あけましておめでとうございます。本年一発目の小噺をば。
あけましておめでとうございます。
令和3年、うちの息子の第一声は「うるさいなあ」でした。
ご機嫌で息子を起こしに行き、「あけましておめでとう、ことしもよろしく、むすこーむすこー、ああ、むすこー、あけおめ、すきー、ことしもよろしくねー、ね、ね、むすこー!すきー!すきー!」と彼の耳元でハァハァしていたわたしに向けられた率直な感想が、それです。
昨年はたくさんの方に、わたしの拙い記事を読んでいただき、とても楽しい一年になりました。
本年もよろしくお願いいたします。
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さて。
新年一発目の小噺。
うちの母は、初詣に行くときいつもわたしに「神さんにはお願いごとをするんとちゃうで。誓いをたてるんや。こういうことがんばりますから応援してくださいって言うねん」と教えてくれた。
わたしもその言葉を素直に受け取って、息子にも神社を参拝するときはそんな風に話している。
ところが、
孫が生まれてから、母はしっかりばっちり神さまに「お願い」をするようになっていた。
うちの母は、初詣では孫たちのしあわせだけを祈る。
「あれもこれも言うのは強欲やからな。孫たちのことだけはどうかよろしくお願いしますって言うねん」
なるほど。やはり「孫」というのは特別な存在なのか。
と思ったのだけれど、どうもそれだけではないらしい。
「子どもがしあわせやったら親もしあわせ、親がしあわせやなかったら子どもにも降りかかるやろ。そやから、孫のしあわせさえお願いしといたら、みんながしあわせでいられるんや」
あ、なに、その裏技みたいの。とんち?
「あれもこれも言うのは強欲やから」て、どの口が言うねん。欲のかたまりすぎやし、そんな下心、神さまにはお見通しやろ。
そう言うと、母は笑う。あかんかなあと言って、笑う。
きっと今年の初詣も、母はたった一枚の五円玉を投げて、孫たちのしあわせ、ひいては子どもたちのしあわせ、ひいては自分たちのしあわせを願うのだろう。
わたしはそれを、うれしく思う。
だれかに想われていることは、しあわせなことだ。
今年も母の願いどおり、息子のしあわせを全力でサポートしようと思うし、自分自身もしあわせでいられるようにがんばれるだけ、がんばろうと思う。