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~『誕生日』とは誰のための日?~

本日、4月19日は私の37回目の誕生日である。

『誕生日』とは特別な日である…わけなのだが、ことさら今の自分にとっては特別に感じている。

再々発の治療中であり、この後に同種移植という大きなリスクのある治療を控えている自分にとっては、来年の38回目の誕生日を迎えることの出来る保証など無いことは身に染みて感じている。

『誕生日を迎えることは決して当たり前ではない』という事実と共に、誕生日の意味を改めて考えている。

私がこの世に生を受けた日、私は泣いていた。

…そして月日が流れて、多くの人達に支えられて現在を迎えている。

今の苦しい治療も一人では乗り越えることは出来ず、様々な支えを受けながら何とか成り立っている。

この歳になってようやく誕生日の意味を知った。

『誕生日』とは、自分が生を受けた日を無事に迎えられた感謝を周囲に示す日なのだということに気づいた。

病気を介して…というのが口惜しいが、今まで迎えてきた36回の誕生日とは違う1日を今日は送りたいと考えている。

両親含め、近親者にはささやかながら感謝の品を贈る。誕生日に渡すのはどうかと思うし少し気恥ずかしいのだが、一方で「そんなことをもう気にもしていない自分」もいる。

…次があるかどうかは、決して分からないのだから。

そんな特別な日だからこそ、今回のNoteは自分について包み隠さず書こうと決めて筆を執った。

ここで自分を隠したら、死ぬときに後悔するだろうと思っている。

内容に関しては、ここ最近書き綴った客観的なNoteを踏まえて『自分は今どの様に感じているのか?』をそのまま記載している。

客観的ではなく、主観的に思いのままをそのまま書いてみようと思う。

▼ 他人と比較して自分を保とうとしている事実

「自分より重たい病気」や「自分より辛い副作用に悩んでいる人」を見ると「自分なんてまだマシなんだな」と思って、どこか安心をしてしまう自分がいる。

…間違いなくいる。

本来はその人と私との間には何も関係なんてなく、その人が苦しんでいることが私にとってプラスであるわけなんてないのに、どうしてかその人基準に自分の良し悪しを相対的に決めてしまう。

頭では何度も理解をしているが、実際に『心』がこれを十分に理解することが今後あるのだろうかと日々、自問自答をしている。

繰り返しになるが、私以外の第三者の病気や怪我が、私に影響を与えることは本来はない。

しかしながら、相対的に自分の立ち位置を確認するために他の人を利用してしまっている事実を、残念ながら私は否定することが出来ない。

▼ 命の使い方

同様のことがこの章でも言える。

私と同じ様に血液系(それ以外でもあるが)のがんに侵されたお子さんを持つ、いわゆる『病気の子供の親のツイート』を見ながら、私は相対的に自分が「恵まれている」と感じてしまっている。

「自分が子供の病気を変わってやりたい」

と、日々痛切なツイートを目にする。

恐らく、どの親御さんも『自分自身が生きてきた人生の期間』を「我が子にも全うして欲しい」と感じているはずである。

仮にそれが『30年』であれば、その自分の『30年』をそっくりそのまま子供に与えたいと思うのは自然なことであろう。

これは、紛れもなく自分の中にもある感情である。

「病気になって良かった」とは決して思っていないが、自分の子供に、自分の妻に、同じような苦しみを味わせるぐらいなら「自分がこの病気で良かったんだ」と言い聞かせることは、日々自分の中に起きている。

…こういった感情になっていることも、病気の子どもを持つ親御さんの前ではどう伝えたらいいのか分からないのではあるが、確実に自分の中にある感情である。

▼ 誰かに生きていて欲しいと願われる

人生において、生きる意味を考える上で、『誰かに生きていて欲しいと願われること』は大変価値のあるものであると考えている。

こういったツイートを拝見したり、自分で考えたりするといつも思う。

「この世に生きている価値の無い人なんて本当に居るだろうか」と。

『死』や『生』について、病気について、そういったツイートを目にすることがレコメンド上多い私にとって、悲しみのツイートを見ながら「人が死んだら、悲しむ人がどこかに居る」というのは日々痛切に感じているところである。

『生きている価値』なんてその人が見出すものではなく、純粋に「生きているだけで十分なものではないか?」と改めて私に感じさせる。

それが『他の誰か』ではなく、『あなた』でなくてはいけないのである。

単なる「一人が死んだ」、「一人が生きた」という数の問題ではなく、全ての人の生と死には物語があり、一個人の尊厳の元に成り立っている。

私がこのような感情に至ったのは最近のことではなく、初発時の数年前のある方のNoteからである。

おそらく誰かに話すのは、初めてになる。

ご本人の許可を…とも考えたが、迷惑になりそうな気持ちと私の入院中の状況もあり、この様なカタチになっていることを、先達てお詫びしたい。

勝手な引用のため詳細は伏せることとするが、病気(がん)で既に亡くなってしまった旦那さんの回顧録(奥様の記載)の中での一節であった。

旦那さんが自分のやっている病気の新しい治療が「将来、どこかの、誰かの、治療に役立ってくれればいいな」といった趣旨の発言に対して、私(奥様)は

『いつか、どこかの誰かが助かることなんかより、今、目の前に居る旦那くんが助かることを願った。』

そういった趣旨の内容であった。

一部分の切り取りであるが、本当に勝手ながらその文章を何度も見返して改めて思う。

その旦那さんは、きっと幸せだったんだろうな…と。

『誰かにそんな風に思われる生き方』をしたいなと、自分はその瞬間に強く感じて今に至っている。

私の人生観に大きな影響のあった文章である。

『死に際』よりも『死ぬまでの行き方』を考えるきっかけとなった文章である。

「どれだけ生きた」という『数字』も大事である。それは否定しない。

一方で「どのように生きた」という『中身』も数字と同じ以上か、それ以上に大事であると改めて思う。

神様が本当にいて、私の身体が元気になり、私の人生観を変えてくれた奥様とお会いすることが出来れば、どれほどのことだろうか。

旦那様の墓前に線香をお供えして感謝することが出来れば、どれほど心が満たされるだろうか。

言葉や文章が、誰かの人生を変えるかもしれない

そう感じて、私が言葉を綴る原点がここにある。

その方の文章に出会えて、本当に感謝している。

▼ 『死』や『病気』は、『生』について考えさせられる

今、私は抗がん剤の治療をしている。例えば、抗がん剤を30日して今生きているとする。

考え方によるものであるが。もし抗がん剤治療を30日しなければ、未来において30日生きられなかったのかもしれない。

そういったことが、私の未来に起こりうるのかもしれない。この事実は答えがないけれども、否定することも出来ない。

薬の効果が効いているとかいないとかの話でもない。純粋に今やっている治療が未来において、どのような意味を成すのかわからない。

ただ、事実として『抗がん剤を30日することで、30日生きながらえた』という事実は否定できない。

もし、抗がん剤投与をしていなければその「30日」は手に入らなかったのかも知れないのだから。

一方でその「30日間の入院」と引き換えに失っているものもある。

数日間の退院で改めて感じるのは、1日を自分の我が子と過ごす時間の大切さである。

数字上では「30日間生きられる『30』という数字」「子供1日を過ごすという『1』という数字」

どちらが大切か?という点については、感情抜きでは言うまでもないであろう。

ただ感情的にはどちらかというと「子供との1日を大切にしたい」と思っている自分もいる。

これこそがまさに『人の生き方』であり、人生は『あくまでもその人が決めること』であると強く思うところでもある。

単なる数字では図ることは出来ない『生』と『死』についての難しいところではないかと思う。

ツイート上でも『終活』について述べられており、内容は様々目にする。

純粋に『生きた日数を最大化』することも正しいし、中身を充実して『善く生きたい』と考える人も、私は正しいと思う。

…『正しさ』を個人で選択できる世の中に、果たして今後向かっていくのだろうか?

▼ 妊孕性拒否の過去

直近のNoteの記載において『妊孕性』について触れてきたことが多い。ただ、私は妊孕性を拒否した過去がある。

私のがん発症は「精巣がん予想」から始まっている。精巣を一部摘出したとしても、反対の精巣に妊孕性は保存されるため「子供はまだ可能性として大丈夫」と医師から聞いていた。

その状況が一変したのは、私の病気が「精巣がん」ではなく「悪性リンパ腫」であったというところからである。

病巣である精巣を摘出して転移が認められない「精巣がん」と違い、悪性リンパ腫は血液系の癌であるため、抗がん剤治療や放射線治療で『妊孕性』は著しく落ちてしまう。

実際、現在は『ほぼ奇跡のような確率でなければ子供は望めない』そういった体になってしまっている。

妊孕性について、悩む人の気持ちも本当によくわかる。

しかしながら、私は『未来の自分の子どもの命』より『自分の命』を選択した人間である。

理由としては様々あるが

・早期治療により、自分の命を繋げる可能性を高める

・今の状態で妊孕性保存して将来的に第2子ができた時に、がん細胞の遺伝として悪影響を与える可能性が否定出来ない

・がん発症と同時期に生まれた今の息子への影響も考えたときに、自分自身で悪性リンパ腫の治療の重みを受け止める気持ちの余裕がなかった

…といったところであろうか。

『生きる』と『善く生きる』というタイトルで過去にNoteを書いているが、私はその時「残されている家族と生まれたばかりの息子」のことを考えて、純粋に『生きたい』と願った、『未来』よりどちらかというと『今』を優先した側の人間である。

未来に生まれてくるかもしれなかった、自分の子供の命で生きている

今でもそう考えている自分がいる。本当に都合のいい、勝手な想像なのかもしれないが。

…だからこそ、この命を粗末にすることは決してできないと誓っている。小さな、小さな命をもらって生きているのだから。

息子が将来的に「自分の弟や妹が欲しい」と言う様なことがあったとして

・それが叶わない事情をちゃんと伝えられるのか?
・それまでの行き方に胸を張れるのか?
・何よりそこまで私が生きているのか?

そんなことを日々問答しながら、私は『生』を全うしている。

▼ 私の生き方の矜持

私が生きる上で大切にしていることが二つある。

一つ目は別のNoteでも記載をしている、ネイティブアメリカンの教えである。

あなたが生まれた時、周りの人は笑ってあなたは泣いていたでしょう?だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って周りの人が泣くような人生を送りなさい。

という言葉である。

『生きる』についてのいろいろな矜持があるが、私は妙にこの言葉がしっくりきている。

もう一つはもう十数年前になるが、養老孟司さんの講演を聞いた後に最後の余談で話をされていた内容である。

あなたが死んでも全く困らない人がいる。
誰だと思う?

それはあなただよ。

言い方を変えればあなたが死んで困る人がいる。
誰だと思う?

それはあなた『以外』だよ。


生と死をもし逆に考えるのであれば
あなたが死んで多くの人が困るんだ。悲しむんだ。


だから、生きてる間にはあなたは多くの人のために生きて
幸せにしてあげてもいいんじゃないかい?

そういった趣旨の内容であったと記憶している。

この言葉もなぜか不思議と私の胸に中にスッと入ってきて、今も残っている言葉である。

結局のところ『私の生き方』というのは『自分のため』ではなく『誰かのため』にあるということになるのかもしれない。

「それはおかしい」と思う人も当然いるかもしれないが、私の中でしっくりきている以上はこの生き方を今は止めることができない。

『私の命は、私のためにある』とはやはりそう強くは言い切れず、『私に生きていて欲しいと願ってくれる人がいる限り、その人と共にある』のではないかと、日々思う。

▼ さいごに

何度かに分けて雑談めいたことでこのような話をしてきたが、本来Noteには私の闘病の記録をメインに残そうと考えていた。

そのため、数年間雑記ブログのような形でNoteに書いていた様々な記事を1度消去して整理してきた。

ただTwitterを始めてから色々なことを思ったので、闘病記に加えてこちらに記載をさせて頂いた。またこのようなことがあるかもしれないが、まずは本筋である治療経過の報告を主としてNoteは展開していこうと思う。

一旦、こういった病気への抽象的な考察と個人の想いの記載は終えたいと思う。

なお、以前記載していた雑記ブログの内容を新しい形で伝えるために、個人的なブログの解説と調整に今は少し勤しんでいる。

本来そういった作業が苦手であり、既に管理画面に入れずに作り直すような事例が頻発しているので、『完成』はいつになるかわからない。

不具合だらけの恥ずかしいブログだろう。ただ、それも自分らしい。

もし未完成な状態でも…という方がいらっしゃるのであれば、以下から中を覗いて頂いてもと思う。

生きている限り、更新は止めない。

もし38回目の誕生日を迎えることが出来た時に、このNoteを見返して自分は胸を張れるだろうか…。

改めて誓いを立て、今回のNoteを締めたいと思う。

最後まで、ありがとうございました。

ろくさん


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