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『658km、陽子の旅』コミュ障の女・菊地凛子のロードムービー

(C)2022「658km、陽子の」製作委員会

地味な映画だ。熊切和嘉監督は北海道帯広出身で、初期の頃から注目していた。特にデビュー2作目、まだ無名の菊地凛子と寺島進が出ていた『空の穴』(2001)はなかなか良かったと記憶している。その後、田口ランディ原作の「アンテナ」(2003)、坂井真紀の『ノン子 36歳(家事手伝い)』(2008)、佐藤泰志原作、函館ロケの『海炭市叙景』(2010)、満島ひかりの『夏の終り』(2013)、二階堂ふみの『私の男』(2013)と結構見続けている。なかでも 『ノン子36歳(家事手伝い)』と『海炭市叙景』が好きだ。テンポあるエンタメ映画というよりも、ままらない人生で不器用でどっしりとした愚直な人間を描いてきた印象だ。特に坂井真紀や満島ひかり、二階堂ふみらの主演女優が印象に残っている。

本作も菊地凛子を『空の穴』以来主演に迎えて、不器用で「コミュ障」で人と話すのが苦手な引きこもり42歳の独身女性・陽子のをじっくりと描いている。これは菊地凛子のための映画ともいえる。

父のの知らせを受けて、青森に帰る陽子のなのだが、高速道路のSAで従兄の茂(竹原ピストル)やその家族とはぐれ、一人ヒッチハイクで青森に向かうことになる。いわゆるロードムービーだ。そのんだ父がオダギリジョーなのだが、幽霊のようにして陽子の隣にふらっと現れる。ひとこともしゃべらないが、なんとなく陽子のそばにいる。オダギリジョーはピンクのキャップをかぶっていて、私は『パリ、テキサス』『パリ、テキサス』のトラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)を思い出した。あれは4年間失踪していた男だったが、今回はんでこの世を彷徨う幽霊である。陽子とは20年以上疎遠になっていた父。「私は許さないからね」と陽子は父に言うが、具体的に過去にどんな父と娘の諍いがあったのかは描かれない。

陽子はボソボソと小さな声でしか喋らないし、彼女が東京に出てきてどんな仕事を目指して、何に挫折したのかも描かれない。部屋でパソコンの調子が悪くて、携帯が壊れて、髪はボサボサ、服も野暮ったい。高速SAに置いてきぼりになったときの所持金はわずか2千数百円だけ。ほとんどノーメイクで菊地凛子がどん詰まりの女性を演じている。ヒッチハイクの途中で様々な出会いがあり、男(浜野謙太)から酷い仕打ちがあり、父と母のような優しい老夫婦(吉澤健、風吹ジュン)との出会いもある。何度か実家に公衆電話から電話をするのだが、なぜか途中で切ってしまう。なぜ実家に電話で助けを求めないのか不可解ともいえるが、それだけ実家や妹たちと疎遠になっていたということなのだろう。

老夫婦と別れの握手をしてから、「父の手をもう一度触りたい」と急に喋り出す。出棺までに間に合うようにヒッチハイクに必になり、車の中で自分のことを語り、彼女の表情も変わっていく。汚染土が置かれている東北の風景があり、冷たい海があり、最後は雪まで降ってくる。実家にたどり着いたラストは、あえて葬儀の家の中を見せず、陽子が家に入っていくところで終わる。まさに外の風景だけ。余計な背景や描写は一切省略し、シンプルに陽子の変化そのものを見つめた映画だった。

ジル・オルークが音楽を担当しており、エンディング曲は『ドライブ・マイ・カー』の音楽をやった石橋英子が歌っている。

2022年製作/113分/G/日本配給:カルチュア・パブリッシャーズ

監督:熊切和嘉
原案:室井孝介
脚本:室井孝介、浪子想
プロデューサー:小室直子、松田広子
撮影:小林拓
照明:赤塚洋介
美術:柳芽似
編集:堀善介
音楽:ジム・オルーク
エンディングテーマ:ジム・オルーク、石橋英子


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