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旧かなづかひはエレガントで美しい  書いてゐて楽しくなるよ

旧かなづかひ(歴史的仮名づかひ)とは…

「思ふ」「言ふ」「ゐる」「お使ひ」「するだらう」「このやうに」などの仮名づかひはきっと古文の授業以外でも目にしたことがあるだらう。
昭和21年まで日本人が使っていた仮名づかひだ。
理由は自分でもよくわからないが、私はなぜかこの旧かなづかい(歴史的かなづかひ)に惹かれる。

はじめて旧かなづかひで書かれた小説を読んだのは高校生の頃、三島由紀夫の「豊饒の海」だ。
なんて美しく、日本語の美しさを味わへる文章だ、と感動した覚えがある。
そして、旧かなづかひで書かれた小説を読み始め、自然と旧仮名遣いには慣れたつもりだ。
でも、正確に旧仮名づかひで書くことはいまだに出来ていないと思ふ。かうやって書いていてもいくつかの間違いはきっとあるだらう。
旧かなづかひといっても、日本語のスペリングのことで間違へるのはあたりまえ。
今の仮名づかひだって間違へることはある。気にせづどんどん使ってみやうと思ってゐる。

現代では完全に趣味の世界


多くの人は古文、文語、和歌。俳句で使うものと思ひ混んでゐるがそんなことはない。口語にだって使へるのだ。
私は手紙や日記、エッセー、歌など個人的なものによく使ってゐるし、恋人や子供たちとのメールやLineなどでは旧かなを使ふことにしてゐる。
特にLineやX、FacebookなどのSNSにはこちらの方が似合ふのではないか。

ただし、旧かなでやりとりするには、お互いに文学と歴史の素養が多少なりとも必要であらう。
すべての感動を「かわいい」「ヤバイ」「めっちゃ」としか言ひ表すことのできぬ空疎な若者たちには使ってはならない。
読書の習慣がない人、インターネットからしか情報を得ない人たちにも使ってはならない。
理解できぬばかりか。「なんだこのウザいオッサンは!」とか「何でこんなもんにこだわってんの、バッカじゃね」とブロックされてしまうのがオチだ。
それと、企画書や事業計画書、報告書、始末書、謝罪文などビジネス関連の文書にも使わない方が無難だ。
始末書や謝罪文、破門状や絶縁状などを旧かなづかひで書いた日にやぁ 「ナメてんのか、このヤロウ!」となってしまう。

このやうに実生活では何の役に立つのかわからない、限られた人たちの密かな楽しみである。
でも楽しい。
ひたすら自己満足であるけれど。
いはゆるTPOの精神こそ尊い。かなづかひもファッションと同じく、時処位に応じて新旧を使ひ分くべきなり、ことさら興味のない人に押し付けるものではない、といふことか。

旧かなづかひをビジネスで使ってゐる会社がある


しかし、十数年前、私はこの旧かなづかひを日常の業務に使用してゐる現場に遭遇したのだ。

そこは、神社本庁(会社ではないが)である。
日本全国の神社を管理・管轄している宗教法人だ。
わたしは当時この宗教法人で、広報体制の構築と広報・PR活動のコンサルタントとしてお手伝いをしていた。
なんとここでは発行するすべての文書、マスコミ向けのプレスレリースまで旧かなづかひで書いている。
私が作成する現代かなづかひのプレスレリースを広報部員が即座に旧かなづかひに変換してくれる。
素晴らしい! 同じ文章が五割り増しぐらいの格調の高さになる。
文化的な蓄積への誇りを感じ、感動したものだ。

もう一つ、神社本庁の業務の一環として接触した、神社新報である。
神社新報は昭和二十一年七月、神社本庁の機関紙として発刊された(現在は独立した株式会社)、全国唯一の「旧仮名づかひの新聞」である。
週4回発行、記事全部が旧かなづかひで出来上がってゐる新聞だ。
全国神社界のニュース、論説、皇室記事、宗教関係ニュース、神道と密接な関係を持つ社会文化記事のほか、神社関係者としての角度から見た時事解説、民俗文化関係のコーナーなど、多彩な内容を盛り込んでゐるが、一貫して「伝統的日本人ならどう考へるか」との視点を貫いてゐる。
購読申し込みはネットでも簡単にできるので、興味のある方にはぜひオススメしたい。

神社新報

以下、同紙の「簡単に覚えられる歴史的仮名遣い」から要点を抜粋してみる。

1. 「いふ」か「いう」か


「現代仮名遣い」は、ハ行の動詞であった「言ふ」は「言う」と書きア行の動詞となります。
さらに、意志・推量の助動詞「う」がつくときはどうなるのか。
「言おう」と書きます。
「歴史仮名」と較べてみませう。「言ふ」は「言はない」「言ひます」「言ふ」「言ふとき」「言へば」「言へ」で、未然形につく推量の助動詞「う」がついた時も「言はう」と書きます。
これを文法用語で説明しますと、「ハ行四段活用動詞」といひます。

「言う」と同じ例として、「現代仮名」で買う、食う、問う、逢う、使う、扱う、思う、願うーーなど、語の末尾が「う」字で終る動詞はすべて「歴史仮名」ではハ行で表記します。

2. 「える」か「へる」か「ゑる」か


もう一つハ行の下一段活用動詞(文語は下二段活用動詞)について説明しませう。
おっくうになってしまひますので、文法用語はなるべく遣はないやうにします。
要するに、「歴史仮名」で「へる」と遣ふ用語はどんなものかといふことです。

「現代仮名」で、考える、答える、変える、替える、支える、加える、数える、整える、称える、耐える、揃えるーー等々、「える」と書く用語のほとんどは「へる」だと思ってください。

ただ、「歴史仮名」では「える」と書く場合と「ゑる」と書く場合もあります。
 しかし、「える」も「ゑる」も用語例が少なく、これだけは機械的に覚えていただきたいのです。
覚えるといっても、本当に覚えなくてはいけないのは、「ゑる」の用語です。
これは「植ゑる」「据ゑる」「飢ゑる」の三語しかありません。
「ウー」「スー」「ウー」と三度声を出されればもう覚えられたでせう。
 
では、「える」はどんな用語か。
文語で終止形が「ゆ」で終はる「ヤ」行動詞です。
実例をあげませう。
覚える(覚ゆ) 聞える(聞ゆ) 見える(見ゆ) 消える(消ゆ) 甘える(甘ゆ) 越える(越ゆ) 超える(超ゆ) 肥える(肥ゆ) 凍える(凍ゆ) 冷える(冷ゆ) 栄える(栄ゆ) 聳える(聳ゆ) 絶える(絶ゆ) 煮える(煮ゆ) 生える(生ゆ) 映える(映ゆ) 増える(増ゆ) 冴える(冴ゆ) 癒える(癒ゆ) 萎える(萎ゆ) 吠える(吠ゆ) 萌える(萌ゆ) 燃える(燃ゆ) 脅える(脅ゆ) 悶える(悶ゆ)

この他にもまだ少しありますが、日常用語にはほとんどでてきません。「現代仮名」で「える」ときた用語は、まづ「ゆ」に置き換へてちょっと考へてみてください。慣れれば自然に遣ひ分けられるものです。
 
ここで間違ひやすい用例は、「絶える」と「耐(堪)へる」です。「絶える」はヤ行「絶ゆ」で、「耐(堪)へる」はハ行です。同音であるために気をつけてください。

3. 語中語尾の「わいうえお」は原則とし「は ひふへほ」になります


 「歴史仮名」の代表選手はハ行表記にある。
このハ行表記を習得すれば、「歴史仮名」の八割方を覚えたといっても過言ではありません。
 
では、ハ行表記の覚え方の基本となるものは何か。
それは「現代仮名」の表記で、語中語尾にくる「ワイウエオ」は原則としてハ行になる、といふことです。
「すなわち→すなはち」「ついに→つひに」「ゆうがた→ゆふがた」「たとえば→たとへば」「おおきい→おほきい」といふふうにです。
「言う」の項で述べた語尾に「う」のつく動詞はすべて「ふ」といふのもこの原則に当てはまります。
 
「原則として」といふのは例外があるからです。ですからこの例外だけを覚えればよいわけです
一例をあげると、「おおきい(大きい)」か「おうきい」か、「こおり(氷)」か「こうり」か、「おとおさん」か「おとうさん」か、「とおだい(灯台)」か「とうだい」か。
「現代仮名」は発音どほり書くのを原則としますから、「オ」と発音するものはすべて「お」と書けばよいはずですが、「おオきい」「こオり」は「お」と書き、「おとオさん」「とオだい」は「う」と書かなければいけません。

旧仮名遣いは書かれた仮名と読みは違っている場合もあるという前提に立っています。例えば、「てふてふ」は「ちょうちょう」と読みます。新仮名遣いは完全に音を表すかというとそうでもありません。「○○へ」と書きますが、「○○え」と発音します
                            以上抜粋

文法は苦手だ


私も「ハ行四段活用動詞」とか「下二段活用」「動詞の未然形」など文法的な解説には頭がいたくなるタイプである。
要するに、「思う」「思わない」の「おもう」はハ行動詞といって、「思はない」「思ひます」「思ふ」「思へ」というやうにハ行の文字を使う。
そして、「見ている」「立っている」などの「いる」は「ゐる」になる。「ゐ」のカタカナは「ヰ」、「ゑ」のカタカナは「ヱ」
「ハ行」と「ゐる」が使へれば、旧かなの80%はできてゐる、といふことだ。

小説で実際の使ひ方を学ぶ


これに加へ、旧かなで書かれた小説を読めば、実生活で使われる言葉をどう表現するかを、覚えられる。

現在では原文が旧かなで書かれた小説でも新仮名に直されてゐるので、探すのに骨が折れる。
文庫で三島由紀夫の豊饒の海を再度読まうとしたが、新仮名づかひになってゐたので途中で止めてしまった。何か小説の雰囲気がまるで違うやうに感じたからだ。

現代作家で特に気に入ってゐるのは、井上ひさしの「東京セブンローズ」と丸谷才一の一連の作品だ。
近年の発刊にもかかわらづ、あえて旧かなで書かれたものだ。
著者の日本語へのこだはり、愛着、美意識がビッシリ詰め込まれてゐる。
そして神社新報である。

これらは、現代の言葉づかひで、旧かなの使ひ方を学ぶことができる。

井上ひさし・丸谷才一

古いところでは、おなじみ、樋口一葉、正岡子規、夏目漱石       永井荷風・・・

正岡子規・樋口一葉

ちなみに私はKindleを愛用してゐる。
老眼が進んでゐる場合、Kindleほど重宝するものはない。これはいいよ。

『文章は今生きてゐる者だけに通ずればよいといふものでなく、百年も千年も二千年も、もっともっと後々の人にまでわれわれの考へを伝へていく役目を持ってゐます。

われわれは今、わづか四、五十年前の書物が原文では読めなくなってきてゐる事実に、目を背けてはなりません。
われわれの時代に、そんな軽率なことを許していいのでせうか。

先人らが永い年月をかけて積み上げてきた仮名遣ひを、敗戦といふ混乱期に、ほとんど検討しないままに文法的にも欠陥の多い「現代仮名遣い」に変へてしまった“国語の破壊”を悲しみます。昭和二十年以前の文学作品を古典にしてしまってはなりません。文化の核は、その民族が育ててきた“言葉”を中心にしてゐます。
日本語の伝統を守る心は、日本の美風を守る心につながります』

と神社新報社は述べてゐる。

ほんたうにその通りだと思ふ。

「旧かなづかひ」は、合理的で美しく、語源や意味も正確に伝はり、使ひ勝手がいい表記法だ。
その基本をおぼえて、日本語の美しさを味はひませう

            最後までお読みいただき、ありがたうございます


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