息子の卒園式で泣けなかった
6年前のあの日、ちいさな希望とたくさんの不安と、それからまだひとりで歩くこともできない息子とを抱いて訪れたこの場所で、沈丁花のあまい香りに出会ったのを覚えている。無骨な鉄製の門を脇で彩るように、その花は咲いていた。
息子くん、素敵なお名前の由来は何ですか?
玄関先でわたしたちを迎え入れながら、笑顔とともにそう声をかけてもらった。あの言葉から、この場所でのすべてがはじまった。
息子が、卒園した。
0歳から6年間、通い続けた保育園を卒園した。
いつかくるとわかっていたその日がいよいよやってきて、もっと動揺するかと思っていたけれど、予想に反してわたしはとても落ち着いていた。
正直なところ、たしかに立派になった息子たちの姿を見るのは感動的ではあったけれど、それ以上の感慨は生まれなかった。
6年間、あっという間だったね。
卒園式の前日、ぽつりと息子にそう語りかけた。
いつの間にかわたしの胸あたりまで背が伸びた息子は、きょとんとした顔でわたしを見上げる。
あっという間じゃないよ、0歳から6年だもん。
毎日ちょっとずつ大きくなったんだよ。
そんなことが言えるようになったんだ。
そう思ったけれど、もはやそれは驚きではなかった。
わたしは、毎日見てきた。
朝から晩まで保育園に通い、どんどんかしこくなる、つよくなる、やさしくなる息子。一日だってその成長が滞ることはなかったし、彼はちゃんと「毎日」を積み重ねて、目を覚ますたびに「最高」の瞬間を迎えてきた。
息子は、いつだって、これまでの息子の人生のどの瞬間より、最高。
あの日、自分の名前を発語することさえできなかった息子が、卒園式ではその名前を呼ばれて大きな声で返事をすることができた。
あっという間じゃない、0歳から6年、毎日ちょっとずつ大きくなった。
息子のあの言葉の意味が、よくわかった。
息子はこの場所でのすべての時間を全力で生きてきた。
わたしには、彼の大切な6年間をすっ飛ばして、この瞬間の息子だけを見て「大きくなった」なんて、勝手にしみじみ泣いたりできない。
彼はこの6年間、一日だって成長することをやめなかった。
わたしはそれを知っているじゃないか。
緊張感あふれる式典から解放されて、はにかみながらわたしと夫のもとへ歩いてきた息子を抱きしめる。
今日も最高にかっこよかったよ。
そう言うと、息子は照れくさそうに笑った。
満開の小さな白い花たちから、あの日と同じ香りがした。
わたしに抱かれて訪れた日も、
自分の足ではじめて歩いてきた日も、
帰りたくないと言って泣いた日も、
早くお友達に会いたいと走ってきた日も、
また明日ねとお友達に手を振った日も。
あの小さな門の隣で、沈丁花の木はすべて見ていたんだろう。
もうわたしの手のひらにはおさまりきらなくなった息子の手を握って、そのやわらかさを感じながら、保育園を後にする。
わたしには、息子の卒園式で泣く「理由」がなかった。
保育園への感謝と、息子を誇らしく思う気持ちでいっぱいだった。
とは言え、
これが「保育園児」の面白いところで。
卒園式は終えたというのに、まだ残り数日、保育園に通い続ける。
さすがに最終日にはおんおん泣いて、息子を困らせてしまうかな。
そんなことを考える、春の夜。
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