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息子はこれからどんな本に出会うのだろう。

読書の秋。

それなりに読書はするほうだけれど、わたしはあまり秋には読書が進まない。
過ごしやすい季節には、ふらりと外出してしまいたくなるからだ。

とは言え、毎日1日に30分程度は読書をする。
これはもう習慣だから。顔を洗うとか、歯を磨くとか、そんな感じの。
強い意志を持ってページを開くわけじゃない。
いつもそうしているから、くらいの気持ちで読書をする。

わたしは幼い頃から、本が大好きだった。
親に読んでもらったり、保育園で読んでもらった絵本の記憶もいくつかあるし、
小学校に入ってからは毎日のように図書館通いをしていた。
何にそんなに魅せられたのか。その延長線上で、わたしはいまも本が好きだ。

息子にはとくべつ「本をたくさん読む子になってほしい」なんてことは思わない。
読書を趣味にしているひとたちならきっとわかると思うけれど、
本なんて、数を読めばいいというものではないし、たくさんは読まなくてもいい。
ただ、自分のこころを揺さぶってくれる本に出会うためには、
それまでにいくつもの本を通過しなければ出会えない、というのも事実だ。
その貴重な一冊に出会うためには、本はたくさん読まなければならない。
「本をたくさん読む」とは目標にすべきことではなく、手段のひとつなのだ。

とはいえ、毎日のように読書をしていると思う。
息子はこれからどんな本に出会うのだろう。どんな本に感動するのだろう。

わたしの趣味で埋め尽くされた本棚に、息子の琴線に触れる一冊はあるだろうか。

本棚の前に立って、それぞれの作品との思い出を確かめる。
いくつかの本は、わたしが母の本棚から盗み出してきたものだ。
息子もいつかわたしの本棚から本を盗んでくれるだろうか。
息子にとって、そんなに魅力のある作品が、この場所にはあるだろうか。

そんなことを思う、読書の秋が更けてゆく。

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