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第二章。秋田への旅路、2015年夏。

・感動の出会い

どこまでも続く青空と、
どこまでも続く秋田こまちの田んぼ道、、、

秋田の第一印象は、
包み込まれるような美しい青空と大地。

それは、これから始まる
旅の高揚感をさらに高めてくれ「るモノでした。

期待に胸膨らませ
いよいよ到着!

ここが、
五十嵐桶樽製作所♬

ここが、「五十嵐桶樽製作所」

決して大きな工場ではなくって
一軒ご自宅の片隅での桶作りをされてる様子、、、


緊張とワクワクと
ドキドキと、

とにかくいろんな感情が
入り混じって

恐る恐る、
玄関のチャイムを押してみると、

よーーく
遠くから来てくださった!

とにかく中へ
入ってください♬

そう言って、
五十嵐さんは笑顔で私を出迎えてくれたのです。

玄関を一歩踏み入ると、
いたるところに桶の材料となる秋田杉。

なんとも言えない
やすらかな「香り」を放っていました♬

その時、撮った五十嵐さんの「後ろ姿」


五十嵐さんの桶作りは

ご自身で秋田杉を「原木」から
仕入れるところから作っていること、

工房にも入れていただき

「道具」の事や「桶づくり」の事などいろんなことを
本当に丁寧に教えてくださいました。


五十嵐さんの工房


たっぷりと5時間くらい
滞在させてもらったでしょうか、、、

これまで私が、
伝えたかった「感謝」の想いや

五十嵐さんの桶作りの事、

五十嵐さんは息子さんがお一人いるけど、
仙台の会社へ勤めており
桶作りは継がれていない事、、、

お身体の具合のこと、、、、

そして、

翌日から奥さんと2人で
北海道へ2週間ほど旅行に行くんだと、、

そんな話までしてくださいました。

これが私がはじめて、
秋田を訪れた2015年8月のことでした。


・運命の決意。

帰りの飛行機の中で、私は

ようやく、ご本人に
直接お礼が言えた事による満足感と

やはり「お身体」のことや
「後継者」さんがみえないこと、、、

今後のことを考えると
やはりそうした不安もぬぐいきれず

2つの想いが複雑に交差していました。

そんな悶々とした思いは
地元に帰ってきても

ずっと変わらず、、、

とうとう決意します。

「桶作りを教えてもらおう。」

五十嵐さんの作ってくださる
桶は本当にすばらしい。

この先、
この「音」を守るためには

ご本人から直接、桶作りを
教えてもらうしかない。

もう、
その方法以外に道はないんだ。

そこで、

再び、五十嵐さんに
お手紙を書きました。

この「音」を守るためには
五十嵐さんの桶づくりの「技術」が
どうしても必要なのでうす。

「私に桶作りを教えて欲しい」と、、、

私にとって、
人生をかけた一大決心でしたが

その時、五十嵐さんから
いただいたお返事がこちらでした。

五十嵐さんからのお返事。

———————————/
私どもでは仕事を教えることは
考えておりません。

これからも
今までと変わらず「良い製品」を作って
いきたいと思っております

今後ともよろしくお願いいたします

五十嵐
————————————/

あまりに短く
そして率直に、
「お断り」されてしまいました。

・一つの道を極めることの難しさ
・職人の世界の厳しさ

太鼓屋として
少なからず様々な経験を
させてもらってきた私自身だからこそ、

この、五十嵐さんからの
短くもストレートなお返事が

とても心に刺さり、

それ以上、
「お願い」することはしませんでした。

正確に言えば、
これ以上お願いすることはできませんでした。

多くの人は、
きっとここで諦めるでしょうね、、、

でも、
私は諦めませんでした。

大切な『音』づくりの原点は、
受け継がれた『技』のなかにしかないんだ、、、

五十嵐さんにお会いできたことで
そのことが明確に理解できていた私は、

五十嵐さんに直接習えないのであれば、

何とか別の方法を
見つけよう、、、

そんな時に、

神様は現れるのです。

なんと!?地元愛知に
桶職人がいるという事を

あるテレビ番組放送をキッカケに
知ることになるのです。


それが、後に
私の直接的、桶づくりの「師匠」となるべく

桶職人、永谷さんとの出会いでした。


第二章終わり。
第三章へつづく、、、、

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