22世紀の息子に会いたい
七夕の夜に唐突だけど、
奥さん、「人生100年時代」って知ってます?
厚生労働省さんいわく、
「ある海外の研究では、2007年に日本で生まれた子供の半数が107歳より長く生きると推計されており、日本は健康寿命が世界一の長寿社会を迎えています」
なんですって。
たった30年前には「きんは100歳、ぎんも100歳」なんつって、
「あの双子ばーちゃん、すげーや!」って日本中で大はしゃぎしてたのにね。
そんでもって、ふと気づいたんだ。
うちの息子ね、2015年生まれ。
つまり、それなりの確率で100歳まで生きる系じゃね?
100歳まで生きちゃう系人類じゃね?
さらに言うと2015年生まれの息子が、100年生きたら、それって22世紀。
え、すごくない?
22世紀だよ?22世紀に息子、生きてるんだよ?
20世紀生まれのわたしから生まれた息子が、22世紀に生きてるんだよ?
いやもう、未来人よ、それは。
うちの息子、未来人。フューチャーピーポー。
あの有名な22世紀の猫型ロボットがのび太くんのところにやってくる未来は、
2123年なんだって。(Wikipedia調べ)
わりとギリギリかもしれないけどさ。
あるよ、ある。ないとは言えない、これはあり得るかもしれない!!
おじいちゃんになった未来の息子が、わたしに会いにきてくれる可能性、ある!!
だけど、そうだとして。
いまこのタイミングで会いにこられても、感慨があんまりないって言うかね。
こっちもまだ30代だから、いきなり100歳超えたおじいちゃんが目の前に現れて「おかあさん!」とか言われてもね、いやいやこわいこわいってなるし。
すんなり受け入れられるほど達観してないし。
まず間違いなく、迷いなく、迅速に、おまわりさんに引き渡しちゃう。
だからね、
もうすこし、わたしが人間的に成熟してから会いにきてくれたほうがいい。
すっかり歳を重ねて、仕事も育児も卒業して、のんびり年金(もらえるの?もらえるんだよね?)暮らししてるくらいのわたしのほうが、きっと寛容な気持ちで受け入れられると思うし、のんびり話も聞いてあげられると思う。
だからこれはちょっと本人に言っておこうと思って。
ちゃんと伝えておかないと。
自分の幼少期見たさとかもあって、適当に2020年代に会いにいっちゃおーって来られても。こちら側の心の準備ができてないから。
むしろ目の前の息子の相手さえゆっくりしてやれてないのに、100年後の息子とかどう扱っていいかわかんないし。
息子には、22世紀からタイムマシンに乗って、
ぜひとも余生を楽しんでるわたしに会いにきてほしい。
つーわけで、さっそく、息子に話した。
思い立ったが吉日、この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日。
そんでもってサラダ記念日翌日の今夜は七夕だから。
「息子くんにね、お願いあるんだけど。息子くんがおじいちゃんになったとき、もしもタイムマシンがあったら、おばあちゃんになったおかあさんに会いにきてほしいんだ。おかあさん、おじいちゃんになった息子くんに会いたいんだよ」
わたしの突飛なお願いに、息子はやさしい声でこたえてくれる。
「うん、いいよ。わかったよ」
KA・I・DA・KU!!!!!!
物わかりのよさがすごい。柔軟オブ柔軟。
やさしさの塊なのかな?バファリンの半分なのかな?
よっしゃ。よっしゃ。ちゃんと伝えた。わたしはもう大満足。
これで老後の最高の楽しみできちゃったね。
おじいちゃんになった息子に会えちゃうんだよ。会えるはずがないと思ってた「おじいちゃんになった息子」。
張り切って、息子の大好きなコアラのマーチとカフェオレを用意して待っていよう。おじいちゃんになった息子も喜んで食べてくれるかな?
時間の許す限り、息子の話をたくさんたくさん聞かせてもらおう。わたしがいなくなったあと、どんな風に暮らしていたの?あのとき、どんなことを思っていたの?
わたしの知ることができないはずだった、息子の人生の話を、たくさん。
ああ!なんて素晴らしい計画!!フューチャーピーポー、最&高!!!!
「でもね、」
ん?
息子の声で、我に返る。
「でもね、おかあさん。息子くんはずっとおかあさんといっしょにいるよ。息子くんは、ずっとおかあさんとおとうさんといっしょにいるから、タイムマシンに乗らなくてもいつでも会えるんだよ」
息子が、やさしすぎた。バファリンの半分どころの騒ぎじゃなかった。
わたしのぶっ飛び計画&キテレツ妄想に、幼い息子は言った。
「だから、大丈夫だよ、おかあさん」
今月やるっていうオリンピックが実際のところどうなるのかさえもまだわからないのに、100年後のことを想像してはしゃぐなんて馬鹿げている。
だけど、わたしは22世紀の息子がどうかしあわせでありますようにと祈らずにはいられない。
わたしがいま育てているのは、100年先も生きるひとだ。
特別なことなんて何もしてやれないし、まして彼の人生についてすべての責任を負うこともできずに、この世から先にいなくなってしまうことが予定されているなんて。子育てって、なんて無責任なことなんだろうと、自分でも思う。
未来から「会いに来てほしい」と言うわたしに、
息子は「そばにいる」と言ってくれた。
100年後も、彼がそのやさしさを失わずにいてくれたらどんなにいいだろう。
そのために、わたしは何ができるのか。
今日のわたしが、100年先の息子に残してやれるものは何だろうか。
そして、22世紀の息子が「会いたい」と思ってくれる母であり続けるために、わたしはいま何をすべきだろうか。
奇妙奇天烈摩訶不思議奇想天外四捨五入出前迅速落書無用。
くだらない妄想と、息子のやさしさと、それからすこしの不安と。
薄曇りの七夕の夜、わたしはいまあるしあわせを、思い知った。
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