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檸檬【二次創作】

 文学作品というものは、一般にとっつきにくい印象を持たれやすいように思う。それはおそらく、文体の違いや文化的背景の違いに起因するものであろう。しかし、多少の読みにくさに耐え、読み進めていくと、そこには丁寧に抽出され、濃縮された、人々の心があることに気づく。究極まで高められ、丁寧に物語という瓶に詰められたそれは、たった一滴でもエッセンシャルオイルのように強く香る。どんな具体的素材の中でも、たった一滴で、その存在に気づいてしまう。

 はい。かっこつけました。以下、駄作です。内輪ネタも多いかもしれませんが極力分かりやすくしたつもりです。

高校現代文の教科書、または青空文庫を横に据えてお楽しみください。

 
 えたいの知れた不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうかーー授業を受けた後に小テストがあるように、高校に毎日通っていると定期考査に相当した時期がやって来る。それが来たのだ。これはちょっといけなかった。結果した肩こりやドライアイがいけないのではない。また背を焼くようなセミナーなどがいけないのではない。いけないのはその不吉な魂だ。以前私を喜ばせたどんな美しい公式も、どんな美しい定理の一つも、辛抱がならなくなった。模試を受けにわざわざ出かけて行っても、最初の二、三分で不意に眠気に抗えなくなってしまう。何かが私を無気力にするのだ。それで始終私は夢と問題とを行き来し続けていた。
 なぜだかその頃私は日常的で幼稚なものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても晴れた日の保育園だとか、その保育園にしても真新しい知育遊具よりもどこか親しみのある、園児の色褪せた赤白帽が落ちていたり古いスコップが転がっていたり安っぽい塗装の間に赤錆が覗いている滑り台なんかがあったりする園庭が好きであった。雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある保育園で、手洗い場のタイルが剥がれていたり靴箱が色褪せていたりー勢いのいいのは子供だけで、時とするとびっくりさせるような笑い声が響いたり泣き声が聞こえてきたりする。
 時々私は高校からそんなところを眺めながら、ふと、そこが高校ではなくて高校から何百里も離れた温泉街とかリゾートとかーそのようなところへ今自分が来ているのだーーという錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら高校から逃げ出して誰一人知らないような所へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清浄な蒲団。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほど何も思わず横になりたい。願わくはここがいつの間にかそんな所になっているのだったら。ー錯覚がようやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の絵の具を塗りつけてゆく。なんのことはない、私の錯覚と高校との二重写である。そして私はその中に現実の定期考査を控えた私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの絵本というやつが好きになった。内容そのものは第二段として、あの鮮やかな色彩で赤や紫や黄や青や、さまざまのイラストの絵本のページ、お菓子の家に住む魔女、優しい恐竜、眠れる姫。それから日本昔ばなしというのは一冊ずつ規格が揃えられ番号が振られている。そんなものが変に私の心をそそった。
 それからまた、「かざぐるま(光村書店)」という薄くて絵がたくさん描いてある小学校の国語の教科書が好きになったし、スーパーボールが好きになった。またそれをバウンドさせてみるのが私にとってなんともいえない享楽だったのだ。あのスーパーボールのバウンドほどかすかな楽しいバウンドがあるものか。私は幼い頃お祭りでよくそれをとってきては集めていたものだが、その時のあまい記憶が大きくなっておちぶれた私に蘇ってくるせいだろうか、全くあの手触りにはかすかな華やかななんとなく郷愁と言ったような感覚が伝わって来る。
 察しはつくだろうが私にはまるで時間がなかった。とはいえそんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには怠惰ということが必要であった。二分や三分で終わることーーと言って怠惰なもの。幼稚なものーーといって無気力な私の触覚にむしろ媚びて来るもの。ーーそう言ったものが自然私を慰めるのだ。
 定期考査がまだ近づいて来なかった以前私の好きであったものは、たとえば勉強であった。青や赤のチャートや4ステップ(数研出版)。洒落た表紙の国語の教科書や典雅な金の浮模様を持った群青色や瑠璃色の辞書。精選漢文(尚文出版)、地図帳、資料集、new treasureZ会)。私はそんなものを見るのに一日をも費やすことがあった。そして結局英会話タイムトライアル(NHKラジオ)に一時間費やすくらいの贅沢をするのだった。しかしそれももうその頃の私にとっては重苦しい時間に過ぎなかった。参考書、先生、教室、これらは皆単位取りの亡霊のように私には見えるのだった。
 ある日曜の朝ーーその頃私は図書館から塾の自習室へというふうに勉強場所を転々として暮らしていたのだがーー図書館も塾も休館日で空虚で雑多な自室の中にぽつねんと一人取り残された。私はまた参考書を開かねばならなかっった。何かが私を追い立てる。そして数学から化学へ、先に言ったような保育園を想像したり、計算ミスで立ち留まったり、スクエア(化学の資料集 第一学習社)内の溶液や沈殿や気体の色を眺めたり、とうとう私は机の上の、文化祭のパンフレットを手に取った。ここでちょっとその文化祭を紹介したいのだが、その文化祭は私の知っていた範囲で最も好きな行事であった。それは決して豪華な行事ではなかったのだが、私の高校固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。プログラムはかなりタイトなスケジュールに詰めてあって、その中身というのも過ぎ去ってゆく自分たちの青春を今ここに刻みつけようという強い意志を感じるものだったように思える。何か華やかな美しい青春の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面ーー的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに高校生は集まっている。合唱もやはり学年が上がれば上がるほどレベルが高くなっている。ーー実際あのクラスのハーモニーの美しさなどは素晴らしかった。それから一糸乱れぬダンスだとか太鼓だとか。
 また私の高校の文化祭の美しいのは準備期間だった。私の高校はいったいに学問のための学校でーーと言って感じは某県立M校やS校よりはずっと自由だがーー学術オリンピックの成績がおびただしく街路へ晒されている。それがどうしたわけかその文化祭の前だけが妙に浮ついているのだ。もともとかなりの変人が集まっているので、他より浮ついているのは当然であったが、その要因が学問ではないにも関わらず浮ついていたのが瞭然しない。しかしその頃に浮ついていなかったら、文化祭はあんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。もう一つはダンスや太鼓の真剣な練習風景なのだが、その練習風景がプロのアーティストのようにーーこれは形容というよりも、「おや、あそこでダンサーがリハーサルをしているぞ」と思わせるほどなので、他の企画準備はこれは浮ついて見えるのだ。そう準備期間が浮ついているため、当日に設置された幾つもの装飾が驟雨のように浴びせかける絢爛は、周囲の何者にも奪われることなく、ほしいままにも賑やかな眺めが照らし出されているのだ。中央ステージの装飾が鮮やかな色彩をはっきり記憶の中に焼き付けてくる往来に立って、また隣にある体育館の二階の外廊下から身を乗り出して眺めたこの文化祭の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは高校の中でも稀だった。
 その日私はいつになく友人とチェキを撮った。というのはその日は文化祭当日だったのだ。文化祭などごくありふれている。がその文化祭というのも見すぼらしくはないまでもただコロナ禍で世間一般に縮小されていたので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私は私の高校の文化祭が好きだ。青春の二文字を小説から抜き取って固めたようなあの鮮やかな雰囲気も、それからあの真剣な友人の表情も。ーー結局私はそれを満喫することにした。それから私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間校内を歩いていた。始終私の心を圧えつけていた不吉な塊が、そこへきた瞬間からいくらか弛んできたとみえて、私は高校の上で非常に幸福であった。あんなに執拗かった憂鬱が、そんなものの1日で紛らされるーーあるいは不審なことが、逆説的なほんとうであった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その文化祭の賑わいは例えようもなくよかった。その頃私は定期考査前でいつもリュックが重かった。事実友達の誰彼に私のリュックの重さを見せびらかすためにリュックの持ち合いなどをしてみるのだが、私のリュックが誰のよりも重かった。その重い故だったのだろう、手ぶらで歩いている側から感ぜられるその身体の軽さは快いものだった。
 私は何度も何度もその会場を歩き回ってみては深呼吸してみた。美味しそうな焼き鳥やスイーツが想像に上ってくる。漢文で習った「売柑者之言」の中に書いてあった「鼻を撲つ」という言葉が断れぎれに浮かんで来る。そしてふかぶかと胸一杯に賑やかな空気を吸い込めば、ついぞ胸いっぱいに呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血のほとぼりが昇って来てなんだか身内に元気が目覚めて来たのだった。
 実際あんな単純な聴覚や触覚や視覚が、ずっと昔からこればかり探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思えるーーそれがあの頃のことなんだから。
 私はもう往来を軽やかな興奮に弾んで、一種誇りかな気持ちさえ感じながら、美的装束をして高校を闊歩しているカップルなどを眺めては歩いていた。バザーで豚汁を買ってみたりサバゲーに参加してみたり、またこんなことを思ったり、
 ーーつまりはこの活気なんだなーー
 その活気こそ常々尋ねあぐんでいたもので、疑いもなくこの活気はすべての高校生のすべての青春を空気に放出してできた活気であるとか、思い上がった諧謔心からそんな馬鹿げたことを考えてみたりーー何がさて私は幸福だったのだ。
 その後をどう過ごしたのだろう、私が定期前最後の日曜日、向き合ったのは数学のプリントだった。平常あんなに避けていた数学のプリントがその時の私にはやすやすと取り組めるように思えた。
 しかしどうしたことだろう、私の心を満たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。場合の数にも確率にも私の心はのしかかってはゆかなかった。憂鬱が立ち込めてくる、私ははしゃぎすぎた疲労が出てきたのだと思った。私は他の単元へ進んでみた。積分計算の重たいのをこなすのさえ常に増して力が要るな! と思った。しかし私は一問ずつ読んではみる、そして取り組んではみるのだが、丁寧な答案をつくってゆく気持ちはさらに湧いて来ない。しかも呪われたことにはまた次の一問を解き出す。それも同じことだ。それでいて一度パラパラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこで放棄してしまう。方針を立て直すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだった?図形の重い問題までなおいっそうの耐え難さのために置いてしまった。ーーなんという呪われたことだ。右手のペンだこに疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が放置したまま積み重ねたプリントの群を眺めていた。
 以前にはあんなに私を惹きつけた数学がどうしたことだろう。一問一問に解答し終わって後、さてあまりにも尋常な周囲を見回す時のあの堪らなく清々しい気持を、私は以前には好んで味わっていたものであった。
「あ、そうだそうだ」その時私はポケットの中の文化祭のチェキを思い出した。プリントをごちゃごちゃに積み上げて、一度このチェキで試してみたら。「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積み上げ、また慌しく潰し、また慌しく築きあげた。新しくファイルから引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な数式の迷路が、その度に赤くなったり黒くなったりした。
 やっとそれはできあがった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その迷路のゴールに恐る恐る文化祭のチェキを据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、そのチェキの色彩はガチャガチャした数式やグラフの羅列をひっそりと長方形の身体の中に吸収してしまって、カーンとさえかかっていた。私は埃っぽい自室の空気が、その写真の周囲だけ変に華やいでいるような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイデアが起こった。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ーーそれをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をしてベットに入る。ーー
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「寝てしまおうかなあ。そうだ寝てしまおう」そして私はすたすたベッドに入った。
 変にくすぐったい気持ちがベッドの中の私を微笑ませた。数学のプリントへ青春に輝く素晴らしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの数学という教科がプリントを中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな数学のテストも木っ端微塵だろう」
 そして私は赤点の答案用紙が奇体な趣きで街を彩っている夢の中へ沈んでいった。

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