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『サントメール ある被告』は裁判劇ではなく、母と娘の確執と繋がりの物語

(C)SRAB FILMS – ARTE FRANCE CINEMA – 2022
<ネタバレがあります。映画を観終わってからお読みください。>

地味な裁判劇なので、観に行こうかと二の足を踏んでいた。ところが知り合いが面白いと言っていたので、行ってみた。予想外の意外な展開もあり、興味深い面白い映画だった。しかし、モヤっとする映画ともいえる。

これは宣伝のイメージにあるような単純な裁判劇ではない。母と娘の物語だ。それもいくつもの母と娘の問題が重ねられている女性の映画だ。母は娘(赤ちゃん)を殺したのか?という罪が問われるセネガル出身でフランスに出てきた女性ロランス(ガスラジー・マランダ)。生後15ヶ月の幼い娘を海に置き去りにした若き母。実際の裁判の行方を実話を基に描き、2022年・第79回ベネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員大賞)と新人監督賞を受賞した作品。

彼女はなぜ殺したのか?その罪は映画では明らかにされない。彼女は「わかりません」と答えるばかり。赤ちゃん殺しの背景に隠された秘密が明らかになるわけでも、意外な犯人が現れるわけでもない。裁判は裁判長や検事や弁護人の質問に対して被告や証人が答える場面に多くの時間が割かれているが、裁判劇によくあるように、話をしている人の顔がテンポよく切り返されるわけではない。長回しで、被告人を映し続けて質問の声がオフで入って来る。「白か黒か」の罪を問う緊張感があるわけではない。無実の罪を暴く映画でも、罪の背景にある社会を糾弾するわけでも、真実がどこにあるのかを明らかにするものでもない。では、何を描いた映画なのか?

冒頭は赤ちゃんを抱いた女性が夜の海辺を歩いている。次は、「ママ、ママ…」とうわごとを言いながら眠っていた女性ラマ(カイジ・カガメ)がパートナーに起こされる。最初の海辺の女性は、罪を犯した被告人ロランスだと思われるが、ラマの夢のようにも思える。その後、ラマという女性の家族が描かれ、ラマは母に対してそっけない態度をとる。そして彼女が学生に講義をしている場面になる。ドイツ将校と関係を持った女性たちが戦後に剃髪され、辱めを受ける白黒フィルム。それを引用しながら、ラマはマルグリット・デュラスの『ヒロシマ・モナムール』で、そんな剃髪された女性をヒロインにして描いたことを説明する。デュラスの抒情詩のような表現によって、女性の見え方も変わってくる。それは、この裁判劇そのものとも言える。ラマは小説家であり、パゾリーニの『王女メディア』を見ている場面もある。ギリシア悲劇のわが子を殺す母の物語だ。ラマにとってこの裁判の傍聴は、子殺しに関する次の小説のネタ探しのようなのだ。

裁判劇の様相が変わってくるのは、まずロランスの母親がラマに声をかける場面だ。同じアフリカ系の女性として以前から知り合いのように声をかけ、二人はホテルまで歩く。ラマがホテルのベッドで自分のお腹をさすり、子供を孕んでいることが明らかになる。被告のロランスはラマと同じセネガル出身で、「完璧なフランス語」を話せる聡明な女性であり、母親の希望を背負ってフランスで勉強をしていた。しかし、哲学を学び始めて父の仕送りが断たれてから、彼女の人生は狂いだす。なぜ、セネガルの女性がヴィトゲンシュタインの研究をするのか?アフリカ系移民への差別の視線。年上の白人男性の夫と知りあって妊娠するが、夫は彼女のことを誰にも語らず、ロランスは家の閉じこもり、病院にも行かずに孤独に一人で出産する。娘を愛して育てていたはずなのに、ワンオペの育児は彼女を追い詰めていき、次第に彼女は呪術的な呪いに関心を寄せていった。

ロランスの母は、ラマを見て妊娠していることをなぜかすぐに見抜くが、裁判では娘の妊娠には気づかなかったと証言する。ロランスは呪術師に電話で相談したと言うが、そんな記録は残っていないと検事は詰め寄る。嘘と本当が混ぜこぜであり、白か黒かはっきりしない現実と証言。

このセネガル出身でフランスで差別的感情と戦いながら知的エリートを目指した二人の女性。ロランスとラマは限りなく重なっていく。しかも妊娠しているラマの不安は、ロランスの裁判を聞きながら膨らんでいく。同じような母との距離感。期待に背いてしまった罪悪感。あるいは母へのわだかまり。それはマルグリット・デュラスの母との確執の人生とも重なる。いくつもの母と娘、そしてこれから子供を産み母になる女性と子供を殺してしまった女性。裁判劇の被告ロランスの物語かと思いきや、これは作家であるラマの物語なのだ。

映画の後半、ロランスはラマを見つめ、二人の視線が交錯し、ロランスがちょっと笑う。この場面は強烈だ。ロランスはラマを見て、あなたがここにいるかもしれないのよ、と思ったのだろうか。ラマは自分がロランスなるかもしれないことを感じ取ったのだろうか。観客はその視線の意味を想像するしかない。

ラスト、ラマとロランスの母親が手を繋いでベッドで横になる場面が映し出されるが、あれは何を意味していたのだろう。ラマとロランスが同一化していく中で、ラマの母親とロランスの母親も同一化していったのだろうか?弁護士の女性が最終弁論で、母と子供、子供を宿した女性はみんな「キメラ」だ、という話をする。遺伝子細胞が繋がり混じり合っているというのだ。社会的偏見やヨーロッパ社会とアフリカ文化圏の隔たりという問題を描いているにしても、母と娘の確執や葛藤は普遍的なテーマだと言える。

不必要な背景説明を極力排除し、裁判劇のロランスとラマという女性を乱暴に編集で繋げていくその手法には、不意を突かれ面白かった。音楽も効果的に使われていた。

2022年製作/123分/G/フランス
原題:Saint Omer
配給:トランスフォーマー

監督:アリス・ディオップ
脚本:アリス・ディオップ、アムリタ・ダビッド、マリー・ンディアイ
撮影:クレール・マトン
美術:アナ・ル・ムエル
衣装:アニー・メルザ・ティブルス
編集:アムリタ・ダビッド
キャスト:カイジ・カガメ、ガスラジー・マランダ、バレリー・ドレビル、オレリア・プティ、 グザビエ・マリー、ロベール・カンタレラ、サリマタ・カマテ、トマ・ドゥ・プルケリ、アダマ・ディアロ・タンバ、マリアム・ディオップ、ダド・ディオップ

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