対して、
最初は優しめに起こしてくれていたのが、
3月後半に入り、叩き起された気分です。笑

春が近づいてきて、「寒い冬は終わりですよ」
と告げられているようです。

相変わらず、SNSはお休み中。

noteはアウトプット目的なので、
わたしの中の何かを表現するには丁度よく、
ここだけで復活です。

更新しましたとSNSで通知してないので、
たまたま見たあなたはラッキー!(?)

通知しようとしたら、
Xのパスワード分からなくなったんです。

通知しなくていいということらしい。笑

さてさて。
今日は、わたしの学生時代の話でした。

高校~大学生時代もありますので、
よかった読んでね!!

思春期ってこともあり、暗黒の中学時代でした。

辛くはないけど、もやっとする感じ。

生暖かい風が当たって、
なんだか気持ち悪い…みたいな。

楽しいこともあったけど、
忍耐というか、課題というか…
そんな時期でした。

ちなみに、
あの幼馴染ちゃんはどうしているかというと…
人間を魔法の世界に連れてってくれる
とっても素敵なお仕事をしています。
(かの有名な夢のテーマパークですよ…!)

その前は美容師だったし、
いつもキラキラした仕事してるなあ~

幼馴染であること、すごく誇らしいです。

あの頃、あなたがいてくれたから、
わたしは自分の正義を守れました。

これ絶対見てないと思うけど、
本当にありがとうね。大好きよ。

わたしには味方がいたから、
こんなことが出来たと思うかもしれません。

本当にそうだと思います。

ひとりで戦ってる人のが絶対に多いと思います。

みんながみんな、立ち向かえることじゃない。

だけど、
ひとりじゃないよ。自分がいるから大丈夫。
自分という最強の味方がいる。

それに気付けたらいいな、と願うばかりです。


2024.3.30 mao






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