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心のドロドロに向き合ったら、自分が大事にしたいことに気づけた

数日前に前職で一番お世話になった先輩と会ってきました。

お互いに近況報告をし商店街をぶらついて楽しい時間でした。

楽しかったのは間違いありません。
でも実は同じだけ不安や恐れを感じていたんです。

先輩と談笑しながらも心の奥ではずっとざわざわしたりキュッと苦しくなったりして。

そこから今現在まで気持ちの落ち込みが続いています。

今まで見ないふりをしていましたが私は自分のことを前職において「会社に適応できなかった未熟者だ」とずっと思っています。

前職(眼鏡店)を辞めたのは表向きには勉強する時間を作るためだと言っていましたが、会社のやり方に自分を合わせられないと思ったことのほうが大きな理由でした。

混雑時はどうしても私一人で複数組のお客様のご用件を伺って順番をとり誘導に徹することになります。

そうなるとどうしても十分にお話を聞いてあげられないうえに待ち時間ばかりが長くなる状況ができてしまうんです。

ここで私は「もっと人員に余裕があればみなさんに中身の濃い時間を提供できたはずなのに…!」と日々罪悪感に駆られていました。

職場の方には「人手が足りないのは変えられようがない。だから待ち時間を少しでも減らす努力をするのがこの状況では正解だよ」と言われます。
でもその考え方に自分を合わせることがどうしてもできませんでした。


無いものを望むのではなく今あるもので最良の方法を考えることが仕事では必要とはわかっています。
だから考えを変えられない自分の頑なさが嫌になり自分はダメなんだという思いが拭い去れないのです。


私の中にある「お客様に対しては一人ずつしっかりお話を聞いて困りごとを解決できる方法を一緒に探したり提案するのが仕事でしょ?」という思いが私にとってどんなものなのかがわかりません。

この気持ちが今までの経験から強く感じている信念なのであればそれを変えられなかったのも納得がいきます。でも信念じゃなかったら?


私は入社当時から仕事が遅く、「もっと時間を意識して業務を行いましょう」と言われ続けていました。
何事も自分が納得できるまで確認してからでないと次の行動に移れないからです。

良く言えば丁寧。悪く言えば仕事が遅いんです。自分でもそう思います。
素早く物事を済ませようとすると時間に追われるようで焦って仕方ありません。

働いていた当時から「私は迅速よりも丁寧に行動したいんだ」と思っていましたが、ひょっとして苦手なことから逃げていただけなのでは?
自分にとって素早く仕事をこなすことがしんどいから楽な方向に逃げていたのかもという気もしています。

うーん…適応できなかったのが甘えなのか信念なのかわからなくなっています。



丁寧な接客と売り場を回す接客、どちらの方が私がやりたいかを思うとやっぱり丁寧な接客なんです。

素早く必要最低限のサービスをたくさんの人に提供し続けるよりも一人のお客様に私の接客で「こんなものがあったんだ!」「似合う眼鏡に出会えた!」と充実した時間を過ごしてもらえる方が私にとっては楽しいんです。

考え方を変えて取り組んだ先に自分の幸福感が見えないあたりやっぱり信念なのかなあ…

私が会社のやり方に適応できなかったのは別に私がダメなわけじゃないんですよね。そう思うことにします。

ちょっと無理矢理かもしれませんが、信念だと思った方が私は前に進めそうです。

そうなるとやはり信念を曲げずに打ち込める仕事をしたいです。企業さんとご縁があったら嬉しいし、自分でそんな仕事を作るのも楽しいだろうな!

実現するためにも思いつく方法は全部チャレンジしてみたいです。

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