真理子のリアル人生劇場 波瀾万丈 第5話〜愛してると言って〜
“真理子のリアル人生劇場は実話です
波瀾万丈な人生の中ですり減ってしまったあたしは
忘れていた夢に向かう事で
初めて自分の意思で人生を歩き始めて知った生きる意味。
それまでのもがき悩んだあたしの軌跡を語ってます“
〜〜〜ここから第4話からの続きです〜〜〜
第5話〜愛してると言って〜
K(元夫)と離婚して1才の息子とあたしがスムーズに2人暮らしを始められたのはM(元彼)の経済的援助と精神的サポートに助けられての事だった。
でもM(元彼)と再会はしたけれど、もう以前の2人ではなかった。
元々、Mを嫌いになって別れた訳ではなく、愛人という立場が辛くて
結婚がしたくて、その当時に出会ったKと結婚した。
K(元夫)との離婚後に 例えM(元彼)と再会しても以前のような関係ではない事は分かっていたけど・・・再会してみてお互いの気持ち自体が以前とは違うのだと実感した。
M(元彼)は・・・あたしを以前とは違う目で見た。
“自分以外の誰かと暮らしてその男の子どもを産んだ真理子。
もう自分の真理子ではなく、子の母として生きねばならぬ真理子 ”
そおいうMの感じがあたしには分かった。
気持ちの通じあうMだったからこそ、その気持ちは何も言わないでも感じた。
そしてあたし自身の気持ちも変わっていたのだ。
結婚がしたくて・・・Mへの気持ちも関係も振り切って・・その時に出会ったKと結婚した。
それでもいつの間にかあたしは本気でKを愛していた。
何もかもが通じ合わないふたりだったのに、理屈抜きで愛していたのだ。
でも通じ合わないまま、あたしは産後病気になりKの重荷になってる事も惨めと感じたし何より愛されない哀しさで離婚届をK(元夫)に託したのだ。
再会後、M(元彼)は「真理子が自立できるまでは助けるからね」と言って
経済的にも助けてくれたし一ヶ月に1回位は様子を見にきてくれた。
でも、子どもに情がうつると困るからとほんのわずかの時間だったし、Mは本当にあたしの救世主だったけど・・・もうあたしの“彼”ではなかった。
それでも全ての相性がいいあたしとMは、お互いその気になってしまえば、又、愛し合うふたりになってしまえたと思うけど、それぞれお互いにブレーキをかけるものがあったのだ。
あたしにとっては息子と離婚での痛み。
これからどお生きていけばいいんだろう。体を治してどんな仕事をしたらいいだろう・・
そんな事を考えていた頃、しばらく話していなかった幼なじみの友達が電話で言った。
「離婚の前かな〜、K(元夫)から電話があって・・・真理子の事は愛してる。でも俺じゃだめなんだ。結局あいつはそっちに行っちゃうよって言ってた。」と。
あたしを愛してる?!
いつそんな事言ったの?
離婚前?
彼の口から「愛してる」なんて一度も聞いた事はない。
訊いても決して答えてはくれなかった。
本当だろうか?
あたしはその後しばらくしてから勇気を出してK(元夫)の家に電話してみた
Kの母が電話にでて言った。
「あんたなんか電話しないで。
他に男をつくってKを苦しませて離婚して」
他に男をつくってKを苦しませて離婚?!!
その言葉を聞いた時、意味がわからなくて、Kが離婚の理由を嘘でもついて話したのかと思ったが、幼なじみへの電話とも話が合ってる・・・まさかKはあたしがM(元彼)の元に行きたくて離婚届を渡したと?
離婚するまでM(元彼)とは会った事もないのに?
離婚の理由が、あたしの理由とK(元夫)から見た理由がこんなにかけ離れているなんて・・・。
Kはあたしを愛してたって本当なの?
そうなら何故言ってくれなかったの?
その言葉が聞けてたら、離れなかったよ・・苦しかったのは病気でも、育児でもない・・愛されない哀しみだったんだもの・・・。
Kは出産後あたしに触れなくなっていた・・・付き合っていた時はあたし達は会う度求めあっていたのに妊娠して出産していつのまにかKは触れ合う事を避けていた。
「何でなの?」と訊いても、色んな夫婦がいるんじゃないの、と言ったりするだけで、Kの気持ちはあたしにはわからなかった。
夫婦であっても、男と女の関係もなくて、愛してるという言葉もない、そうしたら妻は愛されているのかどおしたらわかるの?
M(元彼)は14年間いつも「愛してる」って言ってくれてた。
どんなに愛しく思っているかをいつも言葉と態度で。
それが普通とは言わないけれど、言葉でも態度でも愛を伝えられない女は心が渇いてしまうよ。
それとも妻は女じゃないのかな・・・Kに愛されたくて子どもが産まれて睡眠不足でもいつもきれいにしてたけど・・・男にとって結婚して出産したら妻は女じゃなくて子の母であり、ただ一緒に生活する家族になっちゃうの?
それは女としては寂しい事だね。
Kがあたしを愛していたと友人に語ったのはどんな愛だったんだろう。
女としてのあたしか。
自分の子の母&家族としてのあたしか。
子どもを産むと気持ちが母になり、夫を男と見れなくなる人もいるが、夫もまた妻を家族として愛しているのならその夫婦は合ってるんだろう。
でもあたしはKを女として愛していたから・・・Kがあたしを女としてでなく家族として愛してたというのなら・・・やはり一緒に居てもあたしは切なかったろうと思う。
その後数日、“Kがあたしを愛していた”という友人の言葉が、あたしの中で消えきってないKへの未練心を疼かせていた。
そんな時・・・Kが会いに来ると連絡があった。
何のために?息子に会いに?
あたしはわかったとだけ言ってKを待った。
Kは息子を抱き上げ、「元気にしてたか?」と息子に語りかけ、そして3人で食事をしたり散歩をしたりして夜には帰って
行った、何も語らずに。
Kの顔を見た時キュンとしたから・・あたしはやっぱりまだKが好きなんだなと思った。
そしてひと月も経たずに再びKは来て同じように過ごした・・・。
あたしは思いきって訊いた。
あたし達やり直せるの?
Kは沈黙の後、苦しそうに言った。
俺、今、逢ってる人が居るんだ・・だって
お前だって・・・。
逢ってる人がいる・・・その言葉はあたしの胸深く刺さった・・そしてこの時はっきりと、ああ、あたし達はやっぱり無理だと受けとめた。
お前だって・・とKは言ったけど、M(元彼)は昔の付き合いの償いのようにあたしの自立を支援してくれてるんで、一線をひいてる関係。
でもそんな事を言い訳のように言う意味もない・・Kに付き合う人ができたと言うなら・・。
Kの“逢う人”という言葉がそれほどショックだったのは思った以上にまだKが好きだったから。
離婚したけどKはあたしにとって本能的に魅力を感じてしまう存在なんだ。
それゆえにあたしは深く傷つく。
そしてその夜、やっぱり泣いた・・やっぱりあなたとは傷つく・・・今度こそ本当のさよなら・・好きだけどもう振り向かないね・・・。
その後あたしは再び体調が悪くなり病院で検査することになった。
しかし頼れる身寄りのいないあたしは病院に行くのに1歳の息子を預ける先もなかった。
悩んだ挙句、市に相談したところ、児童相談所経由で施設にその間預かって貰える事になり、あたしは病院で検査を受ける事ができた。
検査が終わって結果はまだだったが息子が心配で急いで施設に息子を迎えに行くと、“返せない”と言われた。
“ひとり親で頼れる身よりもなく、その母親が病気のような状況では返せないので養生してよくなるまで預かった方がよいという方針が出ました、と。
後に考えれば、児童相談所の適正な判断だとも思う。
しかしその時のあたしは息子しかなく、息子まで奪われたら、と恐怖を感じ、そんな方針受け入れられなかった。
それから暫く考えて、あたしは決心した。
もう病院には行かないと。
あたしはどんな事をしてもこの手でこの子を育てると。
そしてあたしは死ぬもんかと。
それから児童相談所の担当者と話して病気は良くなりました(うそ。その後もう一度検査しましょうと言われてた)
もう大丈夫なので息子を連れて帰りたいと熱心に訴えた。
そうしてやっと連れ帰る事ができた息子は施設でひどい嘔吐下痢のウイルス性胃腸炎に感染していた・・・。
何日も熱と嘔吐下痢で死ぬんじゃないかとあたしは怯えながら、脱水しないようにと水分を与えながら、絶対、絶対もう手放さないからね、と思っていた。
あたしはあなたの母として生きるからね、と息子に誓った。
あたしの体調が中々回復しないのを知ったM(元彼)は
体が良くなるまで無理しないで、良くなったら動けばいいよと言ってくれていた。
本当にMには感謝しかない。
1年位息子を育てながら養生したけど体調は回復しなかった。
この病気については色々あるのだがそれは別の機会に。
そんな体調不良の状況で先々の不安を抱えていた頃
Yと知り合った。
次回に続く
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