子供が、社会から切り離されていく

巣ごもりはとても気楽だ。

毎日、大好きな家族とだけ顔を合わせていればそれでいい。リモートワークもメールだけであらゆるやり取りを済ませているので、家族以外のだれとも声を出して会話しない。遠方にいる両親や、仲の良い友人とは連絡を取り合うけれど、いまはそれで満足しているし、そもそもあまり人付き合いが得意ではないわたしにとっては、むしろ不要なストレスのかからない平穏な日々と言える。

この生活もいつかは終焉するのだろう。

わたし、ちゃんと「社会」に還れるかな?
むしろ還りたくない気持ちが芽生えつつあるんだけど。

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とは言え、心配なのは息子のこと。

感染を恐れて外出は最低限。
1日に長くて1時間程度、家の周りをぶらぶらと散歩するくらい。

近所の公園に人がいないときは思いっきり走って遊ばせる。
ケラケラと声を立てて笑いながら走る姿を見ていると、この「運動」はやっぱり子供にとって必要なものだよな、と改めて思う。

家族連れで買い物をするな、子供は公園に集まるな。
そんな世間の声は至極もっともなのだけれど。

大人よりも社会とのつながりが弱い子供たちにとっては、この心身ともに成長する時期に外出できないというのはかなりの大問題だ。

親はみんな子供の「健康」をどうすれば守れるか悩んでいる。

ウィルスに感染させない、あるいは感染を拡大させない、親が子供のためにこれを徹底することは当然のこと。そのための対策を絶対に怠ってはいけない。だけど、すべての親はそれと並行して子供を健やかに成長させなければいけないという課題を負っている。

たった数ヶ月。そうは言っても、子供の心身の成長には1日だって無為に過ごすことはできない。この自粛生活が、子供の将来にどんな影響を及ぼすのか、いまはだれにもわからない。

親たちが子供を公園に行かせたがるのは、単純な運動不足解消のためだけではない。思い切り自由に体を動かすということがどれだけ子供のこころの成長に必要なことか、それを知っているからこそ、外遊びをさせてやりたいと切に願う。

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わたしは「大人」だから、どれだけ外出できなくても我慢することができる。それは、いまの時代にはインターネットがあって、わたし自身がこの人生の何十年のうちに、外出しなくても「社会」とつながるための術を身につけてきたからだ。

だけど、この状況が長引けば長引くほど、子供たちは「社会」から離れていってしまう。自分自身の力だけでは、「社会」とつながる術をまだ持っていないから。

保育園や学校から離れ、友達と会うこともなく、近所の人と挨拶することもなく、スーパーや遊び場へ出かけて「社会のルール」を学ぶことさえいまは叶わない。それこそ「ラプンツェル」みたいになってしまうのではないかと考えてしまう。

子供が社会と関わらない日々を過ごすなかで、これがどんな風に成長に影響するのかとひやひやする。その解決策はどんな育児書にも載っていないのだから、親は自分で考えて行動せざるを得ない。

こんな非日常の日常がいつまで続くのかだれにもわからない。
だからこそ親は不安になる。子供の健康を守るとは、ウィルスに侵されないことだけを指すのではないのだ。

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早く日常を取り戻したい。

早く「社会」の中で子供を育てたい。
心身健康な「まともな成長」を与えてやりたい。

望んでいるのはたったそれだけなのに。それだけのことが実現できない。なんて恐ろしい世界になってしまったのだろう。

家族連れで買い物をするな、子供は公園に集まるな。
正論を吐いていただくのはけっこうだけれど、子育て中の親たちがどれだけのことに悩み、日々、小さな決断をくり返して行動しているのかにも想像を巡らせてほしい。子供の成長と感染対策、これらのバランスをいかにして取るか、そのことにどれだけ苦心しているか考えてほしい。

閉塞していく世の中。
戻りたいと思える「社会」が、ずっとそこにあるといいな。

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