森光七彩の生い立ち⑩
"楽しかった"浪人生活。
日本史をリベンジするために浪人した私の本当の目的は、目標だった音楽大学への進学でした。
センター試験や音楽の筆記試験は通過しましたが、自己表現や面接で思うような結果が出せず、結果は不合格。
ここでも、人生の挫折を味わいます。
2浪するという選択もありましたが、自己表現をして、ここには向いていないと示されたわけで、何度挑戦しても同じ結果になると思い、別の大学に進む道を考えなければなりません。
でも、その大学だけを目指していた自分に、ほかに行きたいところも入りたい学部もなく、悩みました。
2浪したとしても、目指すものがないなら、今回どこかに入った方が良いのではないか…
しかし、私はセンター試験を3教科しか受けていなかったため、受験資格のある大学が本当にわずかでした。
しかも、後期受験。
調べたところ、二つの大学しかありませんでした。
父の一言で、島根大学に進むことになります。
広島から近いこと、社会のことを学べる学部が一番今目指していたのと近いのではないかということ、インタビュー実習などもあり、放送部の活動が活かせるのではないかということから、選びました。
受験の日は大雪の日。
ひとりで松江駅近くのホテルに泊まり、翌日受験会場に向かいました。その時の心細さを今でも覚えています。
こんな雪国に住むことは絶対にない!と思っていたのに、住むことになるなんて…笑
半ば投げやり状態で大学に進学することになりました。
ここで自分がやるべきことは?はじめての一人暮らしでどう生活する?
完全に新しい生活が始まっていきます。
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