『険しく長き筋肉の道!』イベントに関する考察
0.初めに
どうも、こんばんは
72これラジオというyoutubeチャンネルで活動している、あずきです。
今回この記事を書くに至った経緯ですが、僕は「『険しく長き筋肉の道!』イベントに関して、物語の骨組みとしてミルトンの『失楽園』を利用しているはずだ」という主張を、初回開催時である2021年10月29日から、数回に分けてTwitter(X)上でしていました。
復刻に際して、このことに対する認知度や、理解度が知りたかったため、
「『険しく長き筋肉の道!』イベントとミルトンの『失楽園』の対比関係について」のアンケートを実施しました。
そもそもがディープな話題なので、「回答者は僕の話を理解している人が多くなるはずだ」という見込みをしていたのですが、想定していたよりも丁寧な説明が欲しいと感じている人が多く存在していて、また話題に対して回答者の数も多いと感じたので、「それなら、せっかくだからイベントの復刻期間中に丁寧な解説つきで、考察を紹介してみよう」と感じました。
しっかりとまとめた形での発信をしていなかったこともあったので、このアンケート結果を考慮して、補足を挟みながら、考察を解説していきたいと思います。
0.A 『険しく長き筋肉の道!』イベントに関する前提
まず前提として、『険しく長き筋肉の道!』イベントは
『見習い女王と筋肉の悪魔』イベント
ハック(カウンター)キャラクターストーリー
マルチネ(バースト)キャラクターストーリーを前日譚としています。
特に『見習い女王と筋肉の悪魔』イベントの内容は、マルチネが当時の記憶を取り戻すという形で引用されており、マルチネの心情が補完されています。
今回は考察について説明をするために、それぞれの内容について記事内に一部セリフを引用していくことになります。
メインストーリー上の内容には触れませんが、
上記の内容についてはネタバレを含むため、ご注意ください。
0.B ミルトンの「『失楽園』に関する前提
ミルトンの『失楽園』は旧約聖書『創世記』の内容を題材とした作品で、
神と堕落天使の戦争、人類の祖であるアダムとイブが神を裏切って楽園を追放される様を描いた叙事詩です。
サタンやミカエルなど、登場人物の名前が『メギド72』と被るので、混同してしまうことを避けるために、本NOTEでは、『失楽園』の登場人物に関して、SATANの様に大文字のアルファベットにて表記します。
この記事では、『失楽園』のテキストとして、主に岩波文庫の平井正穂訳を引用します。
とりあえずの結論
まず、『険しく長き筋肉の道!』イベントは、以下の4点の出来事から構成されているイベントだと捉える事が出来ます。
マルチネが休戦季(ネガルマ)中に議場を襲う
マルチネがメギドラルからヴァイガルドへ追放される
オキタエルがマルチネを唆し、ハックとの約束を破らせようとする
オキタエルは筋肉の楽園であるヴァイガルドからメギドラルへ向かう
また、これらの4点は、次の4つの『失楽園』の表現とそれぞれ類似関係にあるというのが僕の主張です。
神に対して悪魔が叛逆する
悪魔が天国から地獄へ追放される
悪魔が人を唆し、神との約束を破らせる
人は楽園から新天地へ向かう
そして、これらの類似は、単純に物語の骨格として『失楽園』の表現を借りた、というだけではなくて、読者に対して一定の理解を促すことを目的としていると考えています。
それぞれの類似について触れながら、これらの類似がなぜ「一定の理解を促すことを目的としている」と考えたのかについて説明してみたいと思います。
1. マルチネの叛逆と悪魔の叛逆
1.A マルチネの叛逆
マルチネの追放のキッカケとなった議場への強襲は、主にハックの視点で表現されています。
マルチネの議場への強襲に関してハックの視点から見ると、
というセリフからも分かるように「マグナ・レギオに対する反乱」という意味を持っています。
しかし、マルチネにとって、あの出来事は、
というセリフからも分かるように、「ハックに対する裏切り」を意味しています。
また、マルチネはこの出来事を引き起こした理由として
と自身の野心について語っています。
また、それに付随して、
とも言っており、この出来事を引き起こした裏には、自分はハックにさえ
負けはしないはずだ、という傲慢さがあったことがわかります。
更に、マルチネはかつてのこの出来事に対して、記憶が戻る以前に
と後悔と罪悪感についてもこぼしています。
ということで、ここまでの説明をいったんまとめると、
マルチネの議場への強襲は、ハックにとっては「マグナ・レギオ(全体)への反乱」であり、マルチネにとっては「ハック(個人)に対する裏切り」という意味を持っている。
マルチネはテッペンに昇りたいという「野望」から事件を引き起こした
マルチネには、ハックに勝つことができるという「傲慢さ」があった。
マルチネは事件を起こしたことに対して「後悔」と「罪悪感」を持っている。
という4点が重要だと言えそうです。
1.B 悪魔の叛逆
一方、『失楽園』では、悪魔SATANが神に対して叛乱を起こしています。
この出来事はアダムに対して天使RAPHAELが、かつて天国でおこった出来事として、『失楽園』BOOK5‐BOOK6の中で語られています。
まず、この出来事は悪の勢力と善の勢力との闘争であるという点において、「天国全体に対する反乱」です。
悪の勢力と善の勢力との闘争だということは
という天使MICHAELと悪魔SATANの言い合いからも読み取ることが出来ます
同時に、この出来事はSATANの「神個人に対する叛逆」でもあります。
と、SATANが神個人に対する裏切り行為であると認識していることが、「神個人に対する叛逆」でもある、と言える根拠です。
また、この出来事を起こした理由についてSATANは、
と自身の野心について語っています。
(この独白の直前には「傲慢とさらに悪しき野望にかられて」ともあります)
また同時に、SATANは神への叛逆に関して、
とも言っており、この出来事を引き起こした裏には、自分は神の軍勢にさえ
負けはしないはずだ、という傲慢さがあったことがわかります
更に、叛逆に対する後悔と罪悪感に関して
と、罪は自分にあり、そのことに悔いているような発言をしています。
ここまでで説明したSATANの叛逆についてもまとめると
SATANの叛逆は、「天国全体への反乱」であり、「神個人に対する裏切り」である。
SATANは「傲慢とさらに悪しき野望にかられて」叛逆を引き起こした。
SATANは、自分ほどの強さがあれば、神が相手であっても負けはしないだろうという「傲慢さ」があった。
SATANは事件を起こしたことに対して「後悔」と「罪悪感」を持っている。
という4点が重要であると言えそうです。
1.C 叛逆についてのまとめ
まず、マルチネの議場への強襲は、「全体への反乱」かつ、「個人に対する裏切り」で、「野望」から事件を引き起こしまいしたが、その背後には「傲慢さ」がありました。また事件に対して「後悔」と「罪悪感」を持っている、という点が重要でした。
つぎに、SATANの叛逆は「天国全体への反乱」かつ、「神個人に対する裏切り」で、「悪しき野望にかられて」叛逆を引き起こしたが、その背後には「傲慢さ」がありました。また事件に対して「後悔」と「罪悪感」を持っている、という点が重要でした。
このように、マルチネの叛逆とSATANの叛逆は
「全体に対する叛逆であり、個人に対する裏切りでもあること」
「頂点に立ちたいという野心が理由の出来事であること」
「自分ほどの実力があれば、神の如き相手にさえ打ち勝つことが出来る、という傲慢さがあったこと」
「その出来事に対して後悔と罪悪感があること」
という4点で類似していて、更には内容だけではなく「過去の出来事であること」という点に関しても類似しています。
2. ヴァイガルドへ追放と地獄への追放
2.A マルチネにとっての地獄
先ほど説明した議場への強襲が原因となり、マルチネはヴァイガルドへ追放されてしまします。
ハックの視点から見てこのマルチネの追放は「彼の世界に戻れない」「貧弱なヴィータの肉体に転生する」という意味を持っていました。
これは
といったハックのセリフからも明らかです。
この「「彼の世界」に戻れない」ことや「ヴィータに転生する」ということは、メギドとしての魂に変質が起こることを意味しています。
また、マルチネの視点では、追放とは「ハックの元を去ること(一緒に戦えないこと)」を意味しています。
これは『険しく長き筋肉の道!』イベント・プロローグなどでたびたび語られている内容から読み取ることが出来るはずです。
ここまでで説明したハックの視点とマルチネの視点を統合して考えると、マルチネの追放は
「魂が変質すること」
「ハックの元を去ること」
の2点が重要な要素であると言えそうです。
2.B 悪魔にとっての地獄
『失楽園』では、神への叛逆によって悪魔たちは天国から地獄へと追放されてしまいます。
『失楽園』での地獄への追放について考えるためには、天国と地獄に対する次のSATANのセリフに表れている、心に対する独自の見解について考える必要があります。
つまり、心の在り方が、世界を天国にも地獄にも変えうる、と言っているわけです。
この時の彼は、地獄に追放されてはいるが、天国にいたころの自分とは一切変化していないのだから、ここは地獄ではない、と言い張る意味で発言をしていました。
しかし、彼は地獄を脱して、様々なところをめぐって人間のいる楽園へやって来たときに、自分自身の心が原因で、場所こそ変わっているはずなのに、地獄から一歩も抜け出せていないことを嘆きます。
また、これは余談ですが、SATANは神の軍勢と戦を交える前に、
と語っています。
このセリフの意図は、天国に「悪」をはびこらせてやるぞ(我々は負けないぞ)、という強い決心を相手に伝えたものですが、
皮肉にもSATAN自身の心が堕落していたことによって、このセリフはその内容が実現することになります。
(堕落しているSATANにとっては天国でさえ、地獄だったのです。)
これはつまり『失楽園』において、天国から地獄に落ちる、ということは物理的な移動だけを指すではなく、むしろ内面の変化にこそ重要性がある、ということを意味しています。
また、当然ではありますが、地獄へ行くということは「神の元を去る」という事でもあります。
これに関して、SATANは次のように語っています。
天国で奴隷である、というのは神の定めた救世主の支配を受けることをさしており、神と救世主の両者から支配されない、つまり彼らの元を去った、その方が幸せなのだ、という風に語っているわけです。
ということで、ここまでの説明をまとめると、SATANの地獄への追放は
「内面の変化」
「神の元を去る」
という2点が重要なことだと言えそうです。
2.C 地獄への追放についてのまとめ
マルチネのヴァイガルドへの追放は「魂に変質が起こる」ことと「ハックの元を去る」ことを意味しており、
また、SATANの地獄への追放は「内面の変化」と「神の元を去る」ことを意味していました。
このようにマルチネの追放と悪魔の追放は
「内面の変化によって引き起こされた」
「自分を愛してくれている存在の元から去った」
という2点で類似が見られると言えそうです。
3.オキタエルの唆しと悪魔の唆し
3.A オキタエルの唆し
ヴィータの肉体に転生したことで、貧弱な肉体となったマルチネは「早くハックと一緒に戦いたい」という先走った気持ちを持っていました。
このように、マルチネの焦りは随所に見られます。
オキタエルはそんなマルチネに対して、自身の理論の正しさを証明するために、「理想の肉体になれる」と甘言を用いて、過剰な鍛錬を課そうとしていました。
ただ、これはマルチネの師匠であるハックの気持ちを裏切る行為でもあります。
というのもハックは、マルチネに過剰に鍛錬することを許してはいないからです。
これに関しては他にも、ソロモンの
というセリフや、オキタエルの
というセリフからも、うかがい知ることが出来ます。
というわけで、オキタエルがマルチネを唆す場面において重要なことは
「オキタエルは甘言を用いてマルチネに過剰な鍛錬をさせようとした」
「ハックはマルチネが過剰な鍛錬をすることを許していない」
の2点だと言えそうです。
3.B 悪魔の唆し
一方で『失楽園』ではSATANは蛇の体を借りて人類の母であるイブに対して媚び諂い、甘言によって誘って、「善と悪の知識を齎(もた)らす力を持った樹の果実を味わうことだけは避けてもらいたい」という神との唯一の約束を破らせます。
このように、SATANがイブを唆す場面では、
「悪魔は甘言を用いて人類に神との約束を破らせた」
「神は人間が善と悪の知識を齎らす力を持つ樹の果実を味わう事を禁止していた」
の2点が重要となっています。
3.C 唆しについてのまとめ
オキタエルがマルチネを唆す場面では「オキタエルは甘言を用いてマルチネに過剰な鍛錬をさせようとした」ことと、「ハックはマルチネが過剰な鍛錬をすることを許していない」ことの2点が重要でした。
また、SATANがイブを唆す場面では「悪魔は甘言を用いて人類に神との約束を破らせた」ことと、「神は人間が善と悪の知識を齎らす力を持つ樹の果実を味わう事を禁止していた」ことの2点が重要でした。
以上のことから、オキタエルとSATANの唆しは
「唆すために甘言が用いられている」
「約束を破ることで破滅的な結末が待っている」
「誰にも強制されることなく自分の意志で約束を破っている」
という3点で類似が見られる、と言えそうです。
4.オキタエルの楽園追放とアダムとイブの楽園追放
4.A オキタエルの楽園追放とマルチネの反省
オキタエルは独学の理論によって、ヴィータたちに過剰な鍛錬と極端な食生活を強いたことで、何人かのヴィータを衰弱させてしまっていました。
ソロモン達の追及もあってか、オキタエルはこのことを反省し、理論を一から見直すために、プーパ達とともに筋肉の楽園であるヴァイガルドからメギドラルへ向かい、筋肉黄金時代の到来を夢見て体を鍛え続けることになります。(『険しく長き筋肉の道!』イベント 第5話・1・3・4・END)
この出来事は、マルチネのかつての叛逆とも関連しています。
というのも、直前にプーパたちはオキタエルに対して反乱を引き起こしており、この裏切りに対してマルチネは、
と、かつての自分が引き起こした議場への強襲について思い出して、深く後悔していたからです。
この「私も(中略)同じことを…」という表現は
「プーパの反乱とそれによって引き起こされたメギドラルへの移動」と
「マルチネの反乱とそれによって引き起こされたヴァイガルドへの追放」が対比表現の関係にある、ということを意味しているはずです。
実際、プーパ達はオキタエルから心配された際や、モグラ型幻獣から助け出そうとしていた事に対して、表現こそ少ないですがマルチネ同様に後悔や罪悪感を持ち、反省の念を抱いていたはずです。
ということで、この場面において重要なことは
「オキタエルとプーパたちは筋肉の楽園であるヴァイガルドからメギドラルへ向かった」
「プーパによる反乱はマルチネが議場を襲ったことと対比関係にある」
「マルチネが深く反省したようにオキタエルやプーパ達も反省した」
の3点だと言えそうです。
4.B アダムとイブの楽園追放と反省
『失楽園』においてアダムとイブは善と悪の知識を齎らす力を持つ樹の果実を味わったことで、神との約束を破り、住処である楽園を追われて、新天地を目指すことになります。
二人は楽園を追放される直前に、自分たちの叛逆の責任が自分たちにあることを認め、「謙虚な気持ちで自らの罪咎(つみ)を告白して許しを乞」(『失楽園』BOOK10)うことになります
ということで、この場面において重要なことは
「アダムとイブは楽園から新天地へ向かった」
「アダムとイブは自身の行為に対して深く反省した」
の2点だと言えそうです。
4.C 楽園追放と反省についてのまとめ
オキタエル達がメギドラルへ移動する場面では
「オキタエルとプーパたちは筋肉の楽園であるヴァイガルドからメギドラルへ向かった」ことや、
「プーパによる反乱はマルチネが議場を襲ったことと対比関係にある」こと、そして
「マルチネが深く反省したようにオキタエルやプーパ達も反省した」ことの3点が重要でした。
一方でアダムとイブが新天地へ向かう場面では
「アダムとイブは楽園から新天地へ向かった」ことと、
「アダムとイブは自身の行為に対して深く反省した」ことの2点が重要でした。
以上のことを踏まえると、2つのエピソードは
「後悔・罪悪感を抱き、反省した」
「楽園を去った」
という2点で類似が見られます。
5.さらなる考察
5.A 理解を促す役割について
さて、ここまで『険しく長き筋肉の道!』イベントと『失楽園』の4つの類似に関して、それぞれ解説をしてきました。
これまでの説明で伝わっていたらうれしいのですが、これらの類似は、『失楽園』をかなり深く読み取った上で、何らかの意図をもって表現されている、というほかありません。
というのも、既存の作品を題材にして物語を書くということはよく見られることですが、その作品の出来事についてしっかりと読み込んだうえで、そのコアとなる部分を真似て、さらにそれをしっかりと描き切る、ということはそう簡単なことではありません。
既存の作品を真似る場合、
「物語を作る手助けとするため(難易度を下げる役割)」
「広く知られている作品を真似て、読者に対して共感を促すため(共感を獲得する役割)」
「自身の趣味のため(自己満足を満たす役割)」
などの理由を挙げることが出来ます。
しかし、上記の3つの理由であれば、ここまで丁寧に類似させる意味はなく、難易度に対してリターンが見合っている、とは言えません。
ですから、ここまで類似させているということは、こうした書き手側の理由だけではなく、読者に対する何らかのアプローチを期待していると考える方が自然だと思います。
そして、この意図に関して、僕は「イベントの理解を促す」ことにあると考えています。
というのも、『メギド72』という作品だからこそ意味があると言えそうな、ある一点において、『険しく長き筋肉の道!』イベントと『失楽園』には大きな違いがあるからです。
それは「悪魔が人間を唆していない」という点です。
これに関して順を追って説明したいと思います。
まず、『失楽園』において、①悪魔は神に対して叛逆して、②天国を追放されて地獄へ向かいます。③そしてこの腹いせに人間を唆し、④堕落した人間は楽園を去ることになります。
そして、『険しく長き筋肉の道!』イベントにおいて、ある時点までは、反乱を起こした悪魔に対応しているキャラクターが「マルチネ」です。
マルチネは、①議場を強襲する、というマグナ•レギオに対する叛逆を引き起こし、②そしてメギドラルを追放されています。
この追放によって、マルチネはヴィータ、人間に転生します。
これにより③マルチネとは別の悪魔、オキタエルが、人間となったマルチネを唆して、④オキタエルは筋肉の楽園を去る、という形になりました。
『失楽園』の物語をそのまましっかりと題材とするのであれば、「マルチネ」が人を唆すはずです。しかし実際には、人を唆していたのは「オキタエル」でした。
物語を作るうえで、題材となる物語の役割をひっくり返す、ということはたびたびおこなわれており、その多くは、物語の展開についてバリエーションを増やすために行われています。
ですが、今回のケースに限ってはそうではなくて、この変更によって「マルチネがヴィータに転生した」ことを強調しているのだと思います。
マルチネは追放されるまでは純正メギド、メギド72の作中における悪魔でしたが、転生を経てヴィータ、人間として生活しています。
このことを強調するために、つまりマルチネが人間となったのだから、悪魔としてのふるまい、「人間を唆す」ということはせず、むしろ「悪魔に唆される」立場にしたのだと思います。
つまり、メギド「マルチネ」が、ヴィータ「マルチネ」へ転生したことを、物語の骨組みとして利用している『失楽園』での役割を入れ替えることで強調している、というわけです。
また、これはマルチネの「後悔と罪悪感」を強調する役割もあります。
悪魔が一時的に述べるそれとは別の、人間の「謙虚な気持ちで自らの罪咎(つみ)を告白して許しを乞」(『失楽園』BOOK10)うという側面を持つわけです。
更に言えば、マルチネに対するハックの愛の大きさもまた強調することを狙っていると思います。
『失楽園』において神は、自身に対して叛逆した悪魔を許すことは決してしませんでした。
しかし、ハックはマルチネを許しただけに留まらず、ヴィータとして転生したマルチネがヴァイガルドで生きていける術としてヴァイクラチオンを編み出しており、
さらにはマルチネの悩みに気づき、自分の新たな衣装を用意して、ヴァイクラチェンさえ考案していました。
これは『失楽園』において、人を想ってその罪を贖った神の御子、救世主(イエス・キリスト)の慈愛とも関連していると思います。
5.B イベントタイトルについて
さて、ここまでの説明を踏まえた上で、イベントタイトル『険しく長き筋肉の道!』について考えてみたいと思います。
僕はこのタイトルが『失楽園』の次の表現に由来していると考えています。
この文に出てくる、遠くはLONGを訳したもので、LONGは一般に「長い」と訳すはずです。
ですからこれは、
「地獄を脱して光に至る道は、長くて険しい」
と言い換えられるはずです。
仮に、この表現が由来でイベントタイトルがつけられているのであれば「筋肉の道」とは単なる鍛錬を指しているのではなくて、「地獄を脱して光に至る道」つまり「人生そのもの」を指しているのだと思います。
6.おわりに
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
楽しんでもらえたでしょうか?
今回のNOTEをきっかけに『メギド72』とミルトンの『失楽園』の対比に関する考察に興味を持ってもらえたら嬉しいです。
引用も含めると約1万字の解説・考察になってしまいましたが、まだまだ面白いギミックが隠されているのが、メギドのイベントの面白く、また恐ろしいところでもあります。
このNOTEを読んだうえで、更にイベントを深読みしてみると、なにか発見できるものがある、かもしれないので、ぜひイベントを再読して、『メギド72』をよりディープに楽しんでもらえれば、と思っています。
これで今回のNOTE記事は終わりとなります。
重ね重ねになりますが、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。
今回の考察に対する感想や疑問、またこれとは別に『険しく長き筋肉の道!』に関して気づいたことなどがあったら、Twitter(X)上でリプライ・DMなどしてもらえると嬉しいです。
それでは、コンゴトモヨロシク……
7.参考文献
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