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真理子のリアル人生劇場 第6話〜愛なき再婚〜

真理子のリアル人生劇場は実話です。

虐待親からの逃避、最愛の人との別れ、結婚、離婚、再婚・・・夢への道のりと

長い歩みを振り返り語っています。


〜*〜*〜*〜*ここから第6話です*〜*〜*〜*〜


1才の息子を抱えて離婚したあたしは、妊娠中から崩した体調が良くならず、又、息子の発達について感じるものもあり、ふたりの先々に不安を感じていた。

そんな時Yと知り合った。

妻と離婚後、再婚相手を探していたY。

何と2度目に会った時にはほぼプロポーズの言葉を言われたのだ。

正直、あたしは離婚の痛みも癒えてなくて、性急過ぎて気持ちはついていかなかった。

何よりYに何にも感じなかった。

いや、そう言うと嘘になる・・・正直嫌いなタイプだった、直感的に。

よく知らないのだから生理的にとしか言えない。

だからもちろん1度目のプロポーズは断った。

でもYは諦めない感じだった。

何でそんなよく知らないあたしとの結婚を望むのかその時はわからなかったけれど、実はあたしが元妻に似ていたからだと後になって知ったのだった。

あたしはその頃、離婚のダメージといつまでも良くならない産後体調不良、そして息子の発達についての不安とで精神的にはどん底にいた。

M(元彼)は離婚後経済的に助けてくれたけど、Mには家庭もあって会社も大変な時期だったにから、もうそこれ以上甘えてはいけないという思いが日々強くなっていた。

そんな時目の前にあたしと結婚を望む人が現れた。

Yは前の結婚生活は20年ほどで、成人息子がおり、あたしよりずっと大人なんだろうと思われた。

仕事先も勤続20年以上で、いかにも真面目そうだ。

ただあたしはYを好きにはなれない、生理的に。

それでもYは何かと連絡してきた。

先の不安と心細さしかなかったあたしの脳裏に浮かんだのは 

“今のあたしはやはり一人では息子を育てられない。でもこの子を施設に入れたり手放す事は絶対したくない“

それだけだった、本当に。

そして、Yが言ったのだ。

「今なら子供も小さくてわからないから本当の父親として育てられる。本当の子として育てたい」と。

その言葉があたしに刺さった。

“息子を安心して育てる家庭としてYと結婚しよう・・・努力すればYを愛せるかもしれない・・例え愛せなくても家族としてなら共に暮らせる、と。

求婚を受けると伝えた時、Yは「本当か?!絶対幸せにするよ!」と言った。

でもYには申し訳なかったけど、あたしは
“本当にこの人を愛せるだろうか・・・いや例え愛せなくとも、息子と生きていくには女としての気持ちは捨てて母として家庭を築く、今はこの選択しかない“
という思いしかなかったのだ。

こんな思いで結婚する事がYには申し訳なく、又、身売りするような自分がこの世の大切な何かに背いているようで重苦しい気持ちだった。

一刻も早くの同居と入籍を望むYに対して、あたしはぐずぐずしていた。

皮肉なものだな・・・K(元夫)には一刻も早くの同居と入籍を望んでケンカになったりして溝ができていったのに、今は逆の立場になった・・・あたしはあの時自分が結婚できたのが嬉しくてK(元夫)の気持ちにまで考えがいたらなかったのかな。

そんな事も思ったりしつつ・・・これからはYを愛せるように努力しよう。でなければ、こんなあたし達と結婚するYが可哀想だと思い、決心して同居&入籍となった。


でも、Yの家に移り住んでまずガッカリしたのは、前の妻の衣類がクローゼットにはあり、前の妻のもの、家族のアルバム、普通に家の中にある事だった。

片付けてくれてなかったんだね・・・。

それでもYとYの元妻が営んできた結婚生活でのものをあたしが勝手に整理するのも図々しい気がしてそのままいじらずに、「この服とかどおするの?」とYに訊いた。

すると、「着たら?」とY。

「え?それはいやだょ」とあたし。

「もったいないじゃないか、わがままだな」とY。

わがまま?

元妻の服をあたしが着ないのがわがままなの?

ああ、あたしが直感的に好きになれないと感じたのはYのこういう感性だな、と思った。

元妻の服、元妻の台所用品、元妻の布団、元妻の家具、何もかもそのままあたしが使うのが経済的だから、という感覚らしく、その後も元妻のものについては折り合わず、あたし的には不快だった。

そしてあたしは元妻の服は着なかったし、布団も使わなかった・・・それでYの中であたしをわがままという思いが強くなっても。


その後も元妻の家具や生活用品に囲まれて暮らし始めた家はまさに他人の家としか感じられなかった。

大きなものの買い替えには反対のYだったから、あたしは自分の持っていた布のフリーカバーでソファを覆ったりして部屋のイメージだけでも変えていった・・少しでも自分の居場所として嫌じゃないように。

あんなに求婚したYだけどあたしのそんな居心地悪さを理解してはくれなかった。

Yは2〜3日に一回仕事から帰るとすぐに出かけた、夜の11時位に。

どこに行ってるの?と訊くと、

「〇〇(元妻)にうちに来てる郵便物を届けに行ってるんだよ」とY。

「もうとっくに住んでないんだから転送届を出して貰えば?」とあたし。

「いや、近くだからいいよ」とY。

え?近く?
え?近くだから、何でいいの?

またしてもあたしには理解できない感性。

元妻と暮らした家で元妻のものに囲まれて元妻の郵便物を届けに行くYとの暮らし。

他人の家に他人の夫と住んでる感覚・・・ガッカリだった
・・・でもあたしだってYを好きでもなくて結婚したんだから仕方ないんだ。

そう思ったけど心は結婚前よりもっとYから離れていていくのをとめられなかった。

その後もYの言動のひとつひとつがYを愛そうと思ったあたしの気持ちを打ち砕いていった。


ある日にYの成人息子がお金の無心に来た。

その時2才の息子が疲れて寝ぐずっていた。

「抱っこ〜」と泣きながらYに近づいていった息子を、Yは「お前なんか抱きたくない!わがまま言うな!」と床にドンと叩きつけた。
息子はびっくりして引きつけのように泣いた。

「何て事するの?」とあたしは息子を抱いて向こうの部屋に行った。

あたしは実の父親の暴力に身も心も傷ついて育ったから、息子への暴力は絶対許せなかった。

Yの息子が帰った後で、暴力は許せないと話したら、「あんなの暴力じゃない」と言うのだった。

それからもゴミ箱を投げつけたり、三輪車を投げつけたりしたが「当たらないように投げているから暴力じゃない」とYは言った。

ある日に階段横の壁に何かがぶつかったようなキズがあるのに気づいた。

ああ、この人は以前から物を投げたりしていたんだなと思い、Yの息子に「お父さんは暴力振るう人?」と訊いたら
「今はそんな事ないと思う」という答え・・・。

まだ結婚して数ヶ月だったけど、あたしはYを大嫌いになってしまってる事に愕然とした。

それでも育児や家事であっという間に1年位経った。

Yとの関係はかみ合わないまま。


結婚直前のSexでYは不能だった。

Yの事を好きでもなく家族婚でいいと思っていたあたしは全然不能でよかった。

それでも夜求めてくる時があり、正直、義務に耐えるようなあたしの気持ちが伝わってかYは結婚後もほぼ不能と言えた。

愛のないSexは苦しかったのでYの不能は天の恵みとも思えたけど、Yにしたら深刻な思いだったんだろうなと、今思えば気の毒に思う。

でも当時はYの言動の全てがあたしにとっては不快だったのでYの気持ちを考える事は出来なかった。

そしてあたしはワンオペ育児に追われてたしYは帰りも遅いので土日以外すれ違いだったのでそんな夫婦でも何とか暮らしていけた。

この結婚は家族婚にもなれないと思ったけど、今は育児で手一杯・・・それがあたしの切ない現実だった。

育児に追われ過ぎて嫌いなYの事を考える暇もないという感じだった。

何故そんなに育児が大変だったか・・それは・・・。

3歳の健診時に「お母さん。お子さんの事で話があります」
そう言われる前からあたしは感じていた・・この子の行動は何かが違うんじゃないかと。

続く


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