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「母と子と、おかーさんと」イベントにおけるメルヴィルの『白鯨』の利用と「楽園回復」

0.あいさつ

どうも、こんばんは
72これラジオというyoutubeチャンネルで活動している、あずきです。

今回はメギド72の72ヵ月(6周年)を記念して開催されていた
期間限定イベント「母と子と、おかーさんと」について
物語の骨組みとして利用されたメルヴィルの『白鯨』が、
主人公ソロモン王および、おかーさん”リヴァイアサン”の
あるべき姿を浮き彫りにする役割を持っていた事を、解説してみたいと思っています。

あくまで、僕なりの考察なので、そのまま鵜呑みにするのではなく
そういう風に考える人もいるんだなーーというスタンスで楽しんでもらえると嬉しいです。

動画での解説やXでの投稿も行っており、仮にnoteにまとめるのであっても復刻の際の方が注目してもらえるだろう、とも考えたのですが、

イベントタイトル「母と子と、おかーさんと」が「父と子と聖霊」(三位一体)をパロディしていることに、先ほど(2023年12月22日)気が付いたので、微妙な時期ですが、投稿することに決めました。

聖霊を精霊に誤字ってしまう程には興奮していました。

以降「母と子と、おかーさんと」イベントに対するネタバレを含みます。
ご了承ください。


1.「母と子と、おかーさんと」の大まかな流れと登場人物名の『白鯨』との一致

①「母と子と、おかーさんと」のあらすじ

イベントに関する考察を紹介する前に、イベントとメルヴィルの『白鯨』の関係を探るため、イベントのあらすじを確認したいと思います。

まず、イベントのキッカケとなるのは、リヴァイアサンの妊娠(処女懐胎)です。

もちろん、これはリヴァイアサンの早とちりだったわけですが、ソロモン王たちは超巨大な鯨型幻獣モビィ・ディックの幼体、ベビィ・ディックをなし崩し的に保護することになります。

ソロモン王たちはこのベビィ・ディックを本当の両親のもとへ送り届けるため、情報収集を行います。

すると、どうやらこの鯨型幻獣モビィ・ディックを狙っているエイハブという軍団長と、彼の軍団ピークォドの存在を突き止めます。

モビィ・ディックがいるであろう場所を突き止めたソロモン達は、本当の親にベビィ・ディックを返還するために奮闘します。

しかし、エイハブとピークォド軍団はこの時を見逃したりはしませんでした。

モビィ・ディックを誘き寄せ、自身の復讐を果たすために、その子供であるベビィ・ディックを攻撃します。
(この行動はミルトンの『失楽園』で神への復讐のために人間を堕落させたSatanを意識していると思われます。)

愛する我が子を傷つけられた鯨型幻獣モビィ・ディックは怒り狂い、ピークォド軍団は壊滅します。

大雑把なイベントの流れはこのようなものだったと思います。

②人物名の一致とその効果

既にお気づきの方もいるかもしれませんが、この「母と子と、おかーさんと」イベントの登場人物の名前はメルヴィルの『白鯨』からの引用となっています。

引用されている人物名(物体名も含みます)を挙げると以下のようになります

  • 作品のタイトルでもある、巨大なマッコウ鯨Moby-Dick(モビィ・ディック

  • それを狙う義足の船長Ahab(エイハブ

  • 時にAhabと対立し、時にAhabの良き理解者となるStarbuck(スターバック)

  • 船員のTashtego(タシュテゴ

  • 新たな乗組員であり、語り手のIshmael(イシュメール

  • Ishmaelの半身ともいうべき男Queequeg(クイークェグ

  • 彼らを乗せる捕鯨船Pequod(ピークォド

ただ、これらは名前を借りているだけではないはずです。

まず、『白鯨』では鯨をLeviathan(リヴァイアサン)に例えています。

しかし、これは『白鯨』とメギドのリヴァイアサンの関係が深いというだけではない(それだけが理由で引用されている訳ではない)と、僕は考えています

これまで、メギド72のリヴァイアサンは作中で何度も「おかーさん」であることが強調されてきました。

『白鯨』内でリヴァイアサン(Leviathan)に例えられているMoby-Dick(モビィ・ディック)をイベント上で「母親」にすることで、二人(一頭と一人)が鏡写しの存在となり、それによって、メギドのリヴァイアサンにMoby-dick(モビィ・ディック)の持つある種の神性を見出そうとしている……

というのが僕の考えです。

まだ、いまいち説明になっていないと思うので、まずはモビィ・ディックの神性がイベント上で強調されていることを確認していきたいと思います。

③リヴァイアサンによるベビィ・ディックの返還とイサクの燔祭

処女懐胎をした、と勘違いをしたリヴァイアサンはその自身の子供ベビィ・ディックを本来の親の元に返すために、自身が所属している軍団「メギド72」から脱退することも選択肢に入れていました

ここで重要なことは、リヴァイアサンにとって、軍団「メギド72」からの脱退は気軽なものではないはずだ、ということです。

リヴァイアサンにとって軍団「メギド72」は、アスモデウスを含め、昔からの知り合いが何人も所属しており、またバナルマの時から目をかけていた娘たち、ウェパルやサルガタナスも所属しているかけがえのない軍団のはずだからです。

ですから、ベビィ・ディックを本来の親の元に返すために、自身が所属している軍団「メギド72」から脱退することも選択肢に入れていた、ということは、彼女が自身の子供ベビィ・ディックを(勘違いによって一時的な親をやっただけであったとしても)心の底から愛していたことの証拠であると、言えるはずです。

そしてそれは同時に、それほどまでに愛していたにも関わらず、リヴァイアサンは自身の子「ベビィ・ディック」を手放す決心をしている、ということです。

僕はこの表現の背景に「イサクの燔祭」という逸話があると考えています。

イサクの燔祭」とは、旧約聖書『創世記』に登場するエピソードの1つです。

ある時、年老いた男アブラハムと、長年妊娠することがなかった妻サラとの間に奇跡的にイサクという子供が生まれます。

しかし、アブラハムの信仰する神は、アブラハムに対してその愛息子である「イサク」を生贄にすることを要求します。

アブラハムはこの要求に従うために自身の息子イサクと共に、モリヤの山へ向かい、そして、わが子を祭壇に乗せ、神に捧げようと刃物を持った手を振り下ろす……

その直前に御使い(天使)が慌てて現れる、というのが「イサクの燔祭」というエピソードです。(くわしくは『創世記』22章1節から19節を参照してください)

重要なことは、このエピソードはゴルゴダの丘で犠牲となったイエス・キリストと形式的類似が見られるという点です。

ミルトンの『失楽園』において、神は自身の御子キリストを心から愛しており、それ故に手放し(キリストが死ぬことを了解して)、だからこそ、彼(神)の手元に戻ってきます。

キリストもまた、神を心の底から愛しており、自らが犠牲になることを確信した上で、十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かい、だからこそ死を克服します。

これらは「心の底から愛しているからこそ、(手放せば、戻ってこないと確信したうえで)我が子を手放し、そして、だからこそ手元に戻ってくる」という点で共通するモチーフです。

これは繰り返しになりますが、リヴァイアサンもまた愛していたにも関わらず、彼女はその子供を手放す決心をしています。

そして、”だからこそ”、モビィ・ディックとおかーさん友達となり、ベビィ・ディックはリヴァイアサンの元へ戻ってきたはずです。

もう一つ、面白い点として、Ishmael(イシュメール)の存在があります。

Ishmael(イシュメール)は、『白鯨』の登場人物の名前であると同時に、聖書に登場する人物の名前でもあります。

聖書に登場するIshmael(イシュマエル)は先述したアブラハムと、サラの所有していた奴隷ハガルとの間に生まれた子供です。

先ほども説明しましたが、アブラハムとサラは長い間、子宝に恵まれませんでした。このため、サラは、自身の夫アブラハムに対して、自身の所有する奴隷ハガルとの間に子供をもうけることを勧めます。

その勧めに従ってハガルがアブラハムの子供を身籠るのですが、妻であるサラとしてはおもしろい話ではなかったのでしょう。サラはハガルにつらく当たります。このためにハガルは一度逃げ出すのですが、神の御使い(天使)に加護を約束されて、アブラハムたちの元へ戻ります。

しかし、先述した通り、アブラハムとサラの間に子供イサクが生まれ、(母親の違う兄弟がいると揉め事の種になるので)ハガルとイシュマエルは追放されます。(ただ、神の加護のために助かり、イシュマエルはサラの息子として扱われます。)

イサクの燔祭をモチーフとして取り込みながら、イサクが理由で追放されるイシュマエル(Ishmael)をイベントに登場させている点に、僕はおもしろさを感じています。

少し、本題から逸れてしまいましたが、イサクの燔祭をモチーフとして取り込むことで、面白い効果がイベントに対して与えています。

それはモビィ・ディックの神性の獲得です。

メルヴィルの『白鯨』においても、Moby-Dickは荒々しい海の悪魔でもあり、神秘的な神の如き存在ですが、「母と子と、おかーさんと」イベントではその側面が強調されているように感じます。

これはリヴァイアサンがベビィ・ディックを愛していたからこそ、手放す決心をしたことで、神(モビィ・ディック)へ子供が捧げられ、そして、だからこそリヴァイアサンとモビィ・ディックの関係は正常化し、ベビィ・ディックが戻ってきた

という構造が、モビィ・ディックに神性を与えているからだと思います。

余談ですが、Ishmael(イシュメール)だけでなく、Ahab(エイハブ)もまた、聖書に登場する人物の名前でもあります。

聖書内では、Ahab(アハブ)はその妻イザベルの影響もあり、イスラエル・ユダ王国にバアル崇拝(異教)を持ち込んだ暴君として描かれています。

この点において(晩年のソロモン王も同様に女性関係の影響で異教に寛容であったと記述されています。)アハブ(エイハブ)はソロモン王と対比される関係にあります。

④なぜアスモデウスはリヴァイアサンの「復讐」を止めたのか

Moby-Dickに神性を認めた場合、重要になることとして、アスモデウスがリヴァイアサンの復讐を止めていることには別の意味が表れます。

オロバス(カウンター)の奥義「我これに報いん」でご存じの方もいるかもしれませんが、聖書において、復讐とは人間のするべきことではない、とされています。

愛する者よ、自ら復讐せず、神の怒りに任せよ。『主は告げた、復讐するは我にあり、我これに報いん』と記されている。

「ローマ人への手紙」12章19節

神は誰よりも、その子供(人間)を愛しており、その愛している我が子を害されてもっとも怒るのは、その親(神)です。

このことは次の章でより深く掘りたいので、一旦ここで切り上げますが、サラに関わる悪魔アスモデウスがそれを諭しているのは、可笑しさがあるように思います。

2.メルヴィルの『白鯨』とミルトンの『失楽園』

日本語のテキストで、メルヴィルの『白鯨』とミルトンの『失楽園』の関係について扱ったものが簡単にアクセスできる場所にはないのですが、これについては深入りすると難しい話になってしまうし、本題からは離れてしまうので、ざっと掻い摘みながら説明していければと思います。

まず第一に、(これまで僕は何度も取り上げてきたのですが、)メギド72とミルトンの『失楽園』はとても深い関係にあります。
これは話し出すとキリがないので、今回はある程度、説明を飛ばしてしまって、一旦そういうものなのか、と了承してもらえれば、と思います。

ここからは、少しミルトンの『失楽園』について、その物語と、解釈の話をしてみたいと思います。

まず、神は唯一無二の完全な存在で、満ち足りた存在であり、配偶者を必要としません(繁殖をしない)。
そして、ありとあらゆるモノを作り出した創造主として存在します。

「母と子と、おかーさんと」イベントではバールベリトが次のようなことを言っていましたが、これは上記のことを前提としていると思います。

メギドってのは唯一無二
単体で完結してる生物なんだ!
子供なんか産むわけねぇだろっ!

「母と子と、おかーさんと」イベント

この、完全な存在、神は”自身に似せて”人の子、Adamを作り出します。
完全な存在に似せられて作られたAdamは「完全に近い存在」であるはずです。

その後、このAdamは神に伴侶を求めると、神はそれを了承し、彼の肋骨から女Eveを作り出します。

Eveは悪魔Satanに誑かされ、「知恵の木の実をたべてはいけない」という、神との唯一の約束を破ってしまい、アダムに対して自分と同じことをするよう懇願します。

Eveを失うことを恐れたアダムは、Eveと一緒に死ぬことになるとわかっていながら、神との約束を破り、二人は永遠の命を失い、楽園を追放されます。

この話を曲解すると、アダムは「肋骨」を失ったせいで、欠けた存在になった、と言えなくもないはずです。

さらに踏み込んで言えば、アダムは「肋骨さえ取り戻せば」神の如き、完璧な存在、伴侶の要らない存在になれるはずです。

ミルトンの『失楽園』では、その考えが誤りであることを、Adamの様に、いやAdam以上の存在(神のような存在)になることを夢想してEveが知恵の実を食べ、その結果堕落してしまったことや、悪魔Satanによる神の叛逆をもって表現しています。

なぜ、こんな話をしたのかというと、それはメルヴィルの『白鯨』に登場するAhabはそうした考えを持つ人である、と解釈することが出来るからです。

Ahabは鯨の顎の骨を利用して、自身の失った足を補っています。骨によって物理的欠損を補っているのです。

(余談ですが、捕鯨によって得られる鯨油は、世界に灯りを届ける貴重な資源であり、「火を人類に与えるために、苦しめられる」という点でギリシャ神話のプロメテウスとの類似が指摘されます。メギド72は「現代のプロメテウス」、メアリー・シェリーの「フランケンシュタイン」とも関連が深いので、この点は抑えておきたいです。『失楽園』においてSatanがかつてLucifer/光を掲げる者であることも、ライターの意識にあると思います。)

そして、AhabはMoby-dickを斃すことで、その存在的欠損を補おうとしている、ととらえることが出来ます。

少なくともメギド72のイベント「母と子と、おかーさんと」では、この解釈をとっているように僕には思えます。

ピークォド軍団のメンバーはモビィ・ディックをとの戦いを目前にそれぞれ戦果として「皮」や「骨」を要求していました。

これをメギド的だ、ととらえることも可能ですが、僕には少しだけ不思議に思えました。

物質によって自分の欠損を補おうとしていることを強調しているように読めたからです。

つまり、イベント「母と子と、おかーさんと」のエイハブは(知恵の実を食べることを欲したEveであり、)神(モビィ・ディック)への復讐を望むSatanの役割を担っているのです。

(『白鯨』のAhabの持つMoby-Dickに対する狂気ともとれる執着(ミルトンの『失楽園』のSatanのような性質を)、「母と子と、おかーさんと」イベントに登場するエイハブが同様にそれを持っていることが分かります。)

仮に、そうだとして、それは「母と子と、おかーさんと」イベントにどんな効果をもたらすのでしょうか。

先ほども述べたのですが、聖書において、アハブはソロモン王と対比される関係にあります。

そして、「母と子と、おかーさんと」において、エイハブは自身を「欠けさせた」モビィ・ディックに対する復讐を望む存在です

同時に、主人公ソロモン王もまた、かつては復讐を望む存在でした。

自身の育った村を幻獣に襲われたソロモン王は、「自身を欠けさせた」「楽園を追放させられた原因」を憎み、復讐を望んでいたはずです。(だからこそ、彼の村はグロル/grol「憎悪・恨み」の村なのです)

しかし、エイハブとの対比によってソロモン王は「そうではなくなった」ことが明らかになった、と思います。

この表現は明らかに「欠けた存在」の肯定、つまり人生への肯定だと思います。

変な話かもしれませんが、私たちは常に「完璧な存在」であることを渇望します。

少なくとも僕はそうです。
欠けた自分を認めたくないし、出来れば完璧な、満足のいく人生を生きていたいと考えます。

エイハブはその生き方の極致です。自身を欠けさせた存在(神=モビィ・ディック)を許さず、それさえ倒せれば人生がよくなると考え、その為だけに人生の全てを捧げている存在です。

しかし、それは幸福な生き方ではないし、他者を傷つける道のりです。

この対比関係から見える、ソロモン王が守ろうとしているものは、「欠けた人生」です。

完全な存在になって、楽園に戻ろうとするのではなく(『失楽園』のSatanのような生き方)、欠けた人生を肯定し、前へ進もうとするそのあり方を肯定している、それを描くために、メルヴィルの『白鯨』をメギド72流に再解釈し、物語としたのが「母と子と、おかーさんと」イベントなのだと思います。

この解釈を踏まえて、リヴァイアサンがエイハブ的な、復讐者となりかけた瞬間に、それを止めるのが、アスモデウスである点が、僕はたまらなく好きです。

これは、復讐は本当の母(=神)の領域であり、リヴァイアサンはするべきことがある、という表現は私たちへの警告にも受け取れます。

僕らはつい、怒りや、憎しみの感情から、自分のやるべきことをおろそかにし、自分の人生ではなく、(その人のために頑張りたいと心から思えるような人ではない)他人の人生のために、生きてしまいます。

けれど、僕らには、その時々に応じて「やるべきこと」があります。

これを告げるのが、アスモデウス(サラにまつわる悪魔)なのが、本当に面白くて、僕はかなり好きな表現です。

3.三位一体と、おかーさんと

最後になりましたが、モビィ・ディックの神性や、AhabのSatan性を説明したうえで、更に面白い点として説明したいことがあります。

それは、リヴァイアサンがリヴァイアサンがベビィ・ディックを「処女懐胎」した(と勘違いした)大きな理由です。

この表現の面白さはイベントタイトルに隠されています。

イベントタイトル「母と子と、おかーさんと」はキリスト教における三位一体「父と子と聖霊」のパロディだと思われるからです。

そう考えた場合、母Moby-Dickとその子ベビィ・ディックとおかーさん”リヴァイアサン”の関係の面白さが表れます。

そうです。

神モビィ・ディックの御子ベビィ・ディック(キリスト)を「処女懐胎」した第二のEveリヴァイアサンという関係が生まれるのです。
(御子イエス・キリストを処女懐胎した第二のEve、つまり聖母マリアとしての性質をリヴァイアサンが獲得することになります。)

イベントタイトルのギミックに気づくまで、僕は「男性の世界」を描いた『白鯨』を利用して、神の持つ女性性「母」を描き、欠けた人生を肯定したイベントだと考えていました。

それだけではなかったのです。

これに対して、言葉での説明はむしろ蛇足になってしまうし、僕は上手い表現が思い浮かびません。

ただ、僕が言えることは、メギド72ヵ月を記念したイベントに、ここまでギミックを仕込んでいたのか……ということくらいでしょうか。

まだまだ読み解けていないギミックが隠されていると思うのですが、一旦はこれでこの記事の終わりとしたいと思います。

4.感想

とりあえず、僕の気づいたイベントに込められた仕掛けについて書けることを書いてみました。

『白鯨』、『失楽園』の両者が持つキリスト教的な背景を利用し、それらをメギド72流に再解釈することで、イベントテキストに深みを持たせている……かもしれないということが伝えられていたらうれしいです。

雑な解説になってしまってると思うので、変な個所や、気づいたこと、分からなかったことなどがあれば、マシュマロなどで質問してもらえるとたすかります。
https://marshmallow-qa.com/r6xn2y0etmdc85?t=eawJiA&utm_medium=url_text&utm_source=promotion

5.参考文献

メギド72
イベントテキストを参照しました。

旧約聖書『創世記』ほか
口語訳聖書1955年のものを参照しました。

メルヴィル『白鯨』/Moby Dick; Or, The Whale
プロジェクト・グーテンブルクのテキストを参照しました。
またパワーモビィ・ディックによる註解を参照しています。
https://www.gutenberg.org/ebooks/2701
http://www.powermobydick.com/

ミルトン『失楽園』
岩波文庫の平井 正穂先生訳を参照しています。
英文のテキストについてはダートマス大学のミルトン読書室を参考にしています。
https://milton.host.dartmouth.edu/reading_room/pl/book_1/text.shtml


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