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長年の友と惜別の時

彼と知り合ってから何年が経ったのだろう。
思えば彼は知り合ってからずっと優しくていいやつだった。
絶望の最中の僕を救おうとしてくれた。
僕は彼に何かしてあげられたのだろうか。



こんにちは、ひろきです。
春は出会いと別れの季節ですね。
暫く(しばらく)、そういった人との出会いや別れといった春らしい感情とは疎遠でしたが、彼がステップを踏んでいく嬉しさと、また友達が近くから離れるという寂しさを同時に含んだその時が今年はやってきました。
長年親しくしてくれた友人が就職を機に今年から地元を離れます。


彼とは小学校1年生からの付き合いです。
今でも連絡を取り合ったり、一緒に遊んだりする人の中では友人になってからの月日がかなり長い友達の内の1人です。
小学校、中学校と一緒の学び舎で時を過ごし、高校で別々の進路に進み、一度はあまり会わなくなりました。
それからお互いの高校卒業を機に、また地元で一緒に会ってお酒を飲んだり、数人で旅行に行ったり、あてもなく別の友人の運転でドライブに出掛けたりと、しばしば会うようになりました。
僕があまりにお酒に酔っていると心配してくれて、お店から僕の家まで一旦一緒に歩いて送ってくれて、そこから彼は自宅に帰るということも何回もありました。
お店から彼の家は近くて、僕の家は遠いのに。
本当にごめんよ。ありがとうね。


彼は無類のゲーム好きで、小学生の頃は彼を僕の家に呼んでよく、"ドラゴンクエスト"の攻略法を教えてくれました。
僕が特に覚えているのは、ゲームの攻略法を教えてほしいと彼に頼んだところ、後日ノート用紙に手書きで、まるでゲームの攻略本のように事細かに内容が書いてあるノート用紙を渡してくれたことです。

当時は携帯電話などは持っていなかったので、学校で遊ぶ約束をするか、家に電話をかけるかです。
僕の記憶が曖昧なところもあるのですが、僕が彼の家に赴いたことは無かった気がします。
彼の家は小学生には歩きでは遠い距離で、以前noteにも書きましたが、僕はなかなか自転車を買ってもらえなかったので、恐らく記憶が正しければ彼が自転車で僕の家まで来てくれていたのだと思います。
そして、ゲームで遊んだり、時には外で遊ぶこともあったと思います。
小学校の内はクラスも何度か同じクラスにもなっていたと思います。

中学校に入り、彼はサッカー部に入りました。
そのことを初めて知った時は、驚いた記憶があります。彼がサッカーが好きだったというイメージが僕には無かったのです。
しかし、彼は小学校の頃から運動神経は良かったので、彼のサッカー部入部という決断には納得もいくという、不思議な気持ちでした。

中学生の頃も仲は良かったのですが、お互い部活もしていたので、一緒に遊ぶ機会も次第に無くなりました。

しかし、中学2年で彼と同じクラスになりました。
もちろん様々な行事が学校にはありますが、中学2年といえば、やはり「修学旅行」です。
僕と彼は同じ班になりました。
その班には彼と僕の同じ小学校のガキ大将的存在の友人と、よくその被害を受けていた僕と彼と別の友人の3人と、あと数名が同じ班で行動することになりました。
行く先は京都です。
数カ所は先生から指定の場所があり、そこには絶対行かないといけない決まりでした。
それ以外の時間で行きたい所を班ごとに決めていきます。
有名な場所だらけの京都で、ガキ大将的存在の友人が行きたいと言ったのは「宝ヶ池公園」という、言い方は悪いかもしれませんが、京都っぽさはあまり無い、大きな池がある公園でした。
そこに行ってしまうと距離的に別の場所に行く選択肢を消さないといけません。
しかし、このガキ大将はそう簡単には譲りません。
「絶対行く」の一点張り。
その友人の性格を知っている僕らは仕方なくその公園も巡る箇所の1つに加えました。


そして迎えた修学旅行当日。
新幹線で京都へ向かいます。
初日は学年の全体行動。
泊まった旅館は、今思えば修学旅行で中学生が泊まるには大層立派な旅館だったと思います。
そして、ひとしきり部屋ではしゃぎ、消灯時間。
ガキ大将が「お笑いっぽいことやろう」と言い出します。
彼とは別の、僕の幼馴染の友人と僕が先陣を切ってネタを披露します。
評価と出来はまずまず、上々といったところ。
テンションも上がってきた僕らは「騒いではいけないけど楽しい」という、お笑い番組でいう"笑ってはいけない"に近いような感覚になり、即興のコンビを各々作り、芸人さんの真似をしてネタを次々と披露していきます。
ある程度盛り上がり、その日は先生に怒られて廊下に並ばされるようなこともなく、その後大人しく寝て翌朝を迎えました。
翌日は自由行動の日です。
班ごとにマイクロバスのような移動手段が与えられ、運転手の方に行く先を伝え、次々と名所を巡ります。
そして、件(くだん)の公園に着きました。
池にはなんと、アヒルボート。
ガキ大将のテンションは跳ね上がります。
「おい!みんな2人に分かれて乗ろうや!」
指示通りみんなで2人1組を作り、中学生の男同士が複数のアヒルボートに乗り込みます。
僕の隣はガキ大将の被害者のうちの1人の友人でした。
しかし、それがまあなんとも楽しいこと。
なんなら自由行動で、その公園が一番盛り上がったのではないでしょうか。
競争などをしながら、想像以上にアヒルボートを満喫して、公園を後にします。
名前は伏せるけどガキ大将、最初は止めようとしてごめん。
めちゃくちゃ楽しかったわ。


そしてお互いの高校卒業後、お酒を飲めるようになり、地元のスポーツバーに行き出してから、一緒によく飲むようになりました。
彼は高校でもサッカーを続けました。
最初の内は僕の病気のことは同級生には伏せていました。
やはり、好奇の目を向けられるのではないかと思ってしまっていました。
しかし、腹を括って身の上話をすると、皆んな思ったよりも話を聞いてくれて、病気のことにも理解を示してくれました。
もちろん彼もその内の1人です。
高校卒業後、彼は専門学校に進学し、僕は大学に進学しました。
そして彼が3年生くらいの時に、既に県外で就職した友人に、旅行も兼ねて会いにいくことになりました。
彼と僕と友人2人の計4人で車で向かいます。
夕食を食べ終え、温泉に向かい、その後友人の家へ。
道中でお酒を買い込み、夜はとにかく飲もう、という運びになりました。

その時の僕の左手の甲には根性焼きの痕が。
隠すためにガーゼを貼って、「擦りむいた」とだけ友人たちに伝えていたのですが、途中で友人が「お前左手の甲を酔って灰皿にでもしたん?」
それを皮切りに酔った僕は自ら自身の病気の自傷行為の話を始めました。
左手には根性焼きの痕の他にも既に無数の切った痕。
切った痕は、傷の深い箇所は紫色に皮膚が盛り上がり、その周りには大小様々な傷痕。
そして、手首の薄っすらとした傷痕。
どう見ても普通じゃないとわかる見た目です。
そういった衝動的な自傷行為に及ぶことを話すと彼が
「次もしそういうことしたくなったら俺らに連絡してよ。そして一緒に飲んだり話したりせん?そしたら多分気持ちも少しは落ち着くんやない?○○(僕の苗字)が自傷行為するくらいなら、俺ら一緒におる方がずっと安心するよ。俺らにもっと頼ってよ。いくらでも力貸すよ」

その言葉は暖かく、力強いものでした。

その後は僕は酔って記憶がありませんが、友人曰く「○○めちゃくちゃ泣きよったよ」と。
きっと嬉しくて、安心できて、堪らなくなり涙したのだと思います。


その後も幾度となく一緒に飲んで遊びました。


彼は物静かで、冷静で、優しい男です。
ですが、好きなものへの情熱はすごく熱い男でもあります。
この記事を書いている時点では、数日後に彼は地元を離れます。


その前にと、先日初めて2人で居酒屋でサシ飲みをしました。
いつも通りの他愛も無い話をしながら、店内で流れるテレビをツマミに、昔話をしました。
もちろん、未来の話も。
彼は一旦自身の描いた理想とは違う職種に就きますが、まだ夢は諦めていないと言っていました。


そんな彼の存在がやっぱりなんだか心強くて、安堵しました。


やはり僕は何度も彼に救われていたのでしょう。
時に、僕は救われていることにすら気づけずにいた。
その度に感謝を伝えておけばよかった。
何度でも、ありがとうと言葉にすれば良かった
彼からもうありがとうは聞き飽きたと言われ、笑ってくれる程に。


今更、LINEや電話で感謝の意を述べても、どうしても陳腐な言葉になってしまいそうで。
それでも伝えないよりはマシかと、2人で飲んだ後に激励の言葉と感謝の言葉を送りました。
長く一緒に居たから、それに気づくのに時間が掛かってしまいました。


どうか、新天地でも力強く生きてくれ。
免許が無いからあまり会いには行けないかもしれないけど、誰かの運転で会いに行くよ。
それか高速バスかな。
本人にも伝えた言葉ですが、慣れない土地での一人暮らし、なにかあったらいつでも連絡してくれ。
愚痴でも聞くし、そっちでの楽しい話も聞かせてよ。

そして、この場を借りて言わせてほしい。
この先、もしも君がどうしても心が苦しくなった時、あの時の俺みたいに、生きるのがもしどうしても辛くなった時、絶望を覚えてしまった時、俺が一番に駆けつけて君を救ってみせるよ。
俺にそう思わせる程、君は俺に沢山の思い出と信頼と感謝をくれたよ。
優しい君のことだから、わざわざそんな気は無くて、知らず知らずのうちに与えてくれたのだろうけど。

今は新たな社会人としての門出をめでたく思います。
就職おめでとう。
また会えるのを楽しみにしてる。

今回は長々とすいません。
書いているうちにやっぱり思い出が込み上げてきて、あれもこれも書きたいって思ってしまいました。


彼以外の新たに新生活を迎える全ての人へ。
それぞれの場所でほどほどに生きていってください。
疲れたら休めばいい。
少し後ろに下がってもいい。
あなたが会社に、学校に、クラスに合わないんじゃない。
寧ろ(むしろ)その逆です。
社会が、組織がきっとあなたに合っていないのです。
あなたのスケールが大き過ぎてきっとそんな小さなところに収まる器じゃないのでしょう。
とことん、大きくなってやりましょう。

それでは、また。

ひろき

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