見出し画像

3.11 東日本大震災と『食の安全』運動の思い出

3.11ということで、Evernoteの日記から、当時の記録を探してきた。



2011年6月、新幹線の切符が安くなった時、岩手県に行ったときの記録。

この光景、ため息しか出なかったな。
(昔はガラケーだったので、画質が悪い)

2011年6月の日記

写真右:マイヤ本店は4階あり、私は事務所でアルバイトしていた時期があったが、「津波が来たら屋上に逃げるのよ」と、よく言われていた。

職員の方は全員、屋上に逃げたらしく、翌朝自衛隊にヘリで救助されているところを、東京にいた私はテレビで見た。

2ヶ月後、職場でお世話になった人は全員無事だったと聞いて安心した。


3/15、福島の原発爆発事故が起きた。

私はネット上の運動からリアルの市民運動に入り、イトーヨーカドー、イオン、マルエツなどなど、大手スーパーに対して「食品の放射能検査を要請する」アクションに協力。私は、メールを書いて送ったり、地道に店舗のご意見箱に投書したりした。
その頃の、企業とのやりとりのメールは全て保管している。


生協は別団体からの要請で、いち早く食品検査を開始した。これは、東京・生活者ネットワークや共産党関連の動きが強かったからだ。(生活者ネットワークは、チェルノブイリ原発事故の時も活躍した政治・市民団体だ)
その他の大手の小売業社の放射能検査体制が整備されるまでは、半年ほどかかったと記憶している。

生協、大地を守る会などがいち早く動き、イトーヨーカドー、マルエツ、イオンと続いた。

結果、数万検体の食品が検査され、流通する食品の安全性は担保された。(なお、イトーヨーカドーは「イトーヨーカドー の取り組み 放射能プロジェクト」を含む「安心・安全」の取り組みで経産省の賞を受賞した)


今日の皆さんの安心な食生活の裏には、そのようなボランティアの働きがあったのだ。

ちなみに当時、国は、その正反対のことを全力でやろうとしていた。
「安心安全の放射能、食べて応援」を掲げ、食品の検査体制が不十分な時期(食品検査体制が流通で構築される以前)、早くも2011年5、6月頃に小学校の給食がターゲットにされた。
一部のパパ、ママ達が各市町村の議員と協力し、食べて応援給食を中止させた所も多かった。


『食の安全』を守る市民運動は、私の尊敬するママ友達も全力で取り組んでいたが、多くの無関心な市民には、バカにされてきた。

「人々の為になることをやると、何もしていない人からバッシングされる」
このような流れは今に限ったことではない。

今も国は、コロナ対策やワクチンで、同じようなことをやっている。


歴史は繰り返す。




中国の易経にも似た教訓が書かれている。
(※易経=易占いではない。易経は儒教の経典である)


易経を勉強した上で「歴史は繰り返される」ものであることを思えば、易経が生まれた紀元前8世紀の頃から、人間は変わらないのだと、残念に思いながらも、冷静に状況を俯瞰することが出来る。

『易経』は、四書五経と呼ばれる儒教の経典の一つです。 『易』または『周易』ともいう古代中国の占いの本で、その原型がまとまったのは、紀元前八世紀ごろといわれています。

京都大学デジタルアーカイブ



私は今では、市民運動やNPO活動は、すっかり止めてしまった。

市民運動、労働運動と長く続けたものの、メンバーらの左翼的な凝り固まった思想や、必ず起こる内ゲバに疲れて脱却したのだ。


オンライン署名サイト Change.orgだけは、社会的インパクト、実績を残しているから、今でもサポーターを続けているけどね。




なお、市民運動に参加すると、東京なら永田町の議員会館の『院内集会』(会議や勉強会)に参加出来て、国会議員との繋がりが作れる。

市民運動や労働運動の人との横のつながりや、活動実績は少しは問われるけど。

※ここでいう国会議員とは「きちんと仕事してる国会議員」を指す。パーティー券と裏金に夢中な国会議員は、まともな勉強会なんて、金にならないことはしない。

自民党でも、きちんと仕事する人はいるっちゃあいる。
とてつもなく稀だけどね。

野党の方が、ちゃんとした政治活動には熱心だよ。



防災のためにも、出来るだけ裏や闇のない、真面目な政治家に投票したい。

#防災いまできること

この記事が参加している募集

防災いまできること

不運な人を助けるための活動をしています。フィールドワークで現地を訪ね、取材して記事にします。クオリティの高い記事を提供出来るように心がけています。