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幸田露伴の小説「ウッチャリ拾い」

ウッチャリ拾い

 世間には随分いろいろな商売がある。その中でもウッチャリ拾い位おかしな商売はマア沢山はあるまい。また世間には随分さまざまな事業もある。しかし、その中でもウッチャリ拾い位豪気な事業はあるまい。と云ってもウッチャリ拾いの何たるかを知らない人には一寸分からないであろうが、一たび実際にウッチャリ拾い先生のその神聖な労働をしているところを眼にしたならば、どのような人でもアア、ウッチャリ拾いなる哉(かな)と嘆じない訳にはいくまい。私の知人の七山君なども、今日初めて私の指さした方向へ目を向けて、そして所謂ウッチャリ拾い先生を見て、アア、ウッチャリ拾いなる哉と嘆じたのである。
 私等が乗っている小船は今、潮頭(しおさき)に乗って隅田川の河口に向って帰って来るのである。丁度夏の初めの日の光は、直に人の皮膚に受け取るには、ヤヤ熱すぎると感じさせるほどに、鮮麗に且つ爽快に輝いている午後三時半頃である。しかし庇の出た帽子を被って、この生気の強い・・山の頂(いただき)から海の底までの、万物を生育させようという初夏の正直で、そして雄壮な日光に曝されながら、小船の胴の間の梁に片肘をもたせて、少しも我意のないグタリとした姿勢になって、両脚を前に投げ出し、背中を船べりに寄せて、ノンビリと辺りを見渡しながら、時は流れ景色は日に新たに、日々に雲の様子も水の色もいよいよ夏めいて来て、やがて「河スゲ」の細葉の青にソヨと吹く風も、ゆかしい景色になって来ようという趣きの見えるのを、味わうことは何とも云えない好い心持である。
 私の向い側には七山君がやはり私と同じような姿勢をして、同じように舷(こべり)に寄りかかりながら、同じように胴梁に片肘をもたせている。見ている景色も同じである。感想も大概似たものであろう。彼もやはり初夏のこの晴れ渡った日の、快い空気と快い日光と快い気候との間に抱かれて、母の温かい懐に抱かれた罪の無い赤子のような気になって、今朝からの舟遊びに満足し切って、そしてこのように穏やかに帰路につきつつあるのを喜んでいるのであろう。
 上げ潮の潮頭に乗って帰えって来ているので、潮はまだ一向に増えてはいない。振り返って見ると沖の方では軽い南風が吹いていて、房総の山々がボンヤリと薄青く見えているばかりで、一体にボーと霞んで、ただもう平和と安寧とが、上は半透明な青い美しい空から下は紺に近いほどの濃い青色が、伸(の)したように平らな海の間を填(うず)め尽くしていて、私等の乗っている船の帆さえダルイような此の景色に同調してダラケ切っているだけでなく、時にはそれどころの段では無い、ややもすれば全くブラリとなって仕舞って、船頭言葉で「おまんだら」という垂れた旗のような形になり勝ちであるから、幸いに潮が背後から推すから好いようなものの、さもなければ船は後ろへと戻りそうな位の勢いである。
「意気地の無い風だナ。艪で推した方が増しな位なもんだ。」
 若い船頭はこう呟いたが、やはり煙管(キセル)を手離さないでプカリプカリと煙を吹きつつ立ちそうに無いのは、先生も帆と同様ダラケ切っているのであろう。実際こんな長閑な快い眠いような日に、誰が小利口らしく酔興に働いて、エッサエッサと艪を推すのを好む者があろう。客に叱られない限りは、舵柄をチョチョイと動かす位のことで務めの方は御免蒙って、大あぐらに咥えキセルで坐り込んでいる方がどれ程好いか知れないのである。
「マア好いやな、うっちゃて置いたって潮が運んで呉れるんだもの、風だって、も少し経ちゃあ出て来ようはネ」
 遅牛も淀、速牛も淀、遅かれ速かれ着きはする、どうせ一日を潰して遊んでいる日曜の事だ、船頭に骨惜しみをさせたって腹の立つことも無いと、悟りを開いている訳でも無いが、こちらも好い心持でダラリとしているのだから他人もやはりそうだろうと思って、そう云ったのである。そして船頭の居る舳の方を見たついでにズッと見渡すと、直ぐ鼻の先の芝から愛宕・高輪・品川・鮫洲・大森・羽田の方まで、陸地が段々薄くなって行って終に水天の間に消える、芝居の書割とでも云おうかパノラマとでも云おうか、何とも云いようのない自然の画が今日はとりわけ色具合も好く現れて、いつものことであるが、人に「平凡の妙」は到る所に在るものであるということを強く感じさせるのである。で、思わず知らずにまた洲崎の方を見ると、近い洲崎の遊郭の青楼の屋根などの異様な形をしたのが、霞んだ海面の彼方に、草紙画の竜宮城のように見えて、それから右手へ続いて飛び飛びに元八幡の森だの、疝気稲荷の森だの、ズッと東の端に浮田長島の方の陸地が、まるで中途で断れでもしているように点々と断続して見え渡るさまは、天の橋立の景色を夢にでも見るようである。
 が、東京百幾万の人間の中で、海遊びを知らずに塵埃の中に鼻うごめかして利口がっている人たちは、全くこういう好い景色が有ることを知らないばかりか、有ると云っても本当にしないのである。ただ少数の人々がこれを知っているが、知り切っているので却ってまた珍しいともしないで、何とも思わずにいるのである。私も知り切っている方であるから今更のように褒める訳では無いが、余りに天気も好く、何もかも好いので、三拍子四拍子も揃ったこの嘉日の佳景に対しては、
「どうだ七山君、好いじゃあ無いか。」
と云わずにはいられなかった。七山君は私のように此の辺りの景色を知り切ってはいない。しかし自然を愛することは私を超えているのであるから、
「実にどうも、好うございます。東京のつい鼻の先にこういう景色が有って、こういう美しい感じを与えて呉れようとは思っていなかったです。」
と云って、そしてまた惚れ惚れと四方を見ていた。
 船は遅々としながらも今や川洲の側に沿って段々と月島の近くまで進んで来た。東京近くの海は非常に洲が多い、イヤ澪筋(みおすじ)を除いては悉く洲だと云ってもよいほどだ。東へ寄っては三枚洲・出洲・相の洲、西に寄っては天王洲というように洲だらけなのであるが、川洲というのは隅田川の吐き出しの洲なのでその名が付いたのであろうか、一番川口に近くて、そして水の流れに沿って長手に出来ている洲なのである。船はポツーリポツーリと疎らに立っている澪標(みおぐい)が示す澪の中を、ノロノオと遡っている。目近の澪標の上にはお決まりのカモメが止まっていて白く見える。またその傍を飛ぶのもあり、猫のような声を出して鳴くのもあって、これもまた海の長閑さの景色を増す道具の一ツになっている。
 潮がまだそれほど差さないので、洲の高い処は少しばかり背を見せている。そこから殆んど平坦と思われるほどの緩い傾斜で洲は水に没している。サテその水に没している部分の最極端線に澪標の列は在るのであって、標から此方は急に深い・・即ち澪なのである。で、船は云うまでも無く澪通りに進んで居るのであるが、私がフと見ると洲の現われている部分と澪標の間の、丁度水の深さが膝位に少し足りない位のところに、例のウッチャリ拾い先生が例の神聖な労働をしているのを見出した。そこで多分このウッチャリ拾い先生がどのような事をするものかという事を知らないと思われる七山君を、先生の随喜讃嘆者とするべく、私は七山君に先生の偉大な事業を為し居られるところを指さし示した。
 七山君は眼を張って見たが、ただ見る一景の人物、乞食のようで狂人のようで、精力の未だ尽きない俊寛のようで、誤って蝦蟇を遺失した蝦蟇仙人のようで、范睢(はんしょ)が怨みを含んで厠を逃れ出たのもこのようかと思われるばかりの、また憐れでまた汚くまたミジメにまた悪辣気な様子をして水の中で何事かをしているので、七山君には合点がいかないので、
「あれは何です。」
と先ず問いを発して、そしてなお自ら眼を凝らして見つめた。上は色も正体も分からなくなった海苔を束ねたようなドンザ(綿入れ着物)を着て、下は同じくボロの半股引一ツきり、リボンも何もかも無くなって仕舞った、鉢の開いた汚い穴の明いたお釜帽子の上から、煮しめたような手拭を帽子が飛ばないようにスットコ被りに冠って、俗に「パイスケ」という石炭担ぎの使うザルのようなものを手にし、背後には物を容れるための箱のようなものを半沈半浮きに従え、そして洲の中でも清潔(きれい)な砂の寄らない、ヘドロに交じって汚いゴミや瓦礫や、やたら種々のものが流れ着く地勢のところを、汚い水をジョボジョボと音をさせながら、此処ゾと思うところ・・即ち何や彼やの流れ着いたところ、つまりネコの死骸の日が経って沈んだものや、骸骨になりかかったイヌの頭や、茶碗や徳利の欠け損じたのや、歯の折れた馬爪の櫛の反り返ったのや、首が抜けて片脚折れている簪(かんざし)や、金具と袋が離れ離れになったガマ口(小銭入れ)や、キンタマ火鉢の破片や、口の無い土瓶や、ブリキの便器や、多分、何かの汚物と思われる油紙包みや、革がブヨブヨ水膨れになった雪駄や、その他、何と云うこと無い種々のものが、或いは上を流れて来て此処に沈み、或いは中を、或いは底を流れ来て此処に止まっていようと云うところを考えて、そこへパイスケを突っ込んで、掬い上げられれば掬い上げるし、重いものなどが多ければ猪八戒が持ちそうな馬耙(まぐわ)で掻きこんで置いて掬い上げて、ガサボチャ、ブタヂタと濁波臭浪をしたたかに起こし起こして、水の中でドロを揺すり濾しながら、拾い取って少しでも金になるものはどんなに汚いもの下らないものでも、それこそ真鍮のボタン一ツでもブラシの古いものでも、何かにまた使い道のあると認められるものである以上は皆拾いあげるのである。これがウッチャリ拾いの職業で、その神聖な労働は空しく海中に棄てて仕舞うものを取り上げて、再び人間の用に提供するのである。天の力・地の力・意の力・智の力・技術の力・筋肉の力、これ等の尊い力から生じた物がムチャクチャに棄てられて仕舞おうとするのを、ドッコイと中途で食い留めて再び人間の世のものにするのは、物質と非物質との差異こそあれ、折角の尊い魂魄を抱きながら地獄の搗臼(つきうす)の屑になって仕舞おうという凡夫を憐れんで、大慈大悲の本願から聖賢権者が泣いたり笑ったり泥まみれ砂まみれになってそれを食い止め拾い取って、ドッコイ地獄へは遣らないぞ、本土へ帰れ帰れと大骨折りをなさるのと酷く似ているのである。こういう訳でウッチャイ拾い名称は、人の打棄(うっちゃ)ったものを拾うことから起った名称なのである。百幾万人の人が打棄ったものが自然に流れ着くところを考えて、これを拾い上げるというのがウッチャリ拾い先生の本願なのである。
「あれはウッチャリ拾いさ。」
と云ったのを始めとして、大体の話をして七山君に聞かせると、七山君は少なからず好奇心を動かして、船と水とで無ければ、昔の人が蝉を取る者に道を聞いたり、滝川を泳ぐ者に教えを受けたりした例に倣って、ウッチャリ先生に近づき接して、その「ウッチャリ拾い哲学」を聞こうとするような思いを起こしたようにも見えた。
 船は遅々としている。帆はオマンダラである。先刻からマダ澪標一ツ越していない。ウッチャイ拾い先生は頻りに何か拾っている。私等二人は遠目に、今拾ったものは何であろうと云って見ている。先生が水に立って従容とユッタリと労働する状(さま)は、美しい空や海や暖かい日光や和(やわ)らかい風の中に、古(いにしえ)の武人を画にしたように見えた。特に濡れしょぼたれていながら濡れしょぼたれたとも思わないようで、汚いことをしながら汚い事も忘れて、脱然として平気で、ガサボチャ、ヂタブタやっている容子には確かに一種おもしろいところが有るように思えた。
「ウッチャリ拾いなる哉とはどうだ、賛成する気は無いかネ。」
 私が七山君に戯れてこう云うと、七山君も戯れて、
「実にウッチャリ拾いなる哉です、賛成です。」
と笑った。
「ほんとうにライオン歯磨きで磨いた真っ白な豪気な歯でもって、親や兄弟の臑(すね)などをガリガリ齧りながら、演劇改造論や外交論をしているのより、ウッチャリ拾いの方がどれほど世間の為になるかしれやしません。」
と七山君がまた付け加えた時、船頭がキセルをはたいて、
「あれで馬鹿にならない商売です。平均(ならして)五貫にやあなるそうですからネ。たまにやあ好いものを拾い出す事も有るような話ですよ。此の辺や新地周りなどで随分拾っています。アレもあの男一人じゃあ無いのですから世間は広うございますのさネ。町中の中じゃあ溝渠(ドブ)を攻めているのも中々いますからネ。」
と云う。
「そうさナア、成程ドブを攻めているのも見かけるようだ。」
と云う中に、潮が募るにつれて風も募って来て、颯然として快い南風が一ト吹き吹いて来ると、船は忽ち走り上った。ウッチャリ先生の姿は見る見る小さくなった。
(明治三十九年三月)

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