見出し画像

ヴィパッサナー瞑想10日間コースで麻酔ナシの心の大手術をしてきた③コース後半

今年の5月末から6月の頭にかけてヴィパッサナー瞑想10日間コースに参加してきました。
シリーズ最終話、コース後半のことを書いていきます。
前半はコチラ↓


【6日目】

これだけ食事制限があっても運動を一切しないからか、今の食事量が多くて集中が妨げられると感じるようになり食事を更に半分ほどの量に減らしました。
そう思ったのはわたしだけではなかったようで、この頃から周囲の人も1日1食にしたり量を減らす人がちらほらいました。

1時間、目を開けることも体を動かすこともせず座り続ける練習も少しずつリラックスした状態を保ちながら取り組めるようになってきました。
ただまだ完全に掴んだという感じではなく安定してできたと思った次の時間には振り出しに戻ったようにうまくいかなくなってしまったりと不安定な状態。
そして夜の瞑想で前日にうまくいっていたと思っていたやり方が実は間違いだったことに気づき修正していきます。

【7日目】

やり方を修正したからか、この日は1日やればやるほどうまくいかなくて「もーできない!もう座りたくない!」と何度か自室でやさぐれるのですが5分ほどで次の瞑想時間の鐘がコーンと鳴るとホールへトボトボ歩いて行ってまた座ります。
座るとまた瞑想に意識を向け始めて終わったらまた自室で打ちひしがれるのを1日中繰り返す。
投げ出さなかった自分えらかったなと今でも思う。
この日は何の成果もなく1番1日が長く感じました。


【8日目】

前日かなり絶望していたので今日もどうかなーと思っていましたが変わらず坦々と取り組んでいると、このヴィパッサナー瞑想で教えていた通りのことがいくつかわたしに起きました。

そのうちひとつが「アニッチャ」という法則の体感。
アニッチャとは「無常」のことで全ては生まれては消えるということ。
命も物質も物事も現象も、生じたものは必ず消滅します。
快も不快も生じたら消え、そしてまた新たに生じては消える。

目を閉じて体の痛みに悶えていると思考や視野が狭くなりこれが永遠に続くように感じるし、そこに心の反応(痛いの嫌だ辛いなど)を乗せると痛みも増幅し、この痛みが終わるなんてことが信じられなくなる。
けれど今起きていること(体の痛み)と自分を切り離し心の反応を乗せず平静を保ち客観的に今起きている状況を観察し続けることで本当に痛みが消えていくのです。

こんなことはこれまでヨガや色んな読み物や人の話で学んできましたがそれはただ知識として頭にあっただけ。
この時わたしは体験することによってこの法則が確信できるものになりました。

例えば海で泳ぎたいと思った時、何年も泳ぎ方の本を穴があくまで読み込んで体の使い方や呼吸法や解剖学、更には海洋学まで膨大に学んだとしても実際海に出て泳いでみることとは知れる事が全く違うというような感覚。

この経験を通して、望まない現状や他人が変わることをただ願ったり闇雲にもがくだけでは、たとえその問題が消えたとしてもまた新たに生まれる問題に同じように振り回され続けることになる。
物事はずっと生まれては消えていくものだから。
結局は物事ではなく、その物事を受け取る自分を変えるしかない。

いつでも平静を保ち今起きていることを観察し対処していける自分を育てていけば後にどんな現象が新たに生まれてもそこに自分が振り回されることはなくなる、という事を知識レベルではなく経験によって理解することができました。
コースの期間中にこの経験ができたことを本当に幸運に思いました。


【9日目】

8日目に一気に色んな気づきがあり自分はもうこれでわかったような気になってしまいそうですが本当にすごいなーと思ったのは8日目の講話で「このような経験をした時が実は一番危険な時期である」という話になったこと。

一度これかー!みたいな経験をするとそれをもっと経験したいという渇望が生まれる。
そしてその渇望は新しい苦悩へとつながってしまう。
痛みや苦しみなどの現象に対して平静を保ち観察することと同様に心地のよい高揚するような現象に対してもそれは当てはまるのです。

この話を前夜に聞いていたのでこの日同じ経験ができなくてもそのことに落ち込んだり渇望したりすることなく平静を保って取り組むことができました。
何かに取り組む時、進歩を感じたり後戻りしてしまったりを繰り返します。
そこに一喜一憂せず平静を保ってただ行うということも改めて学べました。 


【10日目】

9日間過酷な心の大手術を行い心には大きな手術の傷が残っています。
最終日はその傷口に薬を塗ってやらなければならないということで、10日目はとてもゆとりのある時間割に変わりました。
瞑想もメッターバーバナーという慈愛や調和、思いやりの瞑想を行いました。

朝の瞑想を終えた後は「聖なる沈黙」も解かれます。
10日間一緒に寝食を共にしていながら一度も口をきいていないどころか目すら合わせてこなかった生徒同士が話せるようになります。

正直それを聞いた時「最終日に沈黙を解かれたところで今更話すことなんかあるかな」と思っていましたが、ホールの外に出ると久しぶりに人の話し声で賑わう音を聞きました。
それからは瞑想の時間以外はずっとお互いのことを話し、たくさんのことを共有し、気がつくとずっと10日間話をしていた仲間かのように夜遅くまで話し込んでいました。


【11日目】

11日目の朝も4:30から瞑想をしました。
最後の瞑想を終えた時、心が震えるような充足感に目の奥が熱くなりました。

10日目と11日目にはセンターに寄付をすることができます。
みんなでそれぞれの思いを金額にして寄付する人もいるし、奉仕者として無償で生徒のサポートをする人、このように何かに書いたり話したりして人々に広めるなど様々な形の寄付があります。
最後にみんなでセンター内の掃除をして朝食を摂ってそれぞれの時間に帰路へつきます。

長かったような短かったような、けれどただ坦々と過ぎていく中でこれまでにない経験と自分に出逢えた本当に実りある12日間を過ごさせていただきました。

【最後に】

「またコースに参加したいか」とよく訊かれるし生徒同士の話題にもあがりました。
コース2~3日目は「こんな過酷な修行に何回も来る人の気が知れない!変態だ!!」と思っていましたが次第に何度も来る人の気持ちがわかるようになり最終日には「今度は奉仕者として参加してみたい」と周囲に話していて、コースを終えてひと月経った今はまたすぐにでも行っていいと思えるくらいの変態に仕上がりました。笑

なぜならこの10日間でわたしがヴィパッサナー瞑想をマスターしたわけではなくほんの導入を理解したに過ぎないからです。
実際、わたしが取り組んでいた段階をとっくに超えた別の次元の指導もありそれを行っている生徒もいました。
本当に興味深く得るものが多い精神修行の場でした。

今回noteに書く際、わたしはヴィパッサナーの詳細な教えの内容については書かないと最初から決めていましたが自分に起きたこと学んだことをどこまで書くかはずっと悩みました。
悩んだ末かなり端折ったりざっくりと書いています。
人によって受け取るものもツラいポイントや度合いも異なるし、入れ過ぎない方がいい情報もあるのではないかと思ったからです。
軽い体験記や参考程度に思っていただけたらと思います。

そしてここまで読んでくださった方、興味を持ってくれたり感想やリアクションをくださった方が思いの外たくさんいて書く励みになりました。
ありがとうございました。


この記事が参加している募集

ちょっとでもいいな、と思っていただけたら生きる励みになるのでぜひサポートお願いします♡いろいろ更新していきます!