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なぜハラスメントが起きるのか 子ども時代から作られる歪み

前回投稿からだいぶ間が空いてしまいまして…本当にSNS的な投稿文化に向いてない。アウトプットせずに自分で満足してしまうんですよね。。。

そして久しぶりの投稿なのにテーマが重い。。。重くない?

世にはびこるハラスメント文化

 パワハラ、セクハラ、モラハラ、アルハラ・・・
世の中にはハラスメント(嫌がらせ)にあふれています。この記事を読んでいる方も、何かしらのハラスメントを受けたことがあるのではないでしょうか。

 ネットの記事やエッセイ上などでも様々なハラスメントが取り上げられ、こんなことがあった、こんな被害を受けたという告白に対し、ひどい、許せない…と多くの共感や義憤を集めているのをよく目にします。「嫌がらせ」であることに疑いようもないのに、なぜハラスメント行為をしてしまう人が後を絶たないのか。価値観の違いによる衝突・すれ違いだけにとどまらない、もっと大きな欠点がこの社会にあるのではないかと私は思うのです。

ハラスメントがなぜ起こるのか

 ハラスメントがなぜ起こるのかといえば、端的に言ってしまえば、「相手への敬意の欠如」だと私は思います。相手を尊重してないがゆえに、
・相手の気持ちに立った行動ができない
・相手を自分の都合のいいように扱う
・相手の尊厳を傷つける
のです。人権は誰しもに平等に与えられ、誰しもが尊重されるべきである、という人権意識の観点からみれば、到底許されることではありません。しかし、現実には道を歩けばハラスメントに当たるぐらいの頻度でこの世にはびこっているような気がするのです(体感)。では「相手への敬意の欠如」がなぜ、ここまで頻発してしまうのか。

すべては子供のころからの教育のせい?!

 「せい?!」と言ってますが「せい」です。ほぼ確信しております。

親や先生から「言うことを聞きなさい!」と言われたことはないですか?

 「ない。」という人がいたら、宝くじに当たるレベルの幸運持ちです。おそらく日本人で、この言葉に出会わずに大人になる人はいないのではないでしょうか。それはきっと、あなたを危険から守るために、または反社会的な行為をしないように、あるいは理想の自己を実現させるために目上の立場の人間から発せられた言葉で、あなたのことを思っての言葉だったのでしょう。それが愛情からの言葉であることは、大人になった今考えれば、納得のいくものなのではないでしょうか。

・・・ちょっと待ってください。

 ここに落とし穴があり、人間関係の歪みが形成されていると私は考えています。

「言うことを聞きなさい」という言葉が持つ意味

 「言うことを聞きなさい」、この言葉が上記のように、一部虐待などのケースを除き、愛情から発せられている場合が多いことは間違いないでしょう。表面的に見れば、右も左もわからない子どもに対し、大人が導くという教育の構図は、正当性のある行為だと納得できるものなのではないでしょうか。

 しかし、この言葉の裏には「お前は右も左もわからないのだから、私の言うことを聞いていさえすればいい」という、言外の意味を強く含んでいるのではないかと私は考えています。

 これはもちろん、発言者はその意図を以て「言うことを聞きなさい」と言っているわけではないのでしょう。ここで注目すべきなのは、

全く意図せず、知らず知らずのうちに、年長者、ひいては「立場が上の者」に対して「立場が下の者」は従うべきであるという共通認識が、子ども時代から形成されてしまうということです。
 つまり、「言うことを聞きなさい」と言われて育ったほとんどの人間が、「立場が上の者」に対して「立場が下の者」は従うべきであるという社会的な鎖に縛られて大人になるということを意味しています。

関係性に縛られるがゆえの悲劇

 立場によって関係性が縛られると、何が起こるのでしょう。こんな心理実験を聞いたことはないでしょうか。「ある集団を看守役と囚人役に分けて監獄で生活させたところ、看守役は暴力的になり、囚人役はそれに従順になった」という実験(うろ覚え)。これはたとえ、仮の役割であっても、看守は囚人に対して相手の人権を軽視するようになった、という上下関係における人間の心理を示すものです。

 …察しのいい方ならお気づきかもしれませんが、これが今世の中で起きていることなのです。

 日本は、(というか儒教を土台にしたことのある国家?)は、上下関係をしっかり規定し、秩序だった社会を形成する、という歴史を歩んできました。それは今の時代にも根強く残っており、それを支えているのが、大人が子どもに施す「教育」です。「言うことを聞きなさい」。この言葉に象徴されるように、教育により上下関係が、「立場が上の者」に対して「立場が下の者」は従うべきであるという関係性の縛りが、意図せずに子どもたちに染み込んでいきます。その結果、社会を構成する多くの人は、「立場の下の者は軽視してよい」という「相手の敬意の欠如」を抱えて大人になるのです。これが、世にはびこるハラスメント文化の土台であるといっていいでしょう。

本来人間に上下などないが、すでに時遅し

 目に見える上下関係以外でも、人それぞれの価値観によって、さまざまな上下関係が生まれます。女性・若者・年寄り・障碍者・独身・根暗・オタク・ニート・社畜・犯罪者・ミスをした店員・炎上したタレント・・・「立場の下の者は軽視してよい」と勘違いしている、誰かさんによって軽視され、馬鹿にされ、人権を踏みにじられている人たちはたくさんいます。ではどうすればよいのか。
 …正直、既にこの価値観に囚われてしまっている人たちが、行動を改められるとはどうしても思えません。自分が下の立場であるときに受けた仕打ちは、他の、下の立場と狙いを定めた相手に同じことをしてしまうのは実に人間的で当然のことのように思います。虐待されて育った親が子に同じく虐待してしまうケースのように、それが人間の性質・心のシステムなのです。

未来を創るのは子ども

 最後の望みは子どもに託すしかありません。子を持つ親や、教育の現場にいる人間は、せめて「言うことを聞きなさい」という相手への支配を子供に教えるのは止めませんか。そうやって育った子どもは誰かを支配し、軽視してハラスメント行為を行う大人に育ちます。せめて、理由を説明して子どもに自身の行動を選ばせるような声かけをしていけるようにしませんか。そうして、ハラスメントのない、多様性を見下さない、暮らしやすい社会をつくりませんか。今、子どもと関わっているあなた方の背に、いつも社会の未来がのしかかっているのです。

 


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