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初めて棒針を取った夜

棒針をはじめました。

メインで作るものはかぎ針のままですが、
棒針でしか作れないものがあるので
手を出しました。

2本(+α)の棒で線を面に変えるって
どう考えても意味不明レベルな
魔女の所業と敬遠していたので、

この日が来るのは
想像していませんでした。

こんなすごいことを
お婆ちゃんやJKがウフフキャハハしながら
いとも容易くできているからと言って
世間がお婆ちゃんやJK、彼女らが
暮らしの中で息するように
繰り出すこの凄技を
軽んじていいと感じる通念が
存在することはひどく間違っていて
深き嘆きが湧き上がって
少しぼーっとしました。

パソコンにかじりついて
不条理宛に書き溜めた
スパゲッティコードより
無に溶ける時間と編み込む手作業の方が
愛と呼べる気がするのに
どうしてでしょうか。


などと思っても初めてのこととの
悪戦苦闘は避けられません。

かぎ針をはじめたときに
軽いケガレベルの泥試合が
あったおかげで、
もっと難しい棒針を触って
奇跡のように上手くいくとは
はなから期待していませんでした。

今夜はドキドキハラハラと
最基本の仕組みを理解しはじめました。

初めて線が輪となり互いに連なる
ひとつの網と変わりはじめたときの
言い表せない美しさに心を奪われました。

言い表せるわけもありません。
そのままであります。
棒と手を中心とした身体の動きによって
線が一定の秩序で結合するようになり、
その集積が面を作っていくだけです。

しかしなぜかその一部として参加したら、
まるで杖を振っただけで
シンデレラの華やかな大変身が叶えられた
魔法に巻き込まれた目撃者のように
驚嘆を禁じ得なくなるのです。

褒められるようなことだからと
少しでも思ってしていることを
とことん辞めていこうと決めてから
純粋に迷い込んだ編み物の世界で
成し遂げたいこともなく
孤独のない何かとつながるわけもなく

ただただ言い表せない深い眠りのような
ものに感じ入り教わってばかりです。

窓辺の豆電球と
使い古されたマグカップコーヒー。
バロッククラシックのギターアレンジと
針と糸の間に立ち昇る不可視の魔法。
微睡む夜に溶けたものを、
ぼやかしてふやかしてもみ消します。
幸せがふわふわと染み出して
お湯に入れたお茶パックのように。

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