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『母と子と、おかーさんと』イベントにおけるメルヴィルの『白鯨』の利用と「楽園回復」

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『メギド72』72ヵ月(6周年)を記念して開催された期間限定ベント『母と子と、おかーさんと』は、登場するキャラクターの名前からも分かるようにメルヴィルの『白鯨』のオマージュが行われています

これ自体は気づいている方もいると思うのですが、このメルヴィルの『白鯨』はミルトンの『失楽園』を前提としており、また同時に『メギド72』はミルトンの『失楽園』の影響を強く受けた作品です

そのため、『母と子と、おかーさんと』イベントをより深く読み込むには、メルヴィルの『白鯨』と『メギド72』両者が共通して影響しているミルトンの『失楽園』について意識を向ける必要があります

なので、今回は『母と子と、おかーさんと』とメルヴィルの『白鯨』・ミルトンの『失楽園』がどのように関連しており、それは何故なのかをお話していきたいと思います

以降『母と子と、おかーさんと』イベントに関するネタバレを含みます
ご了承ください

それでは、やっていきます


『母と子と、おかーさんと』の大まかな流れと登場人物名の『白鯨』との一致

『母と子と、おかーさんと』のあらすじ

『母と子と、おかーさんと』イベントに関する考察を紹介する前に、『母と子と、おかーさんと』イベントとメルヴィルの『白鯨』の関係を探るため、イベントのあらすじを確認したいと思います

まず、イベントのキッカケとなるのは、リヴァイアサンの妊娠(処女懐胎)です

もちろん、これはリヴァイアサンの早とちりだったわけですが、ソロモン王たちは超巨大な鯨型幻獣モビィ・ディックの幼体、ベビィ・ディックをなし崩し的に保護することになります

ソロモン王たちはこのベビィ・ディックを本当の両親のもとへ送り届けるため、情報収集を行います

すると、どうやらこの鯨型幻獣モビィ・ディックを狙っているエイハブという軍団長と、彼の軍団ピークォドの存在を突き止めます

モビィ・ディックがいるであろう場所を突き止めたソロモン達は、本当の親にベビィ・ディックを返還するために奮闘します

しかし、エイハブとピークォド軍団はこの時を見逃したりはしませんでした

モビィ・ディックを誘き寄せ、自身の復讐を果たすために、その子供であるベビィ・ディックを攻撃します

愛する我が子を傷つけられた鯨型幻獣モビィ・ディックは怒り狂い、ピークォド軍団は壊滅します

大雑把なイベントの流れはこのようなものだったと思います

『白鯨』のおおまかな内容

『白鯨』はアメリカの小説家・ハーマン・メルヴィルの長編小説で、白く巨大なマッコウ鯨である「Moby-Dick(モビィ・ディック)」に翻弄された人々を描いた作品です

誤解を恐れずあえて単純化するなら「語り手であるIshmael(イシュメール)が、巨大なマッコウ鯨のMoby-Dick(モビィ・ディック)に復讐心を燃やすAhab(エイハブ)の捕鯨船Pequod(ピークォド)号に乗る話」

とても長い作品なので全体像を表すのは難しいのですが……主な流れとしては、捕鯨船Pequod(ピークォド)の船長Ahab(エイハブ)は白く巨大なマッコウ鯨Moby-Dick(モビィ・ディック)にかつて片足を食いちぎられており、鯨の骨を利用した義足を装備して、Moby-Dick(モビィ・ディック)に対して復讐することに執着していまいた

やがて捕鯨船Pequod(ピークォド)はMoby-Dick(モビィ・ディック)を見つけ出すのですが、死闘の末に船長Ahab(エイハブ)は海底に引きずり込まれ、捕鯨船Pequod(ピークォド)は沈没してしまいます

唯一生き残った船員Ishmael(イシュメール)は棺桶を改造して作った救命ブイにすがって漂流し、他の捕鯨船に救い上げられる……という感じの物語です

人物名の一致

『白鯨』の物語の大体の流れを見て分かった方もいると思うのですが、『母と子と、おかーさんと』イベントの登場人物の名前はメルヴィルの『白鯨』からの引用となっています。

引用されている人物名(物体名も含みます)を挙げると以下のようになります

  • 作品のタイトルでもある、巨大なマッコウ鯨Moby-Dick(モビィ・ディック

  • それを狙う義足の船長Ahab(エイハブ

  • 時にAhabと対立し、時にAhabの良き理解者となるStarbuck(スターバック)

  • 船員のTashtego(タシュテゴ

  • 新たな乗組員であり、語り手のIshmael(イシュメール

  • Ishmaelの半身ともいうべき男Queequeg(クイークェグ

  • 彼らを乗せる捕鯨船Pequod(ピークォド

このように『母と子と、おかーさんと』イベントの登場人物の名前はメルヴィルの『白鯨』からの引用であることは間違いないと思われます

『母と子と、おかーさんと』イベントでは『白鯨』の登場人物名が引用されており、更に「ピークォドの船員(軍団員)がモビィ・ディックを狙っている」という関係性についても引用している

人物名の一致の目的

ここで重要になってくるのが「なぜ『母と子と、おかーさんと』イベントはメルヴィルの『白鯨』から登場人物の名前を引用したのか?」という点です

この理由について僕は、『メギド72』のリヴァイアサンに対して、メルヴィルの『白鯨』のMoby-Dick(モビィ・ディック)の持っている「神性」を与えるために利用したのではないか?と感じました

というのも、メルヴィルの『白鯨』では鯨を海に住む神話上の生物・悪魔であるLeviathan(リヴァイアサン)に例えています

この点だけでも、Moby-Dick(モビィ・ディック)と『メギド72』のリヴァイアサンには共通点がみられますが、さらに『母と子と、おかーさんと』イベントに登場するモビィ・ディックには、ベビィ・ディックという子供が存在していました

『メギド72』のリヴァイアサンは作中で何度も「おかーさん」であることが強調されており、また当初はこのベビィ・ディックを自身の子供であると勘違いしていました

つまり、モビィ・ディックと『メギド72』のリヴァイアサンの共通点は、Leviathan(リヴァイアサン)という単語だけではなく、ベビィ・ディックという共通の子供がいる母親である……ということになります

Moby-Dick(モビィ・ディック)とリヴァイアサンは海の悪魔「leviathan(リヴァイアサン)」の化身であるという点で共通点を持っているが、その上で更にリヴァイアサンがおかーさんであることを前提にモビィ・ディックが母親として登場しており、意図的に共通点が追加されている

こうした工夫によってモビィ・ディックとリヴァイアサンに共通点が増やされた結果、2人(1頭と1人)はまるで鏡写しのような存在となり、それによって、『メギド72』のリヴァイアサンにメルヴィルの『白鯨』のMoby-dick(モビィ・ディック)が持っている「神性」が与えられている……と僕は感じました

……といっても良くわからないと思うので、以降の説明で『母と子と、おかーさんと』イベント内で、モビィ・ディックの「神性」が強調されていることを確認していきたいと思います

モビィ・ディックの神性の強調

ベビィ・ディックの返還とイサクの燔祭

モビィ・ディックの「神性」が強調されている表現として『母と子と、おかーさんと』イベント内リヴァイアサンがベビィ・ディックを手放す表現があるので、それについて説明してみたいと思います

処女懐胎をした、と勘違いをしたリヴァイアサンはその自身の子供ベビィ・ディックを本来の親の元に返すために、自身が所属している軍団「メギド72」から脱退することも選択肢に入れていました

ここで重要なことは、リヴァイアサンにとって、軍団「メギド72」からの脱退は気軽なものではないはずだ、ということです

リヴァイアサンにとって軍団「メギド72」は、アスモデウスを含め、昔からの知り合いが何人も所属しており、またバナルマの時から目をかけていた娘たち、ウェパルやサルガタナスも所属しているかけがえのない軍団のはずだからです

ですから、ベビィ・ディックを本来の親の元に返すために、自身が所属している軍団「メギド72」から脱退することも選択肢に入れていた、ということは、彼女が自身の子供ベビィ・ディックを(勘違いによって一時的な親をやっただけであったとしても)心の底から愛していたことの証拠であると、言えるはずです

そしてこれは同時に、「軍団「メギド72」から脱退することも選択肢に入れていたほどに愛していたにも関わらずリヴァイアサンは自身の子「ベビィ・ディック」を手放す決心をしている」ということです

そして、僕はこの表現の背景に「イサクの燔祭」という逸話があると考えています

イサクの燔祭」とは、旧約聖書『創世記』に登場するエピソードの1つです

ある時、年老いた男アブラハムと、長年妊娠することがなかった妻サラとの間に奇跡的にイサクという子供が生まれます

しかし、アブラハムの信仰する神は、アブラハムに対してその愛息子である「イサク」を生贄にすることを要求します

アブラハムはこの要求に従うために自身の息子イサクと共に、モリヤの山へ向かい、そして、わが子を祭壇に乗せ、神に捧げようと刃物を持った手を振り下ろす……

その直前に御使い(天使)が慌てて現れる、というのが「イサクの燔祭」というエピソードです

(くわしくは『創世記』22章1節から19節を参照してください)

重要なことは、このエピソードはゴルゴダの丘で犠牲となったイエス・キリストと形式的類似が見られるという点です

たとえば、ミルトンの『失楽園』において、神は自身の御子キリストを心から愛しており、それ故に手放し(キリストが死ぬことを了解して)、だからこそ、彼(神)の手元に戻ってきます

キリストもまた、神を心の底から愛しており、自らが犠牲になることを確信した上で、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かい、だからこそ死を克服します

これらは「心の底から愛しているからこそ、(手放せば、戻ってこないと確信したうえで)我が子を手放し、そして、だからこそ手元に戻ってくる」という点で共通するモチーフです

これは繰り返しになりますが、リヴァイアサンもまた愛していたにも関わらず、彼女はその子供を手放す決心をしています

だからこそ”、モビィ・ディックとおかーさん友達となり、ベビィ・ディックはリヴァイアサンの元へ戻ってきたはずです

イサクの燔祭との構造的な一致によって、モビィ・ディックはMoby-dick(モビィ・ディック)の持っている神性を更に強調した形で描いたキャラクターである……という風に感じることになる

イサクの燔祭は神に対して自分の子供を犠牲にするエピソードであり、『母と子と、おかーさんと』イベントと構造的な類似が見られるため、結果として、モビィ・ディックはその「神性」が強調されているように思います

余談・イシュメールの登場

余談ですが、この話に関連して面白い点として、Ishmael(イシュメール)の存在があります

Ishmael(イシュメール)は、『白鯨』の登場人物の名前であると同時に、聖書に登場する人物の名前でもあります

聖書に登場するIshmael(イシュマエル)は先述したアブラハムと、サラの所有していた奴隷ハガルとの間に生まれた子供です

先ほども説明しましたが、アブラハムとサラは長い間、子宝に恵まれませんでした。このため、サラは、自身の夫アブラハムに対して、自身の所有する奴隷ハガルとの間に子供をもうけることを勧めます

その勧めに従ってハガルがアブラハムの子供を身籠るのですが、妻であるサラとしてはおもしろい話ではなかったのでしょう

サラはハガルにつらく当たります。このためにハガルは一度逃げ出すのですが、神の御使い(天使)に加護を約束されて、アブラハムたちの元へ戻ります

しかし、先述した通り、アブラハムとサラの間に子供イサクが生まれ、(母親の違う兄弟がいると揉め事の種になるので)ハガルとイシュマエルは追放されます(ただ、神の加護のために助かり、イシュマエルはサラの息子として扱われます)

イサクの燔祭をモチーフとして取り込みながら、イサクが理由で追放されるイシュマエル(Ishmael)をイベントに登場させている点に、僕はおもしろさを感じています

さらに余談ですが、Ishmael(イシュメール)だけでなく、Ahab(エイハブ)もまた、聖書に登場する人物の名前でもあります

聖書内では、Ahab(アハブ)はその妻イザベルの影響もあり、イスラエル・ユダ王国にバアル崇拝(異教)を持ち込んだ暴君として描かれています

この点において(晩年のソロモン王も同様に女性の影響で異教に寛容であったと記述されているので)アハブ(エイハブ)はソロモン王と対比される関係にあります

アスモデウスは何故「復讐」を止めたのか

モビィ・ディックに神性を認めた場合、重要になることとして、アスモデウスがリヴァイアサンの復讐を止めていることには別の意味が表れます

オロバス(カウンター)の奥義「我これに報いん」でご存じの方もいるかもしれませんが、聖書において、復讐とは人間のするべきことではない、とされています

愛する者よ、自ら復讐せず、神の怒りに任せよ。『主は告げた、復讐するは我にあり、我これに報いん』と記されている。

『ローマ人への手紙』12章19節

神は誰よりも、その子供(人間)を愛しており、その愛している我が子(人間)を害されて最も怒るのは、その親(神)です

このことは次の章でより深く掘りたいので、一旦ここで切り上げますが、サラに関わる悪魔アスモデウスがそれを諭しているのは、何とも言えない可笑しさがあるように思います

メルヴィルの『白鯨』とミルトンの『失楽園』

ここまでの説明で『母と子と、おかーさんと』イベントがメルヴィルの『白鯨』と関連しており、それによって『メギド72』のリヴァイアサンに『白鯨』のMoby-Dick(モビィ・ディック)が持つ「神性」が与えられたという話をしました

ここからは更に考察を深めるために、『母と子と、おかーさんと』とメルヴィルの『白鯨』の両方に関連性が見られるミルトンの『失楽園』について注目したいと思います

まず、前提の共有となりますが、『メギド72』とミルトンの『失楽園』はとても深い関係にあると僕は考えています

同時にメルヴィルの『白鯨』とミルトンの『失楽園』には関連があるのですが……説明すると果てしなく長くなってしまう上に、本題からはズレてしまうので……今回は一応そうなんだ!と飲み込んでもらえると助かります……

(イベントをより深く読み込むためには『白鯨』とミルトンの『失楽園』の関連も大事なので、可能であれば両方読んでおくと、更にイベントを楽しめるように思います)

『メギド72』とメルヴィルの『白鯨』の両方ともが、ミルトンの『失楽園』と関連している、という前提を共有したので、ここからはミルトンの『失楽園』に関連する点に対して注目していきたいと思います

まず、キリスト教の世界観では、神という存在は唯一無二の完全な存在で、満ち足りた存在であり、配偶者を必要とせず(繁殖をしない)、ありとあらゆるモノを作り出した創造主として存在します

『母と子と、おかーさんと』イベントではバールベリトが次のようなことを言っていましたが、これは上記のことを前提としていると思います

メギドってのは唯一無二
単体で完結してる生物なんだ!
子供なんか産むわけねぇだろっ!

『母と子と、おかーさんと』イベント

この、完全な存在、神は”自身に似せて”人の子、Adam(アダム)を作り出します
完全な存在に似せられて作られたAdam(アダム)は「完全に近い存在」であるはずです

その後、このAdam(アダム)は神に伴侶を求めると、神はそれを了承し、彼の肋骨から女Eveを作り出します

Eve(イブ)は悪魔Satan(サタン)に誑かされ、「知恵の木の実をたべてはいけない」という、神との唯一の約束を破ってしまい、Adam(アダム)に対して自分と同じことをするよう懇願します

Eve(イブ)を失うことを恐れたAdam(アダム)は、Eve(イブ)と一緒に死ぬことになるとわかっていながら、神との約束を破り、二人は永遠の命を失い、楽園を追放されます

この話を曲解すると、Adam(アダム)は「肋骨」を失ったせいで、欠けた存在になった、と言えなくもないはずです

さらに踏み込んで言えば、Adam(アダム)は「肋骨さえ取り戻せば」神の如き、完璧な存在、伴侶の要らない存在になれるはずです

完璧な存在に似せて創られた男から肋骨が抜き取られたことで、欠けた存在になったと捉えるのであれば、その肋骨さえ取り戻せればAdam(アダム)は完璧な存在に近づける……と言えなくもないはずです

(ミルトンの『失楽園』では、その考えが誤りであることを、Adam(アダム)の様に、いやAdam(アダム)以上の存在(神のような存在)になることを夢想してEve(イブ)が知恵の実を食べ、その結果堕落してしまったことや、悪魔Satan(サタン)による神の叛逆をもって表現しています)

ここで重要なのは、メルヴィルの『白鯨』に登場するAhab(エイハブ)はそうした考えを持つ人である、と解釈することが出来る点です

Ahab(エイハブ)は鯨の顎の骨を利用して、自身の失った足を補っています

骨によって物理的欠損を補っているのです

(余談ですが、捕鯨によって得られる鯨油は、世界に灯りを届ける貴重な資源であり、「火を人類に与えるために、苦しめられる」という点でギリシャ神話のプロメテウスとの類似が指摘されます

『メギド72』はメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』とも関連が深いと考えられるので、その事にも注目する必要があると思われます

また、『失楽園』においてSatanがかつてLucifer(/ルシファー・”光を掲げる者”を意味する)であることも、『メギド72』のライターは意識した上で、メルヴィルの『白鯨』をオマージュしてイベントを書いたと考えられます)

そして、Ahab(エイハブ)はMoby-dick(モビィ・ディック)を斃すことで、その存在的欠損を補おうとしている、ととらえることが出来ます

少なくとも『メギド72』のイベント『母と子と、おかーさんと』では、この解釈をとっているように僕には思えます

ピークォド軍団のメンバーはモビィ・ディックをとの戦いを目前にそれぞれ戦果として「皮」や「骨」を要求していました

これをメギド的だ、ととらえることも可能ですが、僕には少しだけ不思議に思えました

物質によって自分の欠損を補おうとしていることを強調しているように読めたからです

つまり、イベント『母と子と、おかーさんと』のエイハブは(知恵の実を食べることを欲したEve(イブ)であり、)神(モビィ・ディック)への復讐を望むSatan(サタン)の役割を担っているのです

(『白鯨』のAhab(エイハブ)の持つMoby-Dick(モビィ・ディック)に対する狂気ともとれる執着(ミルトンの『失楽園』のSatanのような性質を)、『母と子と、おかーさんと』イベントに登場するエイハブが同様にそれを持っていることが分かります)

仮に、そうだとして、それは『母と子と、おかーさんと』イベントにどんな効果をもたらすのでしょうか

先ほども述べたのですが、聖書において、Ahab(アハブ)はソロモン王と対比される関係にあります

そして、『母と子と、おかーさんと』において、エイハブは自身を「欠けさせた」モビィ・ディックに対する復讐を望む存在です

同時に、主人公ソロモン王もまた、かつては復讐を望む存在でした

自身の育った村を幻獣に襲われたソロモン王は、「自身を欠けさせた」「楽園を追放させられた原因」を憎み、復讐を望んでいたはずです(だからこそ、彼の村はグロル/grol「憎悪・恨み」の村なのです)

しかし、エイハブとの対比によってソロモン王は「そうではなくなった」ことがより強調されたと思います

この表現は明らかに「欠けた存在」の肯定、つまり人生への肯定だと思います

変な話かもしれませんが、私たちは常に「完璧な存在」であることを渇望します

少なくとも僕はそうです

欠けた自分を認めたくないし、出来れば完璧な、満足のいく人生を生きていたいと考えます

エイハブはその生き方の極致です

自身を欠けさせた存在(神=モビィ・ディック)を許さず、それさえ倒せれば人生がよくなると考え、その為だけに人生の全てを捧げている存在です(同時にAhab(エイハブ)もまたそうです)

しかし、それは幸福な生き方ではないし、他者を傷つける道のりです

この対比関係から見える、ソロモン王が守ろうとしているものは、「欠けた人生」です

完全な存在になって、楽園に戻ろうとするのではなく(『失楽園』のSatan(サタン)のような生き方)、欠けた人生を肯定し、前へ進もうとするそのあり方を肯定している、それを描くために、メルヴィルの『白鯨』を『メギド72』流に再解釈し、物語としたのが『母と子と、おかーさんと』イベントなのだと思います

この解釈を踏まえて、リヴァイアサンがエイハブ的な、復讐者となりかけた瞬間に、それを止めるのが、アスモデウスである点が、僕はたまらなく好きです

これは、復讐は本当の母(=神)の領域であり、リヴァイアサンはするべきことがある、という表現は私たちへの警告にも受け取れます

僕らはつい、怒りや、憎しみの感情から、自分のやるべきことをおろそかにし、自分の人生ではなく、(その人のために頑張りたいと心から思えるような人ではない)他人の人生のために生きてしまいます

けれど、僕らには、その時々に応じて「やるべきこと」があります

これを告げるのが、アスモデウス(サラにまつわる悪魔)なのが、本当に面白くて、僕はかなり好きな表現です

(登場人物にイシュメールが存在することで、「イサクの燔祭」との類似が強調され、サラに憑りつく悪魔アスモデウスが「復讐するは我にあり」と警告をしているので、奇妙な可笑しさを感じてしまう訳です)

三位一体と、おかーさんと

最後になりましたが、モビィ・ディックの神性や、エイハブのSatan(サタン)性を説明したうえで、更に面白い点として説明したいことがあります

それは、リヴァイアサンがリヴァイアサンがベビィ・ディックを「処女懐胎」した(と勘違いした)大きな理由です

この表現の面白さはイベントタイトルに隠されています

イベントタイトル『母と子と、おかーさんと』はキリスト教における三位一体「父と子と聖霊」のパロディだと思われるからです

※三位一体とは、神は「単一の存在である」と同時に、「父・子・聖霊の3つの位格(ペルソナ)がある」という考えです

イベントタイトルが三位一体に由来していると考えた場合、母(モビィ・ディック)とその子(ベビィ・ディック)とおかーさん(リヴァイアサン)の関係の面白さが表れると考えています

たとえば、神モビィ・ディックの御子ベビィ・ディック(キリスト)を「処女懐胎」した第二のEve(イブ)リヴァイアサンという関係が読み取れるはずです

(モビィ・ディックを父なる神として看做した場合、その子供であるベビィ・ディックは神の御子キリストと考えられるはずです

そして、キリストを出産する存在は第二のEve(イブ)として扱われる聖母マリアであるため、リヴァイアサンがベビィ・ディックを処女懐胎したと勘違いした表現によってリヴァイアサンは聖母マリアの役割を果たしていると考えることが出来る……という何とも言えない面白さが生じるわけです)

イベントタイトルのギミックに気づくまで、僕は「男性の世界」を描いた『白鯨』を利用して、神の持つ女性性「母」を描き、欠けた人生を肯定したイベントだと考えていました

(メルヴィルの白鯨は意図的に「女性」が排除されている作品だと考えることが出来ます

イシュメールとクイークェグの関係や、エイハブ船長とスターバックの関係などは男性同士の婚姻関係としてみなせますし、

巨大な白いマッコウクジラのMoby-dick(モビィ・ディック)という名前もMoby/巨大な、dick/男性器から成立しています

そうした「相手を打ち倒すことで、自身の欠落を埋めようとする男性社会」を描いた作品に母という女性の在り方を足すことで、欠落のある人生を肯定している……と考えることが出来るわけです

『メギド72』は男女の対立を意図的に扱い、それを無効化する物語を扱っているので、この点は重要だと思われます

しかし、『失楽園』や「三位一体」など、今回のnoteで扱った内容を踏まえてみると、より複雑で、面白い内容を扱っていたイベントだったのだと、改めて感じました

メギド72ヵ月を記念したイベントに、ここまでギミックを仕込んでいたとは……

まだまだ読み解けていないギミックが隠されていると思うのですが、一旦はこれでこの記事の終わりとしたいと思います

感想

とりあえず、僕の気づいたイベントに込められた仕掛けについて書けることを書いてみました

『白鯨』、『失楽園』の両者が持つキリスト教的な背景を利用し、それらを『メギド72』流に再解釈することで、イベントテキストに深みを持たせている……かもしれないということが伝えられていたらうれしいです

今後のnoteの参考にしたいので、以下のアンケートにご協力していただけると助かります……!

もしも、なにか感じたことや、気づいたこと、今後取り扱って欲しい内容などがございましたら、お手数ではございますが、マシュマロやXのDMなどで連絡してもらえると助かります

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それではまた、別のところでお会いしましょう
コンゴトモヨロシク……

参考文献

メギド72
イベントテキストを参照しました。

旧約聖書『創世記』ほか
口語訳聖書1955年のものを参照しました。

メルヴィル『白鯨』/Moby Dick; Or, The Whale
プロジェクト・グーテンブルクのテキストを参照しました。
またパワーモビィ・ディックによる註解を参照しています。
https://www.gutenberg.org/ebooks/2701
http://www.powermobydick.com/

ミルトン『失楽園』
岩波文庫の平井 正穂先生訳を参照しています。
英文のテキストについてはダートマス大学のミルトン読書室を参考にしています。
https://milton.host.dartmouth.edu/reading_room/pl/book_1/text.shtml


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