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生い立ちについて2 小学生編 流行り物禁止令

6〜7歳

小学校低学年の頃。
世間では阪神大震災、地下鉄サリン事件、酒鬼薔薇事件等の起きた直後だったけどほぼ記憶にない。
小学校からの帰り道にツツジの蜜を吸ったり、アリの巣を観察したり、友達と「グリコ」をしながらゆっくりゆっくり進んだりするのに夢中だった。
帰りが遅くなるとたびたび母親が探しに来て強制連行になることもあった。
相変わらず人と関わるのは得意じゃなかったけど、幼児の時とは逆に、かなりうるさい子供だったと思う。授業中何かを思いつくとすぐ口に出す。友達に口喧嘩をふっかける。予想と違うことが起きるとますます落ち着きを失ってしまう。今の時代だったらこの時点で発達障害の検査すべきなんだけど当時はそういう概念がなくて、「我慢が足りない子」「おっちょこちょいな子」という扱いだった。当然忘れ物は多いしお道具箱の中はグチャグチャ。

そういえば、授業中机に座っていられない子や学校ではいっさい喋れない子もクラスに1人ずつくらいはいたと思う。元気にしてるといいな…。

2年生の時の嬉しかったエピソードとして、「学級だより」に私が授業で書いた詩が3つほど掲載されたことがあった。あと、夏休みの宿題で書いた作文が関東の各小学校から代表作を載せる文集みたいなのに選ばれたりもした。担任の先生がわりと芸術方面に力を入れている方だったので、そういうことに積極的だったのかもしれない。「とりあえず国語と図工は何も考えなくてもできるな」と思ってた。逆に算数(数学)と体育はどう頑張っても、高校卒業まで全くだめな自分に苦しむことになるという…。

8〜11歳


3年生に上がるタイミングで転校した。周りのメンバーが変わると女子のグループ内でのポジションも変わってくるようで、それまでは大して周りから指摘されなかった「おっちょこちょい」「抜けてる」部分についてもいじられるようになる。この歳になってもアリの巣の観察をやめていないことからもわかるように生き物が好きだったんだけど、周りの女の子たちはモー娘。やらプリクラやらに夢中だったので徐々に差が出てきてしまう。
この頃になると、女子はグループごとにカラーの違いが顕著になってきていて、派手目なギャルっぽい子たちの中には茶髪だったりメイクしたりする子もいたと思う。モー娘。のゴマキの全盛期、世紀末の少し暗い時代が終わって服も音楽もやたら明るいものが流行ってた覚えがある。
私は当然そういう中にはおらず、絵を描いたり本を読むのが好きな子達とか、ちょっとボーイッシュでスポーツが得意な子達と仲良くしていた。ただ、そこには大きな障害が・・・。

「なんかちがう」我が家

当時、というか今もだけど、私の家では基本的にNHKしか見ない。
両親が例外的に気に入った番組以外は基本的に民放を見られないので、当然ながら友達が話す流行りの歌手、ドラマ、CM、バラエティ等々の話題についていけない。
加えて、「友達同士で自転車で出かけるの禁止」「ゲーセンに行くの禁止」「駄菓子屋でお菓子を買うの禁止」「一部を除いてゲーム禁止」「ベティーズブルーとかの流行りの服禁止」なんかも言い渡されて、絶望的な気分になった。
今で言うとなんだろう。YoutubeとSwitchとLINEの使用を禁じられてる、とかに近いのかな。
百歩譲って、通ってる学校もそういう方針の厳しい私立とかであればまだわかるかもしれない。でも私は小中高とごく普通の公立校だったし、こんな状況では普通の友達付き合いに支障が出まくってしまう。
そんなわけで、元来コミュニケーションが苦手だったのに両親の謎のルールの影響も加わって、小学校を卒業する頃には友達はいるけどなんだか大多数に馴染めないオタクっぽい子供が出来上がっていた。。。



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