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在り方、判断基準、人生観と、後悔

「迷い 悩み 嫉妬し
決断をしては 傷つけ合う」

これは小説「夜行秘密」のトレーラーに出てくる一文。
なぜか、この文章が頭から離れない。
というか最近、在り方とか人生観とか、後悔のことばかり考えている気がする。

先日、渋谷パルコで催されている「夜行秘密」の展示に行ってきた。
小説の中の文章が散りばめられている展示だった。

いくつも文章がある中で、真っ先に目に入ってきたのは「いくつもの後悔を抱えたまま、それでも前に進んでいくしかないと思った」「おれが思い出すのは大抵、楽しかった記憶とかじゃなくて、後悔の記憶だ」というもの。
共感、というより漠然と「人生だな」と思った。

最近、自分の在り方、人生観、後悔についてばかり考えていると書いたけど、多分今がそういうタイミングなんだと思う。
ここ一カ月くらいで「自分の在り方って大事だよね」とか「自分の人生観というか、生き方や判断基準を決めた方が良いよ」という話をよく聞くのだ。

それ関連の話が多いということは、在り方や判断基準を考える時期なんじゃないかと思う。
もしくは、潜在的にそちらに意識が向いているか。
たとえば赤い車が欲しいと思っていると(意識があると)、街中で赤い車ばかりが目に付く、みたいなこと、よく言うし。

で、在り方と人生観がどうして「後悔」に結びつくのかというと、「迷い 悩み 嫉妬し 決断をしては 傷つけ合う」の積み重ねが人生だと思うから。
迷ったり悩んだり決断をしたりする時には必ず、自分なりの判断基準が関係してくると思うから。

「後悔しないように」とはよく言うけど、後悔しない人生なんて、ないから。
そう考えると、「後悔をしない選択」ではなくて「どう後悔するか」が大事なのかとも考える。

自分で決断して進んでも、絶対に後悔することがあって、だからまた次の決断をするときに「これでいいのか」「自分に従っていいのか」と迷うから。
同じ痛みを繰り返したくなくて、判断に迷うのだから。
だったら、自分が納得して後悔できる判断基準があったほうが良いんじゃないか。

納得出来る判断基準こそ、自分の核となる部分、つまり、人生観や在り方なのではないか。
そう考えると、「在り方」「判断基準」「後悔」って、全く別もののようで、実はちゃんと繋がっている。

後悔が一つもない人生がないなら、どうせ後悔するならば、なるべく自分を好きでいられる選択や、自分を嫌いにならないで済む選択をしていきたいな。

ふとそう思ったので、わたしの人生のキーワードは「自分を好きでいられるか否か」「自分を嫌いにならないでいられるかどうか」だと思う。
(どちらがしっくり来るのかは、まだ自分でも分からない。)

わたしは、「あの時あんな風に行動できなかった自分」に気づいた瞬間(たとえば、テストで100点取れなかった事実よりも、あの日勉強をサボってしまった自分が後悔する対象になる。)が一番やるせない気持ちになる。
だから、これが軸であり判断基準であり、人生観に繋がっているものだと思ったんだ。

うーん、と少し悩んでAかBかを選ぶ時、「自分を嫌いにならずに済むのはどっち?」と、自分に聞くようにしている。
そうやって気付いたけど、本当に人生は決断の連続だ。

進んだ先がトゥルーエンドかなんて分からないし、そもそも人生にトゥルーエンドがあるのかも分からない。
だったら自分でトゥルーエンドにしちゃえば良いや。
「あー、楽しかった」って言って棺桶にダイブできる人生になるように、自分の人生は自分で選んでいきたいな。

あ、ちなみに、夜行秘密は丸3回読みました。

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